文/フロリダの大法弟子
【明慧日本2024年8月14日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は1996年に法輪大法を修煉し始めてから、気づけば28年が経ちました。最初に修煉し始めた時の喜びは、次第に毎日の決まっている仕事に取って代わりました。法輪大法の深遠な法理に初めて触れたとき、私は深く感動し、自分の世界観が完全に変わりました。私はこの大法と同化することを決心し、どんな困難があっても師父に従い最後まで修煉を続けると誓いましたが、実際に修煉する中での、心と骨をえぐられるほど一つ一つの執着を取り除く過程は非常に挑戦的で、いつの間にか修煉の最初の熱意を失ってしまいました。
一、初心に戻り、私たちが行うすべてのことは意義がある
今年、神韻のウェストパームビーチでの公演中、私は劇場の警備を務めました。公演前に数分早く劇場に入り、後ろの席に座ってスマートフォンを見ていました。その時、ある女性が笑顔で2人の若者と一緒に私に向かってきたので、私は「知り合いじゃないな」と思いました。女性は私のポカンとしている顔を見て、「こんにちは、週末にウェストパームの花市場にいたでしょう? あなたがくれたパンフレットがきっかけで、娘(後ろの若い女性を指さして)が母の日のプレゼントとして買ってくれたのです。だから私たちは来ました」と話してくれました。私もとても嬉しく思いましたが、特に深く考えず、そのことは頭のあとに過ぎました。
中間の休憩の時に、ホールで地元の同修コディさんに会いました。同修は「ある観客が私に挨拶してきて、あるフェスティバルで渡したチラシがきっかけで公演を見に来たそうです」と話してくれました。
この話を聞いたとき、私はとても驚きました。たくさんの観客の中で、こんなにも偶然が重なるのはどうしてだろうと思いました。これは師父が私に何かを悟らせようとしておられるのだと思いました。自分が悟らなかったので、コディさんにもう一度教えてもらったのだと考えた時に、自分の顔が赤くなりました。なぜなら、私はもうその花市場には行かないと決めていたからです。というのも、この花市場は早朝から始まり、私の家からは遠く、実際の効果がどれぐらいかもわからなかったからです。
実際に、ウェストパームの花市場自体は良い場所で、高級住宅地にあり、そこを訪れる人々の服装から、主流社会の人々であることが分かります。しかし、興味を示す人は多くなく、配布した資料の数も少なかったのです。興味を示したのは数人で、一人は「お母さんが最近ペンシルベニアで観たので、もし神韻がここに来たら必ず行くようにと言われました」と話してくれました。もう一人は「数年前からずっと観たいと思っていましたが、いつも逃してしまいました」と言い、来週に公演があると案内したら、「すぐにチケットを買わなければ」と話しました。劇場に来た女性は、パンフレットを受け取っただけで特に会話はありませんでした。全体として、その日は少数の人が興味を示したものの、全体的に興味を持つ人は少ないと感じました。
自分の考えに誤りがあり、師父がこのような形で気づかせてくださったのだと思いました。内に向けて探してみると、多くの執着心を見つけました。まず、自分の決まったスケジュールを進めたいと、自分の生活リズムを崩したくありませんでした。朝の6時に正念を発し、その後に法を学び、煉功をするのが私の長年の習慣です。しかし、この花市場には7時半までに到着しなければならず、その道は1時間以上かかり、早朝6時前に家を出なければなりません。自分の習慣が乱されるのが嫌で、特に毎日の学法を正常に行うことができないため、心の中で抵抗感を持っていました。実際、今思えば、法を学び、煉功する目的は何でしょうか? 自分をしっかり修めることは、より良く衆生を救うためでもあります。
師父はこのように説かれています。「真相を伝え、衆生を救い、これはすなわちあなたが行うべきことです。これ以外に、あなたが行うべきことはなく、この世界であなたが行うべきことはありません」(『各地での説法十三』「二〇一五年ニューヨーク法会での説法」)
今後は、自我を放下し、大法の必要を最優先にしていきたいと思います。
原因の二つ目は、「苦しみを避けたい心」です。朝のまだ暗いうちに出発するのが早すぎると感じ、道が遠いし、時間もかかると感じていました。今後、もし近くに住んでいる同修がこの活動をやりたいと言ったら、引き続き申請しようと思いますが、そうでなければ、もう申請しないつもりでした。
三つ目は「結果を求める心」です。自分が投入した労力と結果が釣り合っているかどうかを気にし、目的意識が強く、結果を重視しているのです。もし良い結果が得られなければ、やりたくなくなります。その日、多くの人が興味を示していれば、ためらわずに再度行いますが、興味を示す人が少ないと感じると、する価値がないと思いました。今思うと、結果を求める人心ではなく、ただ心を込めて全力を尽くすことが大事だと分かりました。
四つ目は「人心で物事を考えること」で、「人心で損得を測ること」です。実際、神韻はここでほぼ20年も公演しており、多くの人が神韻を知っています。パンフレットを受け取らなかった人でも、神韻の情報を見て来場したかもしれません。私たちがさまざまな活動に参加することは、神韻が来ることを知らせるためです。また、たとえ一度の活動で一人だけを救えたとしても、あるいは私たちの活動がただ種をまくだけでも、それをまだ続けるべきでしょう。 劇場での偶然の出来事は、私たちが行ったすべてのことは無駄ではなく、意義があることを教えてくれました。私たちは衆生を救う機会を大切にしなければならず、一度行えば、機会は1回減らされます。現在を大切にし、私たちが行うことはすべて、衆生を救うためであり、意義のあることなのです。
もし、この市場での宣伝活動を今後行わなければ、師父がここで救うために按排された衆生に神韻の情報が届かなくなってしまいます。それは、師が法を正すことを手伝い、衆生を救う使命を果たしていないことになります。
今回の経験から私は多くのことを学びました。これは師父が私に精進し、初心に戻るようにという警告だと思います。師父はこのように説かれています。「大法弟子が互いに以前のようになり、法を得た当時のように精進してほしいと期待しています」(『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」)
師父は私たちに以前と同じように修煉するようにとおっしゃいました。考えてみてください。自分が修煉を始めたばかりの頃、あるいは神韻の宣伝活動に参加したばかりの時だったら、自分の心境はどうなっていたでしょうか。十数年前、初めてマイアミで神韻の宣伝活動に参加したとき、住んでいた場所から車で2時間半かかったのを覚えていますが、行く途中でとても興奮しました。神韻の宣伝に参加できることをとても幸せに思いました。しかし、時が経ち、神韻の宣伝活動に長年参加するにつれ、私は徐々に当初の熱意を失っていきました。
二、法を暗記してから初心の感覚を見つける
初心に戻るために、学法と修煉において突破が必要だと感じました。以前は学法の際に心を静めておらず、あらゆる考えが浮かんでくることが多かったので、法を暗記することに決めました。
長い間、人間の観念に阻まれ、『轉法輪』を暗記したことがなく、挑戦することさえありませんでした。以前は、法を暗記するとは一字一句違わず完全に覚えることだと思っており、この目標が自分にはほぼ不可能だと思っていたので、法の暗記を試みることさえありませんでした。今年の夏、修煉状態を変えるために法の暗記を始めようと決意し、同修と一緒に『轉法輪』を暗記することにしました。その結果、法の暗記についての考えが全く変わりました。
法を暗記する過程は非常に重要で、心を込め、心を清めて行う必要があります。以前は学法に集中できなかったのですが、暗記することには静かな心が不可欠です。今は一文ずつ覚え、次にそれをつなげていく方法で暗記しています。長い段落は分けて覚え、一定の期間続けることで、非常に良い結果が得られています。
実際、法を暗記することと完全に覚えることは異なります。法を暗記することは心を静めて学ぶ過程であり、完全に覚えることは結果です。結果を求めれば、達成できないと簡単に諦めてしまうことがあります。しかし、修行では過程が大切です。法を暗記する過程に心を置き、法と同化する修煉に集中すれば、完全に覚えることにこだわらなくなります。
第四講の「心性を向上させる」を暗記しているとき、突然頭の中で大きな悟りがありました。夫が常に私の業力を消去するために、心性を高めるために手伝ってくれていたことに気づきました。以前は、夫に対して根深い恨みを抱いており、彼が私にあまりにも多くの心性の試練を与えたと感じました。その瞬間、心から彼に感謝の気持ちが湧いてきました。
現在、私は暗記する際に、自分がどれほど心を清めているか、また法の暗記に集中できているかにもっと注意を払っています。『オーストラリア法会での説法』で、ある学習者が「『轉法輪』を読む時、雑念が頭に入ってくるのですが、どのようにこの問題を正しく扱い、対処すればいいでしょうか?」と師父に尋ねると、師父は次のように答えられました。「これは非常に自然なことで、誰でも遭遇することです。しかし、必ずそれを克服しなければなりません。これは後天的に形成された観念と頭から生じた業力によって引き起こされ、あなたの修煉と、法を得ることを妨害しています」(『オーストラリア法会での説法』)
法を暗記してからまだ1カ月ほどしか経っていませんが、私は決意を固め、このまま続けていくつもりです。法を暗記する過程で大法と同化し、初心を取り戻すことを目指しています。
師父はこのように説かれています。「大法弟子として自分の修煉を緩めてはならず、自分をしっかり修めることに励むのみであり、乱れれば乱れるほど、乱れている中で自分を修めることができ、魔難や不愉快なことに遭えば遭うほど、『このすべては私の修煉と向上のための階段だ』と逆の角度から問題を見るようにすべきです」(『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」)
師父、ありがとうございます! そして同修の皆さん、ありがとうございます!
(二〇二四年フロリダ法会発表文章)