心が動じない素晴らしさを体験する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年9月7日】私は今年80歳で、大法の中で28年間修煉しています。30代の頃から頻繁に風邪をひき、重度の不眠症に悩まされていました。時には10日から半月もの間、全く眠れず、日中はめまいがしていました。さらに、胃潰瘍などの病気も患い、あちこちの医者や薬を試し、他の気功にも頼りましたが、効果はほとんどありませんでした。年齢を重ねるにつれて、新たな病気も増え、不眠症はますます深刻になり、胆管の閉塞も加わりました。胆管切除手術を受けるために入院していたのですが、手術の前日に、法輪大法が病気に奇跡的な効果があると聞き、すぐに退院して家に帰りました。煉功を始めてから3カ月も経たないうちに、手術を受ける苦しみを免れるだけでなく、すべての病気が消え去りました。ここで、法輪大法の非凡さに感謝し、慈悲深く偉大な師父に救っていただいたことに感謝しています。

 法を得たばかりの頃、『轉法輪』を一通り読み終えたとき、「真・善・忍」の中でも特に「忍」の文字に注目しました。私は気性が荒かったからです。以前、職場では同僚から「率直すぎて、他人に害を与えるばかりで、防御する心は一切ない」と言われていました。私はこの一生で、悪い気性を変えることはできないだろうと思っていました。しかし、大法の修煉の中で私は変わり、まずは怒りを抑えることを学びました。非常に怒りを感じ、不公平だと感じても、まずは黙って我慢するようになりました。そのうち、忍耐が習慣となり、最終的には心から穏やかに、他人のことを考えて行動できるようになりました。

 人前で辱められても怒らず、本当の「不動心」の素晴らしさを体験

 2008年、世の人々に法輪功迫害の実態(以下、真相)を伝えたとして、不当に懲役3年6カ月の刑を受けました。当時、第二監区の刑務官指導員は非常に厳しく、私が転向しないのを見て、特別チームを編成し、さまざまな場面で私を侮辱し、辱めるために因縁をつけました。さらに、私の両手を手錠で窓に吊るすと脅しをかけました。一度、刑務官指導員は第二監区の300人以上の囚人を集め、私を舞台の前に呼び出し、電気警棒を手にして約1時間もの間、激しく罵倒し、300人以上の囚人に対して、私を批判するための文書を書くよう命じました。

 その時、私は静かに師父の法を暗唱していました。「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」(『精進要旨』「忍とは何か」)。暗唱していると、まるで彼女が罵倒しているのは私ではないかのように感じ、不動心でいられました。心の奥からの平静さと和やかさが溢れ出し、その辱めや罵倒がまるで自分とは無関係であるかのようでした。

 監房に戻り、寝る時、心の中で「法輪大法は本当に素晴らしい。私は怒らなくなった」と考えていました。もし、批判されることがあっても、必ず台の上で「法輪大法は素晴らしい!」と静かに叫ぼう。怒ってはならない、怒りは魔だから、と考えていました。(翌日、刑務所のある科長が調査に来て、どんな言葉で罵られたのか尋ねられましたが、私は全く覚えていませんでした)その後、刑務官指導員は、囚人たちが書いた何百枚もの批判文を集めて提出しただけで、結局、この大掛かりな批判会を開くことはなくなりました。このことは大法の力であり、慈悲深く偉大な師父が私を守ってくださったのだと悟りました。その後、刑期が満了するまで、誰も「転向」について、話を持ちかけてくることはありませんでした。

 留置場でも修煉者であることを忘れずに

 2020年、私は法輪功の資料を配布したことで、中国共産党の虚言に騙された誰かに通報され、公安により家宅捜索され、不当に留置所に拘禁されました。狭い監房に30人以上が詰め込まれ、夜は十数人が床で寝るしかありませんでした。どんな理由であれ、ここに一緒にいること自体が縁であり、彼女たちは私が救わなければならない衆生です。昼間、私は積極的に監房のリーダーに真相を伝えるようになり、そのうちお互いに好感を持ちました。

 監房では毎盤30分間、「号務会」(集会)が開かれ、全員が二言三言、発言しなければなりませんでした。他の収容者たちは「家が恋しい」とか、「子供に会いたい」などと、形だけの発言をしていましたが、私は修煉者として、これは真相を伝えて人々を救う絶好の機会と考えました。3日目、私の番が回ってきたので、私は「天安門自殺事件は捏造だ」「4.25陳情の真相」「なぜ、共産党は法輪功を迫害するのか」など、「捜査機関」で話した迫害の実態内容を知恵を使って話しました。

 毎晩、1つか2つの法輪功関連の真実を話しました。最初、彼女たちはカメラを気にして、話題を変えるように言ってきましたが、私は「カメラは音声も記録されていて、警察や当直の人が見ているかもしれません。ですから、誰が聞いてもかまいません。聞いたその人が恩恵を受け、福報を受けるのです」と答えました。特に、提審(ていしん。裁判をすること)された日の夜には、その時の会話を利用して、実際に法輪功についての真実を彼女たちに話しました。その頃になると、収容者やリーダーも私の話を聞くことを恐れず、提審の内容を話していると思っていたため、警察も特に注意しませんでした。

 こうして、私は毎晩この形式で1つの話題を話し、彼女たちはそれを楽しみにしていました。時には伝統文化に結びつけて話したり、時にはその場の状況に応じて話しました。例えば、ある収容者が「おばあちゃん、あなたは寝るのが本当に快適そうで、横になった途端にいびきをかいていましたよ」と言った時、私は法輪大法を修煉する前の不眠の苦しみと、修煉後の心身の変化について話しました。監房のリーダーは時々、その日の作業状況を簡単にまとめ、私に話す時間を作ってくれました。他の人に発言する時間を取られることを心配して、皆の前に座るようにと促してくれたり、必ず発言の順番が回るように配慮してくれました。 

 私が話し終わると、皆が拍手で認めてくれました。隣の監房の人がリーダーに「どうしてそんなに、しょっちゅう拍手しているの?」と聞いてきたので、「良いことがあったから」と答えていました。私が刑務所に移送されるまでの数カ月間、毎晩、法輪功の紹介や迫害の事実を話し続けましたが、警察からの干渉は一切ありませんでした。しかも皆、真相を聞く機会が得られたのです。

 ここで「三退」(中国共産党・団・隊の組織からの脱退)をした人は、合計43人に達しました。私は彼女たちに、「三退」をして初めて自分が救われ、平安を保つことができると伝えると、皆このことを信じました。しかし、私は3年半もの不当な刑期に処されたため、三退リストをオンラインで発表する機会がありませんでした。刑務所に入ってから1年ほど経ったとき、私は毎日そのリストを思い出していましたが、名前を忘れるのではないかと恐れていました。その後、リストを外に持ち出す機会はなく、帰る時には監房のリーダーの名前だけを覚えていました。他の人々については、再び縁のある人に出会えるように、祈ることしかできませんでした。

 真相を伝える中でのある小さなエピソード

 ある日、私は友人の車に乗って市内へ買い物に行くことになり、偶然にも友人の故郷から来た年配の男性を同乗させることになりました。道中、その男性に真相を話しましたが、最初はあまり受け入れようとしませんでした。彼には5人の息子がいて、皆、良い仕事に就いており、中には県長や社長もいるそうです。また、彼自身は何十年もの間、共産党の党員であり、脱退する気はないと言いました。私たちは正しい念を発しながら、脱退することは自分を救うためだと説明し続けました。

 ところが、翌朝まだ薄明かりの中、彼は故郷から約10里(約40キロ)を歩いて、友人の家にやって来ました。「昨日の人は、ここにいますか? 私は一晩中眠れませんでした。彼女が私の共産党脱退の件を忘れてしまうのではないかと心配だったので、朝早くここに確認しに来ました」と言いました。友人は「彼女はここにはいませんが、忘れることはありませんよ」と答えました。彼は笑って「それなら、安心しました」と言いました。

 この出来事は、私に深い感銘を与えました。私は怠けてはいけません。大法の一粒子として師を助け、法を正す責任は重大です。

 慈悲深い師父が私を導き昇華させてくださり、(欲望の多い)人間界から引き離してくださることに感謝します。明慧ネットの同修たちが粘り強く努力してくださっているおかげで、交流記事を通して多くのことを学び、多大な恩恵を受け、無比の幸運を感じています。正法は終盤に近づいています。私は法をしっかりと学び、真に修煉し、自分を正しく修め、正念をもって多くの人を救い、師父の真の弟子となる決意です。

 師尊に心から感謝申し上げます!

 同修たちにも感謝いたします!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/8/30/481032.html)
 
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