文/北京市の大法弟子 金蓮
【明慧日本2024年5月18日】1999年4月24日の夜、私たちが集団で学法していたとき、ひとりの同修がやって来て、「天津の大法弟子が警察に捕まりましたが、釈放してくれません。私たちは、同修の解放を要求するために陳情に行きましよう。行ける人が行きましょう」と言いました。私たちのグループの同修はみんな「行く」と答えました。
そのころ、私は毎日路上で屋台を出して、朝食を販売し、ケーキを作っていました。同修が理不尽に逮捕されたと聞き、私は焦りました。「明日は朝食を作るのをやめよう。お金を稼ぐのをやめよう。同修の解放を要求しにいかなければならない」と思いました。私は修煉する前に身体に様々な病気がありましたが、法輪功を修煉した後、すべてが治りました。この数年間、私はケーキや朝食を作ることで少し裕福になりました。良い身体がなければどうやって生活できるでしょうか。法輪大法を修煉していなければ、今日のような良い生活はありません! 私は、大法弟子は家族であり、天津の同修のために正義を求める必要があると思いました。
夜、私はしっかり眠ることができませんでした。よい人になることは間違っているのでしょうか? どうしても納得できず、眠れませんでした。私は「起きてパンを焼いて背負って行こう。同修たちのお腹が空いたとき役に立つから」と考え、起きて生地をこね、夜が明ける前に袋半分のパンを焼きました。そして、新しい服に着替えて、焼いたパンを持って出発しました。
約束の場所に着くと、同じ村の同修たちが皆集まっていました。ある工場で購買を担当している女性同修が「工場の大型バンがちょうど今日北京に納品に行きます。それに便乗しましょう」と言いました。皆がそれに同意し、私たち7、8人の同修は大型バンに乗りました。北京に着くまでずっと『洪吟』を暗記しました。それは壮大で、忘れがたい経験でした! 運転手さんが「あなたたちは本当にすごいね、そんなに多くの詩を覚えることができて、それも詩の一句一句がすべて理にかなっています!」といいました。運転手さんは非常に親切で、私たちを陳情オフィスの近くまでわざわざ送ってくれました。
4月25日の早朝6時すぎ、私たちは府右街に到着しました。そこには既に大法弟子で溢れかえっており、人が多すぎて一目では見渡せませんでした。静かで騒がしくない状況でした。私たちが尋ねると、天津市や張家口市、遼寧省、黒竜江省など異なる地域から来た大法弟子がいました。私たちは少し恥じ入りました。遠い地域からの同修たちが先に到着していて、北京から近い私たちが着いたばかりだったからです。同修たちはみな道路の西側の歩道に沿って立っていました。私たちも同修らと一緒に立ち、視覚障害者用の歩道を空けました。
道路の真ん中には警察が3メートル毎に1人ずつ配置されており、その光景は少し不慣れでしたが、一生忘れられません。私たちは急遽駆けつけたため、準備がほとんど出来ませんでした。昼食は近くで買いました。人が多すぎたため、すぐに近くの店のカップラーメン、お菓子、果物、ティッシュが売り切れました。午後2時すぎになると、私は自分が持ってきた焼いたパンを近くの同修たちに配りました。我々の近くにいた他の地域からやってきたすべての同修たちにも配りました。皆、とても喜んで、パンを食べながら交流しました。天津からきたひとりの女性同修が「私は胃がんでしたが、煉功で治りました。三つの病院で死刑宣告をされましたが、今は完全に良くなり、身体が軽やかになりました」と言い、彼女たちは夜中の2時過ぎに到着したと言いました。
私たちが立っていた道路脇に大きなエンジュの木がありました。午後4時頃、木の上にいた2羽の鳩が「パラッ」という音を出しながら飛び立ちました。音がとても大きかったので、みんな上を見上げました。誰かが大きな金色の法輪がエンジュの木の頂上で回転しているのを見ました。その法輪は次第に高く上昇し、その下にはたくさんの小さな法輪があり、色とりどりで非常に美しかったといいます。警察も首を上げて見ていました。我が家の裏庭に住む三番目の妹(同修)が「ほら、小さな法輪が人々の身体にもあります」と言いました。私は何も見えませんでした。
しばらくして、人々は落ち着きを取り戻しました。その瞬間、私は合掌している同修が見えましたので、自分も合掌しました。その時、私の目には突然、空と地面が完全に黄金色に見えました。約20分間続きました。その時、私は自分が雲の中にいるのか、霧の中にいるのかわからず、自分が誰なのか、何をしに来たのかも忘れました。その素晴らしい場面は人間の言葉では表現できないほどでした! 今思い出すと、まだ感慨深いですし、本当に忘れられません!
最後に、問題は適切に解決されました。夜9時すぎ、大法弟子たちは静かに去って行きました。地面には一片の紙くずも残っておらず、警察が捨てたタバコの吸い殻さえも拾い上げました。タクシーを捕まえるのが非常に難しく、家に到着したのは夜11時過ぎでした。
これは1999年4月25日のことであり、私の人生で最も素晴らしい思い出です! 永遠に思い出に残る偉大な一日です!
師父の救い済度に感謝いたします!
合掌
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