【明慧日本2024年8月27日】 (前文に続く)
娘の神韻巡回公演の経験
中国での私の職業は医者でした。子供が舞踊の道を選んだ以上、身体の痛みに直面することを知っていました。どのようなダンサーやアスリートでも、これは避けられません。例えば、バレエダンサーの足の爪は頻繁に剥がれては生えるを繰り返し、非常に痛みを伴うため、バレエは「痛みの芸術」と呼ばれることもあります。この点で言えば、中国古典舞踊は子供の身体への負担は少ないです。
娘が飛天学校に通った7年間、大きなケガはありませんでした。時折、足や股関節の痛みがありましたが、通常は先生が力を抜くことを提案し、しばらく休めば良くなりました。しかし、先生方が子供たちに医者に診てもらうことを禁じたことは一度もありません。娘のクラスメイトの一人は腰痛のため、現在自宅で療養中で、定期的に医者の診察を受けています。その子の両親は私と同じ町に住んでおり、お互いに知り合いです。また、別のクラスメイトは最近病院に行き、足のケガで手術が必要だと言われたそうです。時々、娘のクラスメイトたちが捻挫や打撲をした際、娘が私に電話をかけてきて、冷やすべきか温めるべきか、どんな薬を塗ったらいいかを尋ねてきます。大きな怪我や痛みがある場合、学校は常に子供たちに医者に診てもらうことを勧めています。
以前、私は娘に毎回の公演がとても大変ではないかと尋ねたことがあります。娘は言いました。「ダンサーとして、天賦の才能と努力の他に、トレーニングと発表の機会を提供する良いプラットフォームが必要です。だから、私は巡回公演の一つ一つをとても大切にしています。ダンサーの芸術的な寿命は比較的短いものです。一般的なダンサーは、一生涯で100回以上も世界クラスの芸術舞台で公演する機会がないかもしれません。でも私は1年で100回以上公演しています。毎回の公演場所で様々な挑戦とプレッシャーに直面しますが、これによって豊富な舞台経験を積み、急速に成長できます。だから疲れを感じるどころか、とても幸運だと感じています。プロのダンサーとして、公演をこなすために自分の力を合理的に配分する方法を知っています。過度に疲労して体を傷つけることはありません。ママは心配しなくていいですよ」
また、娘は幼い頃から世界中を旅する夢を持っていましたが、私たち家族の経済状況ではそれは叶いませんでした。神韻の巡回公演に参加することで、娘はついにその夢を実現しました。世界中のさまざまな国や都市を観光し、各国の文化を体験することができています。今年の夏休みに、娘は大英博物館のノートと上質なお茶を私へのお土産として持ち帰り、アフタヌーンティーの楽しみ方やいくつかの食事のマナーについても教えてくれました。中国には「万巻の書を読み、万里の道を行く」という古い諺がありますが、娘の年齢の子供がこれほど若くしてこのような経験と見識を持つことは、非常に貴重なことです。
飛天学校での経済的支援
親として、私たち家族の経済状況は中国国内では中流家庭に属していましたが、中共の迫害により、海外に来てからの経済状況はかなり限られています。国内外を問わず、子供に芸術を学ばせるには高額な費用がかかることは承知していました。一般的な米国の私立大学でさえ、授業料だけで年間3万ドル以上かかると聞いています。これは私たち家族には負担できない金額です。
現在、子供は飛天学校に通っていますが、授業料が全額免除されているだけでなく、食事、寮費、年間を通じての衣装もすべて無料で提供されています。子供がお金を使う機会はほとんどありません。娘が実習生として巡回公演に参加するようになってからは、世界中の高級ホテルに滞在し、現地で心を込めて準備された美食を楽しんでいます。これらはすべて無料で提供され、さらに実習生としての公演手当も支給されています。
このような理由から、私は飛天学校に深く感謝しています。飛天は優秀な子供を育ててくれただけでなく、ほぼすべての費用を負担してくれました。
最近、私は子供に卒業後の計画について尋ねました。帰ってくるつもりなのか、それとも飛天に残りたいのかと。娘は迷うことなくこう答えました。「ママに特別な用事がない限り、できるだけ飛天に残りたいわ。たとえダンスができなくなっても、何でもいいから仕事をさせてもらいたい。この環境がとても好きで、みんな家族のように思っていて、他の場所でこんなにきれいな環境を見つけることは難しいと思います」
結語
遺伝性の心臓病で死の淵をさまよっていた私に、法輪大法は健康な体を与えてくれました。そして一銭もかかりませんでした。私の子供が一般社会の道徳低下の波に飲み込まれ、抜け出せなくなったとき、飛天学校は私に優秀な子供を返して下さいました。そして、これにも一銭もかかりませんでした。親として、どんな感謝の言葉を述べても、足りないように感じます。
私はただ、縁あってこの文章を読む機会を得た人々が、大法と飛天学校に関する噂や誤解から解放され、自ら事実を理解し判断を下すことができるよう願っています。また、飛天学校に対して不満を持つ学生たちにも、冷静に自分の飛天での経験を振り返り、恨みを手放し、より多くの善意と愛で心を満たし、本当の自分を取り戻してほしいと思います。(完)