文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年10月19日】夫はいつもゴミ袋をセットしていないゴミ箱に痰を吐き、時々タバコを吸い、その吸い殻もゴミ箱に捨てます。ゴミ箱は何日もそのままで、彼の部屋はいつも臭い匂いがこもっています。以前の私は、自分で買い物に行き、洗濯や料理、掃除といった家事をほとんど全部こなし、家のすべての支出も私が負担していました。夫は毎日、自分の年金で好きなようにお金を使い、家事にはほとんど手を出さないので、このことに私はいつも腹を立てていました。そして私は、まったく報酬ももらわず、高額な給与でもって働いている奉公人のように、子供を産み育て、家を建て、息子が家を買って結婚する時も、娘が嫁に出るときの祝い事まで、すべて一人で切り盛りしてきました。それは本当に苦労の連続でした。
法輪大法を修めた後は、これらのことにこだわらなくなり、夫を責めることもほとんどなくなりました。今では、夫が自分で吸ったタバコの吸い殻や痰くらいは、自分でゴミ袋を持って下に捨てに行くのは当たり前だと思っています。
しかし、夫がゴミを捨てに行くのは、いつも私が台所で忙しくしているときです。ゴミ箱からゴミ袋に移すときの臭いが本当に耐えられませんでした。そこで私は「どうして毎回、私が台所で忙しくしているときにゴミを捨てるの?」と夫に問い詰めました。私はとても腹が立ちましたが、夫はまったく私の言うことを気にしていない様子でした。たまたま同修にこのことを話すと、私の怒りはまだ収まっていなかったのです。
常人の理屈からすれば、私がお金も出して家事も全部こなしているので、夫が自分のゴミを自分で処理するのは当然のことです。しかし、私は修煉者です。法輪佛法の修煉者であり、宇宙のすべての生命が私を見守っていて、私がトラブルに直面したときにどう対処するかを見ているのです。同修は私の怒りを聞いて笑いながら言いました。「あら、それってあなたが汚れを嫌がり、面倒を避け、苦労を嫌がる心を取り除くための試練じゃないの? もっと心の容量を広げるべきじゃない? 毎日ゴミを捨てるときに彼のゴミも一緒に捨てれば、何の問題もなくなるわよ」
その一言で目が覚めたような気がしました。「ああ、そうか、当事者は見えないこともあるけれど、傍から見ればわかるものだ」。私は修煉者であり、不満や困難に出会うことはすべて、私の執着や人心を取り除くためであり、私を天へ昇る梯子に導いてくれるものです。神や佛の目には、苦労をすればするほど業力が消え、これは良いことではないでしょうか? 私は喜んで苦労を受け入れるべきで、なぜ文句を言っていたのか、と思いました。
考えを切り替えた瞬間、心の中の曇りが晴れ、心がすっきりしました。「よし、これからは私が彼のゴミも引き受けて、先に処理してあげよう」と決めました。
それ以来、私は毎日彼の部屋のゴミもまとめて、他のゴミと一緒に捨てるようになりました。今では彼の部屋には臭いもなくなりました。もちろん、夫も私の思いやりにとても満足し、喜んでいます。同修も私の話を聞いて喜んでくれ、「あなたは本当に真の修煉者だね、悟ったらすぐに実行するなんて」と言ってくれました。
ここまで書いて、私は悟りました。修煉者はどんなことをするにも他人を考えるべきであり、私は自分が少しでも多くのことをし、もっと苦労を引き受け、小さな僧侶のように「苦しみを楽しみにする」(『洪吟』「その心志を苦しめる」)ことで、天への梯子を一歩一歩登っていくのです。
師父に感謝いたします!