大法の修煉で善を修める
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文/中国の大法弟子 小慈

 【明慧日本2024年10月20日】私は大法を修煉して約20年になります。自分はこの世界で最も幸運な人間だと感じており、大法を得て修煉する機会に恵まれたことを幸せに思います。

 師父は私の命を救ってくださった

 1999年の中共による迫害が始まる前、私は家族と一緒に大法を学びましたが、その当時は若く、しっかり学んでいなかったので理解できず、常人の中に迷い、無意識に多くの業を積んでしまいました。30代の頃、流産を経験し、手術後ずっと腹痛が続いて回復せず、何度も入院しましたが効果がありませんでした。最後には、医者が非常に強力な鎮痛剤を使ってようやく歩けるようになりました。私が法輪大法を修煉しようと決心したことで、間もなく自由に動けるようになり、そこから返本帰真の道を歩み始めました。

 その後、私は二度にわたり生死の関を経験しましたが、どちらも師父が私の命を救ってくださいました。

 最初の出来事は、下半身から液体が流れ出し、次第に量が増えて、腹痛を伴い、何年も続く非常に苦しいものでした。子宮がんの症状に似ていると言われましたが、私は恐れず、気にせず、これが自分の業力によるものだと理解していました。私は大法と師父を信じており、多くの同修が絶望的な状況から救われた事例を目にし、聞いていたので、自信を持って正法修煉の道を歩んでいました。症状は次第に軽くなり、最終的に完全に治りました。

 二度目は子宮からの大量出血でした。それでも私は普段通り出勤しましたが、短時間ごとにトイレに行かなければならず、時には座って数分してまた行かなければならないこともありました。体は力が入らず、寒さを恐れてたくさんの服を着ていました。以前は服装に特に気を使っていたため、同僚から「最近はあまりおしゃれじゃないね」と冗談を言われたこともありました。

 私と同じような症状を持っていた友人は、最終的に子宮を摘出せざるを得ませんでした。ある日、その友人が私の家に来た時、私の顔色を見て開口一番、「一人で家にいるの?」と聞きました。私が「そうよ」と答えると、彼女はすぐに「それは危険すぎる。血液のヘモグロビン値が低すぎて、いつ倒れてもおかしくないのに、誰も病院に連れて行ってくれなかったらどうするの?」と言いました。私は笑って「師父がおられるから大丈夫」と答えました。

 ある時、職場の上司が体調を崩し、私が付き添って専門医の診察を受けに行きました。ところがその専門医は上司には何も言わず、私に向かって「あなたの爪には全く色がないですね。あなたは貧血がとても深刻です」と言いました。しかし、私は自分の体調について全く気にせず、すぐに良くなるだろうと感じていました。私はただ大量に法を学び、同修のところで一緒に学法をし、自分を修煉者として扱い、すべてを正常に保ちました。数カ月後、私は回復しました。後になってその上司は「今回あなたはもうダメかと思っていたけど、まさか良くなるなんて」と言いました。

 慈悲で偉大なる師父に感謝しています。師父は業力に満ちた私のような弟子を見捨てることなく、何度も救い、浄化してくださいました。今では私は健康で、肌も白く、人々は私を見て「50代には見えない、まるで30代か40代のようだ」と言い、羨ましがられます。すべては大法の恩恵のおかげです。

 義母は「あなたは本当に善良な人ね!」と言ってくれた

 私は子どもの頃から勉強がよくでき、性格も素直だったので、常に両親、先生、同級生、上司、同僚から好かれていました。そのため、プライドが高く、耳障りな言葉は聞きたくないという、少し高慢な性格をしていました。その後、私は義母という存在に出会いました。

 義父母は再婚同士でした。結婚した時、義父はすでに80歳を超えており、2人の息子と1人の娘がいました。義母は70代で、2人の息子がいました。彼らが結婚した際、双方の子どもたちは、「両親は年を取っているので、体が動かなくなったら、それぞれの子どもたちが世話をする」という約束を交わしました。

 私の夫は義母の末っ子で、私たちはこの再婚家族の中で最も若い世帯です。2015年から、義父母と私たち一家3人が一緒に暮らすようになりました。私は気が進まなかったものの、大法弟子として両親の面倒を見ることは当然だと考えていました。

 夫は忙しく、家にいないことが多いのですが、私の生活は決して平穏ではありませんでした。義母の口論を聞くのは日常茶飯事で、時には朝から晩まで、義母は義父を責め続け、時には罵倒することさえありました。それでも義父は黙っていました。義母が気に入らないことがあると、私に向かって30分以上も叱りつけることがあり、私が黙っているとようやく離れていきます。義母は孫が気に入らない時も、泣き叫んで「心臓病になる」と騒ぎ立て、孫に謝罪を強要することもありました。また、義母はしばしば家政婦を泥棒呼ばわりし、大声で罵ることもありました。私は心の底から義母に対して良い印象を持てず、「なんて無教養なんだ」と思いました。さらに、義母の甲高い声を聞くだけで嫌悪感が湧くようになりました。夫もついに我慢できなくなり、義母を責めましたが、私はその時、心の中はとても痛快でした。

 しかし、私は修煉者です。とても悩んでいます! 師父は私たちに「良い人になり、さらに良い人になりなさい」と教えてくださっていますが、私は自分の義母にさえも優しく接することができていません。朝、師父にお香を捧げる時、よく「義母に優しくする」と師父に誓いましたが、義母と向き合うと、突発的な出来事にすぐ感情が揺さぶられ、怒りが抑えられませんでした。長年積み重なった恨みが深く、大きくなっていたのです。私はどうしたらいいのでしょうか!

 そこで私は『轉法輪』や、師父の経文『精進要旨』の「境界」を暗誦し始めました。すると、歪んで執着していた「人を見下す心」が少しずつ落ち着いていき、すべては業力との因縁であることを理解しました。義母も体が悪く可哀想だと思えるようになりました。私は彼女に食べ物や使う物、着る物をよく買い、様々な手伝いをしました。次第に義父母も私たちを一番頼りにするようになりました。

 義母の80歳の誕生日には、盛大な儀式を行い、多くの親戚や友人を招待しました。私は義母に非常に喜ばれるような、彼女にぴったりの礼服を心を込めて用意しました。それは義母の2人の息子でさえ予想していませんでした。当日、義母はとても嬉しそうでした。家族全員を車でレストランへ連れて行く途中、義母は私に「あなたは本当に優しい人だね」と言いました。これは20年以上の付き合いの中で、義母が初めて心から私を褒めてくれた言葉で、私は本当に嬉しかったです! 師父が優しさを教えてくださったことに感謝しています。

 食事の際、私は夫と一緒に義母の友人たちのテーブルにお酒を注ぎに行きました。彼女たちは皆80歳前後の方々でした。義母は彼女たちに「これが私の末の嫁です」と紹介してくれました。すると、その中の一人の老婦人が私を抱きしめ、「あなたは本当に素晴らしい!」と言ってくれました。

 私はまだ大法の要求には遠く及びませんが、すでに世間の人々からは「素晴らしい」と思われています。なぜなら、私は宇宙の大法により精錬された生命であり、少しずつ変化し、少しずつ目覚め、そして本来の自分に戻りつつあるからです。

 義父:「全部、某某(私のこと)に買ってもらった」

 義父が90歳のある日、突然意識を失い、家族は119に電話をかけて病院へ急行しました。その後、義父の健康状態に基づいて、彼の子供たちは義父を連れて帰ることにしました。

 帰る際、彼の子供たちが家に来て物を整理していると、義父が私の家に住んでいたとき、給与カードの残高がほとんど使われていないことに気づきました。基本的に、月々の年金が支給されたらそのまま貯金していたのです。義父は、良い服を一着また一着と持っていて、子供たちに「全部、某某(私のこと)に買ってもらった」と言いました。何年もこの間、義父の家族である兄弟姉妹たちも頻繁に私の家を訪れ、私たちが義父に最高の食事を提供し、最良の物を使っていることを知っており、心から感謝していました。

 私が受けた最大の善意の証は、夫や義兄が集まりの際に、突然立ち上がり、心から私に向かってお酒を注ぎ、私の貢献に感謝してくれることです。

 実際、私は自分が大法の真・善・忍の基準から遠く離れていることを深く知っています。まだまだ道のりは長いです。

 全ての善良な人々が師父の教えに従い、迷いから抜け出し、大法との縁を結び、素晴らしい未来を持つことを願っています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/13/483332.html)
 
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