1分間に連続2回も命を奪われるほどの自動車事故に遭ったが無事だった
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年10月24日】私は1996年に母親と一緒に法輪大法の修煉を始めました。幼い私は大法の教えの下、団地の中で最も思いやりのある子供になり、道徳心が非常に優れていました。大学では、クラスメイトたちが私を班長に持つことを誇りに思いました。

 修士号を取得後、職場でも評判が高まりました。人事部の担当者が、私を昇進させるという評価をした後、「これだけ長く人事の仕事をやってきて、これほど多くの組織の将来を担う人材を評価してきましたが、あなたのように反対意見が全くなく、周囲から皆に絶賛されるような人は初めてです」と言いました。母も思わず「この子は本当に周囲に気を配ることができる子ね」と褒めました。

 師父、これはすべて師父と大法の教えのおかげです。私は良い人間になり、仕事もきちんとこなし、この濁った世の中で清い心を保つことができました。今、私は仕事もそこそこ成功し、家庭も幸せです。師父と大法に心から感謝申し上げます。特に、師父が私のために罪業を引き受けてくださったおかげで、1分間に立て続けに命を奪われるような二度の交通事故に遭いながらも、奇跡的に無事でいられたことには、一生忘れることができません。感謝の気持ちでいっぱいです。

 1998年の冬、私は14歳で中学2年生でした。ある土曜日の夜9時、自習が終わった後、クラスの代表だった私は、同じ団地に住む他の2人のクラスメイトと一緒に、インフルエンザで午後の授業を休んだクラスメイトの家へ教科書を届けに行きました。帰り道、私たちは3人で自転車を押して歩きながら、東西に走る2車線の道路を南から北へ横断していました。私が最後尾だったのですが、西から東へ猛スピードで走ってきたタクシーに自転車ごと撥ねられ、空中に舞い上がり、反対車線に投げ出されました。まだ地面に着く前に、今度は東から西へ向かってきた軽トラックにぶつかりました。タクシーの前方のフロントガラスは粉々に砕け散り、軽トラックの左側には、自転車がこすった跡がフロントからリアまで長く続いていました。私の自転車は20メートル以上も飛ばされました。私は軽トラックの前にひざまずき、手袋はどこかへ飛んでいき、片方の靴は脱げ、靴ひもは二重に結んでいたものが切れました。頭を保護していた毛織りのネックウォーマーはガラス片で何カ所も切り裂かれ、髪の毛にはガラス片がびっしりとついていましたが、頭皮や顔には傷一つなく、数本の指先に小さな切り傷があるだけで、傷口にガラス片は残っていませんでした。左膝の関節の内側の靭帯を少し挫傷し、少し痛みを感じました。

 日曜日は1日休みにして、月曜日は少し怖かったのでタクシーで学校に行きましたが、火曜日は自分で自転車に乗って学校に行きました。

 1分間に2回も車に轢かれるなんて、想像もできないような出来事でした! これは命を取りに来たに違いありませんでした。師父が私を守ってくださったおかげです。師父が私の代わりに大きな罪業を引き受けてくださいました。事故に遭った瞬間、私は跳ね飛ばされたのではなく、誰かに持ち上げられたような安心感を覚えました。

 私と父親、および母親は師父のおかげで私の命が救われたことに心から感謝し申し上げました! まだ修煉をしていない父でさえ、師父に頭を下げて感謝するように私に言いました。師父がいらっしゃらなければ、私はもうこの世にいなくなり、両親は深い悲しみに暮れたことでしょう。この話を聞いた人々は皆、驚嘆しました。

 さらに不思議なことが起こりました。2人のクラスメイトが私の自転車と靴を探してきてくれ、2台の車のナンバープレートを控えていました。運転手は私に「示談にしますか?」と尋ねてきましたが、私は「賠償してもらうつもりはありませんから、もうお帰りください」と答えました。クラスメイトたちは驚いて「おまえ、事故に遭って頭がおかしくなったんじゃないか?」と尋ねてきました。もちろんそんなことはありません。師父が『轉法輪』の中で説かれた業力と因果応報の法理と、車に轢かれた修煉者が示した法輪功の教えに基づいた行動の例を、私はしっかりと心に留めていたからでした。

 私の自転車は前輪の泥除けが壊れて、前輪に引っかかってしまい、自転車を押せなくなってしまいました。車に轢かれた場所から家までは3キロ以上ありました。ところが、その運転手を立ち去らせた後、私の自転車は再び押せるようになったのです!

 翌日、母親は私の自転車を修理に出しました。前輪も後輪も回らず、近くの自転車修理店まで自転車を担いで行きました。結局、自転車は無事で、わずか4元で修理できました。母親は私に「壊れた自転車をどうやって家に持ち帰ったの?」と尋ねました。私は詳しく説明しました。母親も私と同じように、大法の法の力に深く感動しました。

 母親の心性も高く、相手の車のナンバープレートを控えたメモは、一度も見ずにゴミ袋に捨てました。師父と大法を信じる母親は、他人に迷惑をかけたくないと考えました。「物事の善し悪しは人間の一念によるもの」(『轉法輪』)というお言葉通り、一念を法に置けば、師父は絶対的な力をお持ちです。ですから、本当に奇跡が次々と起こりました。

 明慧ネットの投稿を通じて、この不思議な体験を書く機会を与えてくださったことに感謝申し上げます。師父に感謝申し上げ、大法を実証します。人々がこの体験を通して「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」ことを理解し、中国共産党(以下、中共)から離れ、明るく素晴らしい未来を選ぶことを願っています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/1/482324.html)
 
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