心構えと舞踊について 誹謗中傷事件に関する個人的見解
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文/カナダの大法弟子

 【明慧日本2024年9月8日】最近、ニューヨーク・タイムズは神韻、飛天大学、法輪大法を誹謗中傷する3つの記事を立て続けに発表しました。ここでは、この事件に対する個人的な見解と、この段階での個人的な感想を述べたいと思います。

 心構えについて

 まず、この事件について、師父が2024年6月5日の経文『法難』の中で非常に明確に語っておられると思います。同修の皆様には、『法難』の経文を何度か読み返し、拝読することをお勧めします。最近この経文を読んでいる過程で、この事件に関して師父が前もってすべての衆生に最大限のチャンスを与えてくださっていたと悟りました。その中には、あまり精進していない大法弟子や、現在妨害を受けている人々も含まれています。

 この段階で深く悟ったのは、修煉において非常に重要な一面は、自分が修煉をよくしたいという願望と、師父と法を100%信じる揺るぎない正念だということです。なぜなら、「修は己にありて、功は師にあり」、「師は入口まで導くが、修行は各自にあり」(『轉法輪』)だからです。人々に真相を伝え三退を勧める際も、衆生を本当に救えるかどうか、その背後にある複雑な要因や巨大な業力の解決と負担は、すべて師父がしてくださっています。私たちは口を動かし足を運ぶだけなのに、そんな大きな威徳がすべて与えられ、救われた衆生も私たち自身の世界の衆生になる可能性が高いのです。そう考えると、修煉で遭遇するさまざまな魔難も、実は自分自身が作り出した業力なのです。

 師父はすでに私たちのために、言葉では言い表せないほど巨大な業力を取り除いてくださいました。残された業力も、師父が異なる修煉段階に配置してくださったもので、その目的は私たち自身が向上し、真・善・忍の特性に反するものを取り除き、私たちを清めることにあります。できることは、ただ師父の恩に感謝し、絶えず精進し、最大限に衆生を救い、師父が法を正すことに手伝い、史前の誓約を果たすことだけです。

 同修の多くの交流文章を読むことで、次のように悟りました。真に精進し、大法と修煉の機会を大切にする人々にとって、自分が精進しているかどうかという問題について、ほとんどの人が自分はまだ足りない、まだ基準からはほど遠いと感じています。自分がどれほど能力があるかを自慢する人はほとんどいません。ただ絶えず師父に感謝し、この万古の機会を大切にすることこそが、正しい心構えだと思います。

 自分はすでにとても苦労したとか疲れたと感じたり、他人が足りないとか自分に負い目があると思ったりする人がいますが、この状態は非常に危険だと考えます。急いで修煉を学び、急いで内に向かって探す必要があります。なぜなら、もし不満や不平を感じているなら、それはまさに真・善・忍に合致しない部分であり、修煉によって取り除く必要がある部分だからです。しかし、このとき内に向かって探さずに、逆に不満をぶちまけてしまうのは、悪い物質を自分だと思い込み、妨害されることを自ら望んでいるようなものではないでしょうか。このまま続けると、自ら堕落し、悪い物質や新しい宇宙に入る資格のない部分に近づいていくことにならないでしょうか。

 次に、個人的にこの段階で悟ったのは、宇宙大法を修煉する者として、全宇宙で最も幸運な生命として、どんなに精進しても精進したとは言えず、どんなに厳粛であってももっと厳粛になれるということです。衆生を救うために何をしても多すぎることはありません。

 ダンス訓練について

 最近、舞踊の訓練について不明確な、あるいは疑問を呈する声を耳にしたので、プロのダンサーとして、実際の訓練生活を皆さんと共有したいと思います。

 私は中国本土から海外に来た留学生です。幼い頃からダンスを練習し、中学校でプロの舞踊訓練を受け始め、高校で芸術高校に入学し正式にプロの訓練を開始しました。その後、大学の学部に入学し、中国舞踊学を専攻しました。

 中国では高校の集中訓練期間中、一日の訓練生活は朝6時30分の早朝クラスから始まります。1時間休憩して朝食を取り、その後正午まで訓練が続きます。各クラスは約2時間で、クラス間の休憩は10分です。その後1時間半から2時間の昼休みがあります。午後は各自が自発的に教室に早めに来て体を動かします。午後の訓練は6時30分まで続き、しばらく休憩した後、7時40分から夜間クラスが始まり、10時40分まで続きます。時には延長して更に遅くまで行うこともあります。

 まとめると、毎日少なくとも約11〜12時間の訓練時間があります。また、毎週または不定期に専門の教師が体重チェックを行い、記録を取ります。なぜなら、体型の基準を満たすことは、プロの学生として最低限の素養だからです。この要求は最低レベルです。

 このように、子供の頃から基礎があり、高校で3年間集中訓練を受け、比較的優秀な者だけが中国の学部に入学できます。そのうえ、家庭に十分な経済力がなければなりません。これ以外に、自身の条件がより優れていて、幼い頃から絶え間なく厳しい訓練を受けてきた者が、北京舞踊学院や中央民族大学などの中国一流の舞踊の学校に入学できるのです。これがさらにプロフェッショナルな学生たちです。彼らが流した汗と費やしたお金は、私たちの何倍も多いのです。さらに上のレベルになると、中国一流の舞踊家として、直接中国一流の劇場やダンスカンパニーに正式契約の舞踊家として入団します。このレベルの人は一万人に一人の逸材です。

 「舞台上の1分は舞台裏の10年の努力」という言葉を皆知っています。舞台上で輝く1秒の背後には、数え切れないほどの苦労と汗があります。そのトレーニングの強度は私たちの10倍、数十倍以上にもなります。多くのプロの舞踊家は、体重を維持するためだけに、多くの場合一日にリンゴ1個とコーヒー1杯しか口にせず、それでも大量のトレーニングを続けなければならないと聞きます。このレベルでさえ、中国国内の一流にすぎません。

 では、世界一流とはどういうことでしょうか? 舞踊家のプロフェッショナリズムへの要求は想像を絶するものです。実際、多くの場合、神韻の出演者や飛天大学の学生たちをとても羨ましく思います。プロの教師の指導の下で着実に向上し、後から乱雑に改変されていない、最も純粋な中華民族の伝統的な舞踊の技術を学んでいます。さらに、そのような素晴らしい環境の中で、最も純粋な技術を学びながら、互いに切磋琢磨し、修煉を進めることができるのです。最も重要なのは、世界一流の舞踊家になる機会があり、世界最高峰の劇場で公演し、さらに衆生を救度できることです。これはなんと素晴らしく、殊勝なことでしょう!

 しかし、最近これらの出来事が起こった後、自分自身を反省しました。内に向かって探した結果、やはり神韻の出演者に対する羨望の心、さらには嫉妬心さえ見つかりました。落ち着いてよく考えてみると、修煉は厳粛なものであり、いつでも私たちの修煉が堅実かどうかを試しており、いつでも自分を修めなければならず、どんな環境や形式にも頼ることはできず、絶対に近道はないということがより一層理解できました。次に、私たち一人一人が師父が配置してくださった道を大切にすべきだと思います。どんなプロジェクトを行っていても、実は私たちに純粋に人を救おうとする心があるかどうかを見ているのであって、どれだけ華やかで有名か、あるいはどれだけ成果があるかは重要ではありません。これらはすべて人心や人の念にすぎません。

 最後に、誰であれ、ダンスの道を歩むことを決めたのなら、まずこれがどのような道なのかを心の中で明確にする必要があると考えます。なぜなら、どの分野にもその分野で最低限必要な要求と基準があるからです。そして、ある程度の決意が必要です。そうでなければ、軽々しく一つの道を歩むべきではありません。やるからには、しっかりとやるべきです。

 修煉者として、修煉者の一生はすべて配置されています。幸運にもダンサーや出演者になれたのなら、さらに衆生を救い済度する使命を背負っているのです。数千人、あるいはそれ以上の人々の舞台で、真の中国五千年の神伝文化を披露し、衆生を救い済度すると同時に、後世の人々のためにこの素晴らしい神伝文化の基礎を築き、一つ一つの舞姿で最も美しく最も神聖な歴史を書いているのです。これは非常に大切にし、感謝すべきことではないでしょうか?

 もし修煉者として行動や思想が法に則っておらず、間違いを犯したり、あるいは舞踊家として世界一流の水準や要求に達していなかったりしたら、確実に要求に達している人が補う必要があります。そうすることで、神韻の評判を保ち、人を救うという目的を達成できるのです。逆に、もし本当に自分の問題で他の人に交代されたのなら、まずすべきことは、すぐに内に向かって探し、どこに漏れがあるのか、どこが三つのことをこの神聖な位置で十分にできなくさせているのかを見極めることです。そして、代わりに入ることができた同修に感謝し、神韻をさらに良いものにし続けてくれることを喜ぶべきではないでしょうか。しかし、このとき適切に損失を食い止めず、かえって間違いを重ね、さらには大きな禍根を残し、師父が何度も与えてくださった機会さえ大切にしないとしたら、これは単なる不平を言う事態ではないでしょう。

 さらに、時々同修から神韻のチケット価格について聞くことがあります。価格が高いと感じる人もいるようです。中国舞踊のショーは中国国内では比較的多くあります。もしこれが一般的なダンスショーや舞台公演だとしても、会場のレンタル、宣伝広告、舞台設営、衣装や小道具、楽器、ダンサーたちの食事や宿泊、交通費など、さまざまな費用がかかります。そのため、一般的に価格はそれほど低くはなく、最低限の基準があり、むしろ高額になることが多いです。これは一般的な公演の場合です。

 神韻は世界一流の公演です。さらに海外での公演ですから、当然ドルやカナダドルなどの通貨単位になります。この価格は本当に高くないと思います。師父の慈悲により、すでに最も適切な価格に設定されているのです。

 私たちは神韻の位置づけと評判を保証する必要があるため、価格に関してこれ以上何か考えるべきではないと思います。師父はこの面に関する法理も明確に説かれています。これもまた、私たちが師父と法を信じているか、法を学んでいるかが堅実かどうかを試すものだと考えます。

 師父の慈悲深い救度とご配慮に感謝いたします。個人的な浅い見解で、不適切な点がありましたら、同修の皆様からの慈悲深いご指摘をお願いいたします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/8/22/481084.html)
 
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