文/中国河北省の大法弟子
【明慧日本2024年9月3日】5月13日がやってきました、私は師父に何を報告すればいいでしょうか? この1年間私の修煉の道を振り返ると、私の最大の成果は名誉とエゴを取り除いたことです。
今年60代の私は法輪功を修煉する前、私は強い名誉への欲を抱いて、生きていくために自分の意志に反して他人を喜ばせようとしていました。いい子を見せびらかして、すべての不満を隠していました。努力の結果、いくつかの成果を達成しました。しかし、自分の成果が盗まれると、他の人と争うことになりましたが、最後にはいつも負けました。
不思議なことに、加害者は決して責められないのに、被害者である私はいつも責められ、失敗するたびに誰も助けてくれず、また失敗をいつも繰り返します。私はいつも、なぜ物事はいつも同じように起こるのか、なぜこんなに敵が多いのか、なぜいつも一人なのかと不思議に思っていました。
私はよく昔のことを思い出しました。私の名誉への執着心がこの出来事に反映されました。高校の物理のテストだったのですが、トップになるため、私は隣に座っている人に、私の答えが見えないように体を横に向けてしまいました。私の隣の人を含め、クラスの多くの人が試験に落ちました。この件で隣に座っている人は私を恨みはじめました。
私はよく勉強し、学校の体力仕事もよく参加していますが、先生は、私のような生徒は学校ではうまくやっても社会ではうまくいかないと言いました。なぜ彼がそんなことを言ったのか分かりません。
仕事を始めて以来、名声への執着と自己顕示のせいで、数人が必要なことを自分一人で成し遂げることができる、という英雄的な感覚が私に生まれました。私の優れた能力は他の人に嫉妬され、いつも私をいじめたり、孤立させたりします。
私は大法を勉強することにつれて、やっと分かるようになりました。
師父はこう説かれました。「名利を強いて求める心がなければ、名利や地位をどうでもよいものと見ることができれば、あなたは煩悩(ぼんのう)にさいなまれることも、立腹することもなく、永遠に心が穏やかな状態でいることができます。何でも放下できれば、自ずと清静(せいせい)になります」(『法輪功』「第三章」)
もし大法を修煉しなかったら、私は死ぬまで、ずっと苦しみと恨みを抱いていたでしょう。幸いなことに、私は法輪大法を修煉し始めて、抱いていた怨恨を取り除きました。 いわゆる不公平について文句を言うことがなくなりました。私の心の変化が見た目にも反映されて、私はより素敵に見えます。
特に今年は法を繰り返し勉強することで、自分の中にある名声を求める悪い物質が明らかになり、突然気持ちが楽になり、元気が湧いてきました。
私はこの記事を書く時期、ちょうど中国共産党の「両会」を行う期間中の一部時期と被っていました。政府は私たち法輪功修煉者を厳しく監視し、地域の人々に私たちを報告するように言いました。しかし、真相をよく理解したある年配者はこう言いました。「私は法輪功学習者を保護します。何か知っても何も言わないですよ!」。これを聞いたとき、私は感動でいっぱいになりました。法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいもので、私は受益者です。
現段階で、私は法輪大法の道を歩んでいる修煉者なので、すべての執着を取り除く前に、私は必ず不十分な面を示します。
私のレベルには限界がありますので、法に基づいていないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。