文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年10月12日】
法があれば、どのようにすべきかがわかる
いつのことだったか忘れましたが、ある年、市場で物を売っていたとき、同修が私のところにやって来て、「あなたは○○さんですか?」と聞かれました。私は「そうです」と答えると、彼は「昨日、市の公安局で会議があり、大法弟子を連行する計画があって、あなたもその対象になっています。ここ数日は市場に来ないで、しばらく他の場所に避難した方がいい」と忠告されました。私はその時、軽く笑って「わかりました、どうすればいいですか」と聞きました。彼は私があまり深刻に受け取っていないのを見て、「これは同修からの内部情報です。他の人たちにも通知しましたが、あなたは(公安局の)ブラックリストに載っているので、特に気をつけてください」と言いました。
その夜、別の同修からまた電話がありました。「今朝、あなたに話したこと、絶対に軽く考えないでください。本当ですから」と言われました。私は「どうすればいいのか、分かっています」と答え、電話を切りました。すると、しばらくしてその同修が慌ててバイクに乗ってやって来て、「あなたがあまり深刻に受け止めていないように聞こえたのです! 彼らは明日、市場であなたを連行するつもりです。絶対にこの数日間は市場に行かないで、他の場所か親戚の家に避難してください」と言いました。私は「大法弟子は、大法弟子がすべきことをするべきだ」と思い、隠れることは法に合わないと思いました。心の中ではどうすればいいか分かっていたものの、法理の上ではまだはっきりと言葉にできませんでした。それで同修に「どうすればいいか分かっているから、大丈夫です。帰ってください」と言いました。彼は心配しながらも、何度も注意を促しながら帰っていきました。
翌朝、私は起床して間もなく、同修からまた電話がありました。私は適当に返事をして電話を切りました。そして、商品を整理して市場に向かおうとしていたところ、同修がまたバイクでやって来て、「どうして言うことを聞かないの⁈ 他の人たちはみんな避難したのに、あなただけが聞いていない」と言いました。「私は、真相を伝えること自体が迫害に反対することであり、旧勢力は私に手を出すことができないと悟っています」と答えました。そのとき、夫も心配し始めて、「今日だけは市場に行かないで。外からドアに鍵をかけておくから、家でしっかり法を学んだらどうだ?」と言いました。私も少し心が揺れましたが、このとき、彼らを説得できる法理が見つからず、ただ「彼らは法に基づいていない」と思っていました。それで、「わかりました。あなたたちは仕事に行ってください。私は静かに考えてみます」と言いました。
彼らが出かけた後、私はこう考えました。師父が「真相を伝えることは万能の鍵のように」(『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」)とおっしゃったことを思い出しました。私は、真相を伝えること自体は迫害に反対することであり、大法弟子として、師父が誹謗中傷され、大法がデマで中傷されているのに、真相を伝えなければ大法弟子とは言えないのではないか、と理解しました。しかし、真相を伝えに出かけると連行されるかもしれません。どうすればいいのだろう。その瞬間、とても苦しく感じて、思わず「師父、修煉は本当に苦しいです」と言いました。すると突然、師父の法が私の脳裏に過りました。「修煉そのものが苦しいわけではありません。肝心なのは常人の執着を放下できないからです」(『精進要旨』「真修」)
私は一瞬にして全身が振動を感じました。「私は常人のどんな執着を放下していないのか?」と考えました。そうだ、私は結果を考えていたのです。「どうして、真相を伝えたら必ず連行されることはないと信じてしまったのだろう?」と気づきました。そのとき、『轉法輪』の法理が次々と頭に浮かびました……。心が一瞬で明るくなり、全身が軽く感じられました。私は鍵を手に取り、車に乗り、市場に向かいました。
師父が居られ、どのようにすべきかわかる
ある日、町で肉を買っていると、政府関係者が法輪大法を中傷する標語を貼っているのを見かけました。私は肉屋の人に、「私はあの標語を剥がします」と言いました。すると彼は慌てて「やめなさい、彼らは今貼ったばかりで、まだ遠くに行っていない。捕まると大変だよ」と言いました。私は「大丈夫、もし怖いなら、向こうに向いてみないでください」と言いました。
私は肉を持ってその場に歩いて行きました。その標語の文字はとても大きく、手で剥がそうとしましたが、まだ糊が温かくてうまく剥がれませんでした。指の爪を使って一枚一枚慎重に剥がしていたところ、視界の反射で私の背後に白いパトカーが「キュッ」と音を立てて止まるのが見えました。私は瞬間的に髪の毛が逆立ち、全身の毛穴が爆発するような感じ、恐怖心が現れそうになりました。私はすぐに師父に加持をお願いし、一瞬で「ふうっ」と全身が静まり返り、落ち着きを取り戻しました。そしてもう一文字剥がすと、その標語の意味が分からなくなり、私は立ち去りました。
振り返って見ると、なんとそれはパトカーではなく、商工会議所の数人が車の前で呆然と立って私を見ていました。私は表情を変えずにそのまま歩き続け、50歩ほど進んだ時に、恐怖心が「ぶわっ」と湧いてきました。100歩ほど歩いた時には、人間的な考えが一気に浮かび、恐怖に支配されそうになり、走り出したくなりました。しかし、理性が「走ってはいけない」と私自身に言い聞かせました。さらに10数歩進んだ時には、恐怖心がすっかり消え去り、私は堂々と家に帰りました。
まさに師父がいてくださり、法があるのだから、恐れることがあるでしょうか?!
師父に感謝を申し上げます!