文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年9月8日】私は1997年に法輪大法を学び始めた弟子です。2016年7月のある日、私は電動バイクに乗っていて、十字路で小型トラックと衝突しました。その時、両方の車両はかなりのスピードで交差点に向かっていました。「ドン」という音が聞こえた後、私は意識がなくなりました。
どれくらい時間が経ったのか分かりませんが、徐々に意識が戻り、心の中にはただ一つの念だけがありました。「師父、師父、法輪大法は素晴らしい、師父、師父、法輪大法は素晴らしい」と何度も繰り返していました。この時、小型トラックの運転手が私を起こそうとしましたが、私は「動かさないでください。自分で起きますから」と言いました。
私はゆっくりと立ち上がり、自分の体を確認しましたが、大きな怪我はなく、左腕が少し痛むだけでしたが、電動バイクは衝撃で歪んでしまって壊れていました。私をはねた小型トラックのボンネットを見てみると、私の体がぶつかってできた凹みがあり、人体の右側の形、右腕の形、右大腿の形の凹みができていました。その衝撃力はかなりのものでした。
その時、周りには多くの人が駆け寄ってきて、私は急いで運転手に「早く行ってください。人が増えたら、ここから動けなくなりますよ」と言ったのですが、運転手は私を病院に連れて行こうとしました。運転手は、私の電動バイクを彼のトラックに積んで運ぼうとしましたが、私は頑として拒否しました。
「私は法輪功を修煉しているので、神が守ってくれるから大丈夫です」と言いました。運転手は私が彼をだまそうとしているのではないかと心配しており、「病院に行かないなら、交警隊(交通警察署)に行きましょう。私の車には保険がかかっています」と言いました。それで、私たちは交警隊に行き、処理を待っている間、私は運転手に法輪功が迫害されている真実を伝えました。中国共産党の邪悪な嘘を信じないようにと話し、法輪大法は正法であることを説明し、彼に三退を勧めました。運転手はとても感動していました。また、私は門衛にも真実を伝え、彼にも三退を勧めました。
事故を処理していた交警(交通警察)が監視カメラの映像を確認したところ、私は車にぶつかって空中に投げ出され、3回転して地面に落ち、左側の頭から着地していました。交警は「これだけの衝撃で、しかも無事に立っていられるなんて、本当に奇跡だ」と言いました。
処理の結果、運転手が全面的に責任を負い、私の仕事を休んだ分の補償費や、医療費などすべての費用を負担し、多額の賠償金を支払うことになりました。しかし、私は彼のお金を受け取りませんでした。さらに、私は彼に「今後もあなたを困らせない」という内容を書いて渡しました。
交警は「第一報を警察に届けなかったこと」と「事故現場を破壊したこと」を理由に、運転手に5,000元の罰金を科そうとしましたが、私は「彼は善良な人です。最初に考えたのは私を救うことで、急いで私を病院に連れて行こうとしました。だから、現場を破壊したことにはなりません。罰金は免除してあげてください。皆が大変なんですから」と頼みました。交警は「こんな人は見たことがない。賠償金をもらわないどころか、運転手のために情けをかけるなんて。私たちはすでに出動したので、罰金は課さないと上に報告できません」と言いました。最終的に、私の度重なるお願いで、交警は運転手に50元の罰金を科して事件を解決しました。運転手は何度も感謝し、良い人に出会えたと言いました。私は「感謝するなら、私の師父に感謝してください」と答えました。
事故処理の全過程において、私は正しい念と行動を保ち、修煉者としての基準に従って自分を律し、完全に師父と法を信じていました。このような大きな出来事が起こったのは決して偶然ではなく、きっと私が修煉すべき心を取り除き、向上するための要因があったのだと思いました。
ところが、大丈夫だと思っていたのに、翌朝、私は起き上がれなくなっていました。全身が痛み、まるで骨がばらばらになったようでした。左側の頭蓋骨には卵大の凹みができており、頸椎は傷ついて頭を回すことができず、腰椎も支えが効かず、動くこともできませんでした。私は、試練の時が来たことを知り、自分の生死をすべて師父に委ねました。
歯を食いしばって何とか耐え、少しずつ、ゆっくりと起き上がり、煉功を始めました。抱輪を行うとき、両手は震え、胸の前までしか上げられず、汗が顔を伝って流れ落ちました。両足は立っていられないほどでしたが、私はベッドに寄りかかりながらも、何とか最後まで煉功をやり遂げました。
私は朝1回煉功し、晩また1回煉功して、1日2回煉功を続け、毎日少しずつ改善していきました。6日目には、師父のご加持のおかげで、首を回せるようになり、凹んでいた頭蓋骨も平らになり、修煉の動作も正確にできるようになり、すべてが正常に戻りました。
たった半月の休養で私は職場に復帰しました。同僚たちは皆、「奇跡だ!」と言いました。普通の人なら1年は寝たきりになっていたでしょう。これほどの大きな困難に遭遇したのは、一つの命を返したことだと思いました。私は表面上の苦しみを受けただけで、もっと大きな苦しみは師父が代わりに背負ってくださったのです。
法輪大法の修煉は本当に不思議なものです。振り返ってみると、少し怖くなります。もしあの時、私が心性を保てずに病院に行っていたら、病院は経済的な利益のために開頭手術や牽引療法を行っていたかもしれません。そうなれば、私は植物人間になっていたかもしれませんし、運転手も災難に巻き込まれていたでしょう。もし私が法輪大法を修煉していなかったら、あのようなひどい事故に遭っていたら、運転手に後半生の面倒を見てもらっていたかもしれません。
今、私は修煉をしているので、師父の教えを守り、他人のことを考えて行動します。師父は私の心性が十分に到達したことを見て、この生死の試練を乗り越える手助けをしてくださいました。これらのことを思い出すたびに、感謝の涙が止まりません。
この大きな試練の経由を書き出し、法輪大法の超常的で素晴らしい力を証明します。慈悲深く偉大な師父に感謝いたします。
弟子を救ってくださり、弟子の苦難を代わりに背負ってくださったことに感謝いたします。弟子は精進し、しっかりと修煉し、三つのことをきちんと行い、多くの人を救い、円満成就して師父について帰ります。