文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2024年6月4日】1999年7月20日、中国共産党(以下、中共)による法輪功に対する全国規模の邪悪な弾圧が始まりました。恐怖に包まれながらも、善良な人々が法輪功学習者(以下、学習者)たちを助けくれ、それはまた、彼ら自身の未来の人生への道を開きました。
一、正直な夫
公務員である夫は、「7.20」後、私が大法を修煉したことで大きな圧力に直面しましたが、後へ引けずに私の修煉を支持してくれ、良い修煉環境を与えてくれて、私の強い支えになりました。
私は省委員会の担当機関を訪れて陳情することにしました。出発前の夜、私は銀行カードや暗証番号を含め、家の重要なものを夫に渡しました。夫は私を止めることなく、「君が捕まったら、子供を連れて会いに行く」と言ってくれました。
私は毎日家に着いたら、すぐにテレビをつける習慣がありましたが、中共がすべてのメディアを支配して噓偽りの宣伝ばかり流していたので、ほとんど見ていませんでした。当時、夫は私がそんなものを見てつらくなるのではないかと思い、長い間テレビをつけることはありませんでした。
ある時、道で地元の警官に会い、警官は夫に「奥さんをよくしつけなさい」と言いました。それは、私に法輪功を修煉させないようにという意味でした。それを聞いて、夫はすぐに厳しい口調で「妻はちゃんとやっているのに、何をしつけるのですか?」と反論しました。警官は返す言葉もなくすぐ行きました。
二、勇敢な三番目の兄夫婦
迫害が始まった時、大法の本を守るために、私は「三番目の兄」と呼んでいた親戚の家を訪ねました。私は彼の家に大法の本を預かってほしいと頼むと、義姉は「いいわよ、ここに置いてください」と快く承諾してくれました。当時の中共の弾圧の恐ろしい現実の中で、彼らの行為はとても勇敢でした。当然のことで、彼らに福が報われ、ますます順調で豊かになりました。娘は外資系企業で働き、収入も高く、新しい家を購入し、高級な家具と電器製品を揃えています。
三、正義な職場のトップ
私が勤める支社には、学習者は私一人しかいませんでした。迫害初期、上層部から一日中私を監視するように要求されましたが、私の職場のトップはそれに協力しませんでした。彼は上層部に「私は一日中彼女を監視することはできません。ホテルを借りて、また人を派遣して一日中彼女を見てもらうことはできませんよね?」と言ったそうです。これは後でほかの上司から聞いたことです。
会社の再編成で、うちの支社は解散され、一部の管理職は本社に移ることになりました。これは一番良い結果で、私もその一人です。しかし、最初は、学習者である私のことで、巻き添えになるのを恐れて、本社の責任者は反対しました。それに対して、元の職場の上司は「法輪功を修煉して何が問題ですか? 仕事の能力も人柄も問題ないのに、何が困るんですか?」と、私を強く推薦してくれました。これは20年後に知りました。
迫害の情勢が深刻な時、上級機関は各課に法輪功を批判する会議を開くように要求しました。ある日、所長が私のところに駆けつけて「上層部から会議を開くように言われたのは、あなたに対するものではない。参加しなくてもよい。しなければならない仕事が山ほどあるのに、無駄な事ばかりやっている!」と言ってくれました。結局その会議は開かれることもなく、職員たちに大法に対する罪を犯させることはありませんでした。その後、この所長は上級会社のトップに昇進しました。
四、善良な同僚たち
私が働く部署は30人もいる大きな部署で、これはまだ下の直属の管轄部門を含んでいません。この数年来、一人も大法に不利なことを言ったのを聞いたことがありません。私の上司と同僚たちは皆自ら私を守ってくれるだけではなく、とても私を信頼してくれています。例えば、同僚の2人が何かを議論している時に、片方が信じないと、もう片方は「信じられなければ、ゲンさんに聞いてね」と言います。「ゲンさん」とは私のことです。
時々、会社の保衛科の人が私のことを調べに来ると、同僚たちはその人をすぐに立ち退かせました。
最初に迫害が始まった時、誰かが私たちの部署のパソコンで明慧ネットにアクセスしました。すぐに公安局の警官がやって来て、しかもどのパソコンからアクセスしたかも分かっていたそうです。一人の同僚が「私たちのところは多くの人が出入りするから、誰がアクセスをしたかは分かりません」と言って、この件はうやむやになり、私にもつながりませんでした。その後、この同僚は総経理兼所長に昇進しました。長年の間、私は職場でほとんど妨害を受けたことはありません。
結び
善良で正直な人々が、最も暗い中で私を助けてくれたことに感謝すると同時に、かれらが自分のために良い未来を選び、大法の救いを得たことを喜んでいます。
師父に感謝します!
(明慧ネット「5.13」法輪大法デー入選文章)