私はやっと苦を嘗めることが良いことだとわかった
■ 印刷版
 

文/遼寧省の大法弟子

  【明慧日本2024年10月22日】師父は経文の『人類はなぜ迷いの社会なのか』の中で、「創世主が三界を造ったのは衆生が苦しみの中で罪業を消し、自身の道徳心を高めることを根本的な目的としています。罪業がなくなってはじめて救われ天国に戻ることができます。業を造ったなら返さなければなりません。これは天体宇宙の法理によって決められています」と説かれました。

 私は「私たち大法弟子は、三界の中で最も次元が低く苦しい世間に来て、この迷い社会環境の中で修煉しており、罪業を消し、苦しみの中で借りを返し、道徳を高め、大法の要求水準に達して初めて、師父と共に天国に帰れる」と悟りました。

 苦を嘗めることといえば、私自身、幼い頃から体が弱く病気がちで、人に世話になる温かさの中で生きてきたため、数十年の間に苦を避ける癖がついてしまいました。大法を修煉してきた道を振り返ってみて、業を消すことや苦を嘗めることを、良いことだとは思っていませんでした。27年間の大法の修煉の中で、私は薬とは無縁で、一錠の薬も飲んだことがありませんが、業を消去するという苦しみの中で、私はいつも苦痛に抵抗してきました。そのため、病業の関を乗り越える期間中はいつも、とても苦しく感じ、九死に一生のように大変でした。

 以前は、いつも農閑期に、病業になっていたので、農作業に間に合っていました。しかし、昨年の秋の収穫の忙しい時期に病業の消去の状態になりました。秋の間ずっと畑仕事ができず、家族のために料理を作ることもできなかったのです。身体がとても辛く、心が悲しく、「自分がよく修めていないので、健康な体になれず、病業に苦しめられたのだ」と悔やみました。「私は常人に比べて健康状態が劣っている。大法に泥を塗った」と考え、自尊心を傷つけ、悲観的になり、苛立ち、マイナスな考えが絶えず私を襲いました。ある同修の勧めで、私は『轉法輪』を暗記し始めました。そうすることによって、私の体は半月で正常に戻りました。

 今年の農繁期、私は畑仕事をしながら、師父の『広州での説法』の録音を聞きました。修煉と苦を嘗めることについての説法は、心に響きました。家に帰っても、師父の説法の録音を聴き続け、『轉法輪』を読み、特別ラジオ放送の「師恩を偲ぶ」も聴きました。

 特に「師恩を偲ぶ」を聴いてからは、不思議な力で学法を励まされました。たとえ10分間でも無駄にせずに学法し、余暇な時間はすべて学法することにしました。その不思議な力とは何でしょうか? それは、師父が当時中国大陸で数十回の講習会で残された無限の慈悲です! 第130回「師恩を偲ぶ」のラジオを聞いて、私はとてもよい気分になりました。私は師父の講習会に参加したことがなかったのですが、講習会に参加した同修は、師父が大法を伝えて下さる福音を私に伝えてくれました。私はまるでその場にいて、師父の講習会に参加したかのように嬉しくなり、師父の姿、境界、態度の偉大さに感化されて、理性的に法輪大法の素晴らしさを認識することができました。

 大法の深遠な内包に触発され、私は自分の観念を変え、常人の中から出てくるようになりました。私はようやく大法修煉とは何かを理解しました。自分の体がどんなに不調であっても、それは良いことだと受け止めています。というのは、それは私の意志を錬磨しており、師父と大法を信じるかどうか試しているからです。

 私の家は20畝の畑を所有しています。私の体調がすぐれないとみて、夫は1人で畑へ出て、農作業をしました。70代に近い夫が、畑から汗だくで疲れて帰ってきて、私は何とも言えない悲しい気持ちになり、静かに涙を流しました。「私は大法の修煉者なのだから、不調を病気扱いするわけにはいかない。夫と痛みを分かち合い、一緒に畑仕事をしなければならない」と思いました。

 慈悲の心で私は正念を生じ、畑仕事に行き、仕事を終えて家に帰った後、料理することもできましたが、夜に息切れ、咳でゆっくり眠ることができなくなり、「難」が大きくなりました。常人の理によれば、畑仕事で疲れたからだと言うかもしれませんが、実はそうではないとわかっています。私は法理に従って考えるようになり、師父が、私にできるだけ早く長い歴史の中での借りを返済させようと、私の罪業を消去して下さったのです。

 数日も眠れず、咳と喘鳴に苦しめられましたが、私の心は穏やかで軽快でした。それは罪を消去するための苦しみだったからです。私は何度も債主と善解し、師父の善解についての法を何度も債主に唱えていたのですが、そのたびに数回続けて唱え終えると、しゃっくりが続き、苦痛もだいぶ和らいだので、耐えられる範囲で煉功をし、法を学び、正念を発することができました。あるとき、極限の苦しみの中で、「借りがあれば、返さなければいけないのですから」(『轉法輪』)という師父の広州での説法の言葉が一瞬にして私の耳に飛び込んできました。常人は今でも、「殺人者は命を償い、金銭を借りれば返さなければならない」と言っています。私たち修煉者はどうでしょうか。私たちはもちろん、借りを返すべきです。

 ミラレパ佛は、修行でとても苦しんでいました。ミラレパは石を背負って山に登り、背負った石で家を建て、また、家を壊しては建て、壊しては建てを繰り返しました。ミラレパの師父がミラレパにそうさせたのです。背負った石でミラレパの背中は傷になり、膿と血が流れましたが、それでもミラレパの師父はミラレパに石を背負わせ続けました。なぜ、その師父はこれほどまでにミラレパに厳しかったのでしょうか? 表面的にはミラレパに危害を加えているように見えますが、その本質は、ミラレパが苦難の中で罪業を償い、天国への帰る道を歩むことができるように、神になるための準備をしていたのです。苦しむことは借りを返すことであり、苦しむことによってのみ人は罪を消すことができます。その師父の目的は、ミラレパに得道させ、圓満成就をさせるためでした。その結果、ミラレパは修行して佛となりました。

 大法を修煉する中、私たちは自分の生々世々に残した業力を滅さなければなりません。業力を滅する時、師父が私たちのために多くの業を消去してくださったことがあり、私たちが修煉を向上させるために残された業の一部は、私たち自身で消去すべきものです。私たちがそれをまったく背負わないのは宇宙の理に適っていません。したがって、私たちが苦しんでいるとき、苦を排斥するのは間違っていることなのです!

 私はこの過ちを犯しました。27年間の修煉で、毎度病業の関が来ると、この苦痛を排斥し、師父に助けを求め、病業の関を乗り越えてきました。しかし、慈悲深い師父は、私を決して見放すことなく、多くの困難な道のりをいつも助けてくださいました。私は師父にどれほどの迷惑をかけてきたかわかりませんが、師父が私のような弟子を救い済度するのは容易なことではありません! 師父について天国にある自分の家に帰りたければ、自分の罪深い業を清算しなければならないとよくわかっています。業を消去する過程は、どんなに悲しくても苦しくても、良いことなのです。

 師父は私に正しい道を指し示され、私はついに大法を修煉する目標を明確にしました。まるで長い夢から覚めたように、業を消去する過程で、苦しむことは良いことだと知り、私は今、自分の苦しみと率直に向き合うことができます。師父の慈悲深い済度に心から感謝します!

 この文章は、病業の中にいる同修に少しは役に立つかもしれません。自分の浅はかな理解で書いたものです。もし法に則っていない点があれば、慈悲の心で指摘してほしいのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/16/483843.html)
 
関連文章