【明慧日本2024年9月2日】(前文に続く)
職場では、時折、顧客から失礼な言葉を投げかけられることがあります。上司は感情的にならず、反論せず、冷静でプロフェッショナルな態度で対応するように指示されています。トレーニングを受けた後、次第に、電話で冷静に対応できるようになってきました。
例えば、突然、医療保険が中断されてしまった市民が、怒りながら電話をかけてきたときも、私は落ち着いてその市民を慰め、どのようにして医療補助を復活させるかを教えました。また、ある女性が電話で「私は、最近刑務所から出たばかりなの。足を怪我したんだけど、どうして医療カードが使えないの?」と、叫びながら罵声を浴びせてきたときも、彼女の荒い言葉に動じることなく、慈悲の心で丁寧に対応しました。最終的に、彼女は「ありがとう」と感謝の言葉を言ってくれました。
仕事を続けるうちに、次第に対応が上手くなり、何度か顧客から「あなたの接客はとても良い、ありがとう。上司に一言伝えたい」と言われました。私が何のためですかと尋ねると、「あなたの上司は、あなたに昇給をすべきだと思う」と言ってくれました。その言葉に感謝しました。
しかし、うまくいかないこともあります。ある日、中国出身の女性からの電話を受けたとき、彼女の声は非常に高く、私の話をしばしば遮ってきました。彼女の言動に対して、私は不快感を覚えました。昼休みに、中国人の同僚に「中国から来たばかりの人は礼儀を知らず、本当に困ります」と愚痴をこぼしました。同僚はすぐに「あなたも中国出身じゃないですか、発言には気をつけてください」と指摘されました。私が間違っていることに気づき、彼女たちに対して、先入観を持つべきではないと反省しました。これらの中国人たちは党文化の影響を受けており、国際社会の常識に詳しくないかもしれませんが、彼女たちに完全に非があるわけではありません。私は善意をもって相手を受け入れ、温かい気持ちで接し、正常な社会がどのように機能するのか、理解してもらえるように心掛けることに決めました。
それ以後、仕事で傲慢な気持ちが芽生えました。また、退勤後に大法のことを多くしていたため、夜に十分に休息できず、日中の勤務状態が良くない時もありました。学法が不十分なため、勤務中に様々な問題が増え、心の負担も大きくなってきました。
ある朝、上司に「最近、仕事のストレスが増えてきて、この仕事を続けるのが難しくなってきました」と話しました。上司は「この仕事を辞めたいというのは、仕事のストレスが、あなたにとって負担が大き過ぎるからですか?」と聞きました。私は「そうです。一部の人が無理な要求をして、私が忍耐強くプロフェッショナルなサービスを提供しても感謝されず、暴言で罵られることもあります。中には、私に対して苦情を言う人もいます」と答えました。上司は「これらの福利を受けている人たちの中には、確かに怠け者もいますが、大多数は生活に困難を抱えている人たちです。あなたの経験や視点で彼らを判断しないでください。なぜならば、彼らがどんな苦難を経験してきたのか、わからないからです。彼らの立場から物事を考え、私たちは自尊心を捨て、同情心を持ち、先入観を持たずに、常にプロフェッショナルなサービスを提供するように心がけてください。もちろん、彼らがあなたを罵るのは間違っています。その場合は、礼儀正しく、相手に言葉遣いに気を付けるように注意を促すことができます」と、アドバイスをしてくれました。
この話を聞いて、師父が上司の言葉を通じて、どうやってこの仕事の環境で修煉するかを教えて下さっていることに気づきました。私は30年前にアメリカに移民としてきたため、家庭環境は比較的良好で、優越感を抱いていました。これらの人たちが私に対して態度が悪いと、自分が尊重されていないと感じ、苦痛を感じました。しかし、その痛みの原因は、見栄を張る心と自尊心が刺激されたからだと認識しました。他人の苦しみに対して、私は時に同情心が欠けており、忍耐力が不足していて、修煉者の基準に達していませんでした。時には、嫉妬心が働き、「どうして私が、あなたたちよりも頭を低くして、あなたにサービスしなければならないのか?」と考えてしまうこともありました。師父は、私たちに慈悲の心を持つようにと教えておられますが、電話でこれらの顧客に対応する際にも、慈悲の心を持つべきではないでしょうか? これは大きな忍の心を修める良い機会ではないかと感じました。上司が顧客の罵倒にどう対処するかを教えてくれたことは、問題を理性的に解決する方法を学びました。
そして、仕事環境と遭遇する困難が、私を練磨する良い機会であると悟りました。このように考えると、心の容量が大きくなり、心性が向上した後には、仕事がそれほど困難に感じられなくなりました。1年半その部署で働いた後、他の部署への異動が決まりました。異動前に、主任が私たちへ心のこもった言葉で話しました。「この仕事は非常に難しいですが、皆さんはそれをやり遂げました。このような環境で良い仕事ができたので、どの政府部門でも、必ずやり遂げることができると信じています」
その後、私たちは食品券の担当部署に移動しました。電話で市民の食品券の申請や更新を手伝う仕事です。これらの電話を受けるとき、私の慈悲心が自然と表れました。ある日、ある女性から、自分と子供たちの食品券を更新したいと電話がありました。その際、収入状況を尋ねる必要がありました。規定に従って、「子供たちの父親は、養育費を払っていますか?」と尋ねると、女性は「いいえ。彼は刑務所にいて、数年間、子供たちのことは何も考えていません」と答えました。私は驚いて言葉を失いました。彼女がどれほど困難な状況にあるのか、家庭内暴力を経験しながら、たった一人で数人の子供を育てていることを想像するだけで、心が痛みました。それに対して、私の状況は彼女よりもずっと恵まれていると感じました。たとえ私も婚姻に関して、魔難を経験したとしても、大法を修煉していることで師父の護りがあります。それ以来、自分の魔難を淡泊に受け止められるようになりました。
この文章を書く際に、自分が以前放下したと思っていた執着心が最近、再び現れていることに気づきました。さらに内に向けて探した結果、以前の修煉が不十分で、根本的にこれらの執着心を取り除けていなかったことがわかりました。ここ数年、生活や仕事の環境が緩和され、自己要求が緩んでしまったため、これらの執着心が再び顕著に表れてきたのです。自分の修煉を真剣に取り組み、自分自身に責任を持ち、より良く行おうと決心しました。
2019年から2021年の間、財務部で働いていた時期があります。この仕事もホットラインに対応し、電話やメールで中小業者や大企業の商業税支払いをサポートするものでした。電話対応では、相手の質問に答えながら、数分以内に税金に関する問題の解決方法を考える必要がありました。税金の支払いに困っている人や、できるだけ税金を減らしたい人が相談を持ちかけてくることもあります。私の仕事は、専門的なサービスを提供しながらも、原則を守ることが求められました。この過程で、電話で礼儀正しく、原則を貫く方法を学びました。
ある日、企業の経営者が電話をかけてきました。私は彼の問題を誠実に解決し、彼も満足して「あなたのサービスは素晴らしいです。あなたの上司、つまり部門の副部長を知っています。もし将来、あなたが昇給や昇進することがあれば、それは私が彼女にあなたの良い点を伝えたからです」と言ってくれました。
またある時、上司が私たちを「紛争解決のトレーニング」に参加させました。このトレーニングを通じて、私は見知らぬ人と電話でチャットできるようになり、他人を簡単に定義しないことを学びました。電話で話を聞く際には、相手を理解し、尊重し、彼らのニーズを把握することができるようになりました。相手が何を言っても、心を動かされずに対応するよう心掛けました。電話のホットラインでは、各通話の時間が限られており、次の電話に対応する必要があるため、要点を簡潔に伝えることを訓練しました。
これらの常人の中で学んだ技能は、近年、電話で神韻を広める際に大いに役立ちました。神韻を紹介する電話をかける前には、必ず正念を発し、慈悲の心で話せるように、師父にご加持をお願いしました。通常は、神韻が世界一流の公演であることを簡潔に紹介します。過去に電話での顧客サービスの経験を積んだおかげで、電話をかける際には心が落ち着き、常人と良好なコミュニケーションが取れるようになりました。フロリダ州の同修たちは広範囲に分散して住んでいるため、この機会を利用して、もっと多くの同修にも参加を呼びかけ、電話を通じて神韻の宣伝活動に貢献してもらいたいと思っています。
この体験を共有する理由は、以前、修煉に対して誤解していたからです。私は、衆生を救うというのは、大法のプロジェクトに参加している時だけだと思い込んでいました。しかし、後で気づいたのは、常人の中で学んだ技能も、衆生を救うプロジェクトにおいて大きな役割を果たし、師が法を正すことに繋がるということです。もし、多くの大法弟子が常人の仕事を軽視してしまうと、私たちはどうやって主流社会に溶け込むことができるのでしょうか? 常人がそれを見ると、大法に対する誤解を招く可能性もあります。もし、私たちが常人の仕事に真摯に取り組み、仕事の環境で善良さや責任感などの修煉者としてのポジティブなイメージを示すことができれば、それもまた、法を実証することになるのではないでしょうか。こうすることで、より多くの西洋社会の常人が法輪功について、直接理解することができるのです。
師父は、新経文『目覚めなさい』の中で、このように説かれています。「誰に対しても慈悲深く、愛の心を持ち、これは本当に普通の人にできることではありません。特にどのような場合でも、衆生を慈悲深く思う心で行動することはなおさら難しいのです。しかし、大法弟子は必ずこのようにしなければなりません! 修煉には過程がありますが、新しい学習者は今それができなくても、修煉するにつれ徐々に必ずできるようにならなければなりません。古い学習者は今、このように行動しなければなりません。これはあなたの歴史的使命によって決められており、神聖なる大法弟子の修煉で必ずやり遂げなければならないことなのです!」
私は、師父が言われる通りに完全に実行することで、人を救う中で、最も強い力を発揮することができると理解しました。また、修煉の中で、もし私が同じように耐え忍び、慈悲の心で他の同修を理解し、寛容することができれば、多くのトラブルも簡単に解決できると悟りました。私たち一人ひとりが法に対する理解も異なり、修煉の状態も異なり、異なる天体から来ています。私は、自分の状態や観念で他人を判断せず、同修に対して本当に善意を持つことを学びました。
近年の修煉で、同修の皆さんからの助けも大きかったと感じています。同修たちは、時々優しく私に言い聞かせ、私が法の理解の偏りを早めに気付くことができ、自己修正する手助けをしてくれました。一緒に切磋琢磨し、互いに助け合うことで、速やかに向上することができます。私たちは、法を全面的かつ圓融に理解し、自己の見解や考えにとらわれずに、どのようにすることが衆生を救い、良い影響を与えるかを考えるべきです。
このような荘厳な法会で、発表する機会をいただいたフロリダ佛学会に感謝します。これは1996年に修煉をして以来、初めての法会での発表です。この貴重な修煉環境を大切にし、共に精進し、師と法を敬い、多くの人を救い、師と共に自分の家に、圓満に帰ることを願っています。
以上は、私が修煉の過程でのいくつかの体験です。不適切な点があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
師父に感謝申し上げます! 同修の皆さん、ありがとうございます!
合掌
(完)
(2024年米国フロリダ法会での発表文章)