文/中国の大法弟子 如意
【明慧日本2024年10月12日】最近、ある同修の体調が非常に悪く、全身が痛み、腰も痛く、咳も止まらない状態でした。この同修が私に電話をかけてきて、家に来てほしいと言いました。私は彼女の家に行きました。彼女は「腰が痛くて、起き上がれない。どうしてこんなに苦しいのですか? 教えて下さい」と私に言いました。私は心の中で「そんな話は必要ではない」と、彼女と話し合いました。話し合いが終わって励ましの言葉をかけ「法を学びましょう!」と言いました。彼女は「分かりました」と言い、痛みと苦しさに耐えながら、弱りきった身体をゆっくりと起こして座りました。
私たちは真剣に法を学び始めました。私は法を学ぶときはいつも両足を組み、身体をまっすぐにして一生懸命取り組んでいました。それが同修に正のエネルギーを感じさせ、法を学ぶことの厳粛さと神聖さを伝えることができました。私は彼女の痛みに注目せず、人間的な感情に流されないようにし、同修の受け入れ能力に合わせて、彼女に負担をかけないよう心がけました。彼女はとても苦労しながら、一講の法を学び終えました。学び終わった後、私は「もう帰るね! 送ってくれる?」と聞きました。彼女は床から降り、寝室のドアまで歩いてきました。私は「もう戻っていいよ!」と言うと、彼女は微笑みながら彼女の夫に「見て、私、歩けるようになった!」と言いました。
その日の午後、私は再び彼女の家に行き、2人で第五講を学びました。学び終えた後、私は彼女に「明日の午前中は来ないから、自分で第六講を読んでね」と伝えました。彼女は「分かりました」と答えました。翌日の午後、私は彼女の家に行くと、彼女が自ら出迎えてくれて、昨日よりも状態が良くなっていました。そのとき私は心の中で「きっと何か自分の執着心を見つけて、正しく修めたのだろう。それで身体の状態がこんなに早く回復した」と思いましたが、何も言わずに法の学法を始めました。学法が終わった後、彼女は「昨日は、第六講を読むのにとても疲れました」と言いました。私は「全部読み終えたの?」と尋ねると、彼女は「読み終えたけど、すごく疲れて、眠くて、目がかすんで、3時間かけてやっと読み終えました」と答えました。私は微笑みながら、「あなたがドアを開けてくれたときに、今日は昨日よりもずっと良い状態だって思いました。きっと心性が向上し法を学ぶ関門を乗り越えたんですね」と言いました。彼女は「私も今日の状態がとても良いと感じています。関門を乗り越えるときには、『乗り越えれば良い』とは考えず、『どんなことがあっても学び終えなければ』と思っていただけだった」と言いました。私は「あなたは成し遂げたんですよ。それこそが修煉ですよ。正念を育て、求めることなく得るのが法に符合しているから、大法の力がすぐに現れたんですね。昨日のあなたと今日のあなたはまるで別人です。奇跡ですね」と言いました。彼女は「ありがとう。あなたの正念は本当に強い。人を責めることなく、法に基づいて交流してくれています」と言いました。
同修が私を褒めてくれて、彼女がこんなに早く良い状態に回復出来たのを見て、時々私は歓喜の心が出てきそうになりますが、その瞬間に自分を抑えて、「これは私の歓喜心ではない。誇ることなんて何もない。すべては師父がしてくださっていることなのだ」と考えることで、心を落ち着かせました。それからというもの、その同修は毎日3講の法を学び、師に手伝って正法の大道を歩んでいます。
同修と協力する際には、常に表面的な現象に基づいて話すのを避けるべきです。例えば、「もっと法を学べば、身体が良くなる」と言うと、彼女が「もっと法を学べば良くなる」と考えてしまい、求める心を持って法を学ぶことになり、感情的な理解にとどまるので、良い結果は得られません。私たちは観念を変え、立場を変えて考えるべきです。彼女がどこが悪いとか、どこが不調だとか、そういったことを考える必要はありません。ただ、何も求めず、心を静めて法を学び、同修と一緒に法を学び、正念を発し、法に基づいて交流し、彼女の「病気」について一切触れないようにします。ある程度の期間それを続け、心を静めて法を学び、法に照らして自分のどこが間違っているかを見つけ、法の要求に従って自分を正していけば、正しくない状態が自然に正されるでしょう。「病気」の同修を助ける際には、これが非常に重要です。
私は1999年4月に大法の修煉を始める機会に恵まれ、心身共に大きな恩恵を受けました。師父の御慈悲と御加護のおかげで、私は今日まで歩んでくることができ、本当に幸運です。師父は私を地獄から救い上げ、私の体を清め、私の大部分の業力を消してくださいました。弟子は師父に対する感謝の気持ちを言葉では言い表すことが出来ません。弟子は修煉を通して師父への御恩に報いるしかありません。2010年以前の私は、あまり法を学んでおらず、外で働きながら、三つのこともうまく出来ていませんでした。ある日、「このままではいけない、このままでは再び修煉をしない状態に戻ってしまう」と思い、「ダメだ、家に帰ろう」と決心しました。そうして2010年の8月末に家に帰りました。家では簡単に生活の準備をして、すぐに大量の法を学び始めました。それ以来、私は毎日最低でも3講は学ぶことを自分に課し、心を静めて法を学ぶことに専念しました。一切怠けず、形式に流されず、求める心を持たずに法を学ぶように心がけました。この4~5年間、大量の法を学び、内に向かって自分を探し、不純な人心を放下し、自我を捨て、毎日充実感を持ち、良好な状態で、確固たる意志を持って法を実証する輝かしい道を歩んでいます。
この文章は私個人の悟りであり、法に基づかない部分がありましたら、どうか同修の慈悲によるご指摘をお願いいたします。