文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年9月6日】私は1998年に法輪功を学び始めました。学法や煉功はすべてテレビやビデオ、DVDを通じて学び、師父の説法もビデオで視聴していました。学び始めて2カ月後、体の病気はすべて消えました。その後、『轉法輪』を手に入れて読んだところ、さらに精神がすっきりし、心身ともに健康になったと感じました。
当時、私は民間の小学校で6年生の数学を教えている教師でした。課外活動や休み時間には、クラス全員を引率して学法や煉功を行い、他のクラスの生徒たちも一緒に学んでいました。私のクラスは学校全体でも模範的なクラスとして有名で、規律や学業成績は全校で1位でした。私も毎年模範教師として表彰されていました。
ある日、大雨が降り、学校の囲いが崩れてしまいました。校長が「村の役人に頼んで人を呼んで囲いを積み直さなければ」と言いましたが、私は自分が補修できると伝え、「ちょうど明日は日曜日ですから、レンガとセメントがあれば1人でできます」と答えました。校長は喜んで「それは素晴らしい!」と言いました。次の日、まだ暗いうちに作業を始め、日が暮れる前には完成しました。校長は「手際がいいですね。壁もきれいに積まれています」と褒めてくれました。
この出来事から1カ月ほど経った頃、また大雨が降り、4年生の教室の天井から2カ所で雨漏りが発生しました。生徒たちは雨水を避けようと机や椅子を動かし、狭い教室の中で授業を受けざるを得ない状況でした。校長は「早く修理しないと、生徒たちがずっと立ったままになる」と言いました。私は「梯子を用意してくだされば、私が修理しますよ。午後の授業に間に合わせます」と答えました。校長は「それは助かります」と言い、梯子を手配しました。雨が止んだ後、私は屋根に上り、2時間で修理を終えました。校長は「ありがとう、大きな手間が省けました」と私に感謝しました。この出来事を知った政府官僚が学校に来て私を褒め、日曜日には全教師を招いて宴を開いてくれました。
1999年、中共が法輪功を迫害し始めました。1999年10月のある日の午前、地域の教育担当者2人が私の学校に来て、誓約書を書かせようとし、指印を押させようとしましたが、私は拒否しました。彼らは説得したり、脅したりしましたが、1時間以上かかっても成功しませんでした。そして、怒って帰って行きました。その2日後、今度は県教育局と地域の教育担当者3人がやって来ました。当時、私は授業中でしたが、彼らは強引に私を教室から呼び出しました。私は「今、授業中です。授業が終わってから話しましょう」と言いましたが、彼らは大声で「ダメだ! 一言も話させない。今すぐ出てこい。法輪功を学んで、クラス全員に学法と煉功を教えているだと? 今すぐ辞めさせてやる。荷物をまとめて帰れ!」と言い、私の袖を引っ張って外に連れ出しました。私のクラスの生徒たちは全員追いかけてきて、「先生を行かせないで! 先生を行かせないで!」と叫びました。私が校門を出ると、多くの生徒や教師が私を見送り、名残惜しそうに後ろをついてきました。数人の生徒は泣き出し、「彼は良い先生だ! 彼は良い先生だ!」と叫んでいました。私も感動して涙がこぼれ、愛おしい生徒や同僚たちに手を振って別れを告げました。
私が家に戻って数日後、同じ村の同修が訪ねてきて、知り合いが県で私立中学を運営していて、そこは共産党の影響を受けないから、そこなら働けるかもしれないと教えてくれました。すごくうれしかったので、お礼を言うと、彼女は「同修同士ですから、こんなことでお礼なんて言わなくていい。当然のことです」と答えました。2日後、彼女は嬉しそうに私の家に来て、「ちょうどタイミングが良かったですよ。彼の学校でちょうど1人の教師が辞めて、今すぐにでも新しい教師を探しているところでした。あなたのことを話したら、とても喜んで、明日から来てほしいって言っていましたよ」と言いました。私は「なんて偶然なんでしょう、きっとこれは師父のご加護ですね」と言うと、同修も「そうです、師父のご加護ですね。さっそく感謝しましょう」と言い、2人で師父の法像の前に跪き、何度も感謝の言葉を捧げました。
翌日、私たちは一緒に新しい学校に行きました。オフィスに座ると、校長先生が「妹から話は聞いています。あなたは素晴らしい教師で、法輪功を学んでいて、道徳心が高く、教育にも優れていると聞いています」と。さらに、「私立学校は公立学校とは違います。ここで教えるには契約を交わしてもらいます。もし、うちの学校の環境や待遇、給与が気に入らなければ、いつでも辞めることができます。また、教育方法が合わず、生徒に体罰や叱責を与えたり、クラスの成績が3回連続で下位3位以内に入った場合、こちらから辞めてもらうことになります」と続けました。私はこのことに同意し、その場で署名し、ハンコを押しました。校長はその場で私を担任兼数学教師に任命しました。
私が教え始めた最初の月、私のクラスは成績が下から4番目でしたが、次の月には8位に上がり、3カ月目には3位にまで上昇しました。その際にボーナスをいただいたので、その全額で数学のノートを購入し、学校の印を押して、成績優秀な20人の生徒に配りました。生徒たちは、「先生は本当に良い教師です。自分のお金で私たちにノートを買って、賞品として配ってくれるなんて」ととても喜びました。私は「これは、皆さんが一生懸命勉強して得た成果のご褒美です。だから、あなたたちが受け取るべきものです」と答えました。ある生徒が「先生の教え方が良いからですよ。以前は私たちのクラスはいつも成績が悪く、こんなものをもらったことは一度もありませんでした」と言いました。私は「これからも一緒に頑張りましょう。次のボーナスが出たら、またノートを買って皆さんに渡しますね」と約束しました。
翌年、新学年が始まり、最初の月に私のクラスはついに1位を獲得しました。今回もボーナスをいただいたので、再び生徒たちにノートを購入し、配りました。それ以来、毎月の成績評価でクラスの順位が常に上位に入っており、私もその度に手に入れたボーナスで生徒たちにノートを買ってあげました。
これまでの教育の中で、私は常に師父の教えである「真・善・忍」を心に刻んできました。何をするにも、どんな困難に直面しても、大事か小事かを問わず、私は常に「真・善・忍」を基準にして自分を律してきました。生徒が規則を破ったり、喧嘩をしたり、授業をさぼったり、宿題を提出しなかったりした場合も、私は決して怒鳴ったり、批判したり、厳しく叱ることはせず、優しい口調で道理を説明し、例え話をしたり、励ましました。その結果、私のクラスでの生徒の過ちは次第に減り、ほとんどなくなりました。そして毎年、私のクラスは模範クラスに選ばれ、私も毎年、優秀教師として表彰されました。