文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年10月30日】私と夫は共に大法弟子で、夫は1996年に、私は1998年に法輪功を学び始めました。昨年8月中旬、夫は非常に重い病業の関を経験しました。この困難を乗り越えた後、私たちは修煉者が肝心な時に「師と法を信じること」の意味を一層深く理解し、また、実際に修煉を積むことの大切さを改めて実感しました。
夫は長年、大法を固く信じ続けたため、かつて邪党によって不当に労働教育や判決を言い渡されました。また、勤めていた職場からも解雇され、生活のために中学生向けの家庭教師として生計を立てていました。昨年の北京の夏は異常に暑く、学生の夏休み期間中、夫に補習を頼む生徒も多かったため、夫は毎日とても忙しくしていました。数日後、夫は汗をかきすぎて体調が優れないと感じ、最初は暑さと疲労のせいだと思ってあまり気にしませんでした。しかし、短期間のうちに、夫は大量の発汗、息切れ、排泄の失禁、意識混濁などの症状が現れ、家族が急いで救急車を呼び、夫は病院に搬送されました。
私はその後すぐに病院に駆けつけましたが、医師から危篤通知書に署名するようにと言われ「病状は非常に危険で、覚悟が必要だ」と告げられました。さらに医師は、北京の別の病院で同じような症例を見たが、治療費に多額の費用をかけても患者は救えなかったと話してくれました。その瞬間、私は頭が真っ白になり、途方に暮れ、ただその場に立ち尽くしていました。母が近づき、慌てた様子で「どうなっているの?」と尋ねました。その声で私はまるで夢から覚めたような感覚になり、気持ちを立て直し、母を安心させるために「大丈夫、きっと良くなるよ」と落ち着いて答えました。母が不安そうにしているのを見て、私もこの状況に強く立ち向かわなければならないと感じました。
救急室の外の椅子に座り、できるだけ自分を落ち着かせていくうちに、意識が少しずつ鮮明になりました。ふと「私たちは大法弟子だ。夫を救えるのは師父と大法しかない!」と気付き、心が急に明るくなったのです。不安や孤独は消え去り、師と法がそばにいるという思いが私に力を与えてくれました。
夫がまだ救急治療を受けている間、私は救急室の外で心の中で師父に助けを求めました。「師父、彼はあなたの弟子です。修煉を疎かにしてしまい、時間が経つにつれて旧勢力に隙を突かれてしまい、命の危機に陥っています。どうか彼にもう一度チャンスを与えてください。彼は師父と大法を信じる心を失っていません。この痛ましい経験を通じて目覚め、再び「三つのこと」をしっかり行うと決意するでしょう。私たちは協力して、もっと多くの衆生を救うべきなのです!」また、私は夫の主元神に語りかけました。「これは全て偽りの姿に過ぎない。迷わされないで。どんなに辛く苦しくても、師父と大法を信じる心を決して揺るがしてはならない。修煉中に漏れや不足があれば、それは法の中で正すべきであり、旧勢力がいかなる理由や口実で干渉し、迫害することも許されないのです。
その夜、他の家族が帰宅する中、医師から「万が一のことがあるかもしれないので、救急室の外で待機するように」と言われました。私はこの機会を待っていました。そこで、心を静め、夫のために長時間発正念を行うことにしました。夜も更けた頃、当直の医師が出てきたので、夫に会わせてもらえないかと頼みましたが、医師は「救急治療中の患者は家族と面会できない」と規則を理由に断りました。私は何度もお願いし「治療では難しい部分も、もしかしたら私が助けになるかもしれません。どうか試させてください」と懇願しました。私の真剣な表情を見て、彼は少しの間迷いましたが「では、ついてきてください。ただし、会えるのは5分間だけです」と言ってくれました。私は胸を高鳴らせ、急いで夫のベッドのもとへ行きました。夫はたくさんの色とりどりのチューブに繋がれ、呼吸器をつけ、顔色は青白く、目を閉じたまま、胸を激しく上下させながら息をしていました。最初はその姿に一瞬言葉を失いましたが、すぐに気を取り直し、夫の耳元に顔を寄せ、穏やかにこう囁きました。「私は〇〇よ。『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と覚えていて。あなたは師父の弟子で、師父の導きに従うのよ」。この言葉を何度か繰り返したところで、医師が「もう時間です」と促し、やむなくその場を後にしました。見送る際、医師は「今回は特別な対応ですから、もうこれ以上はできませんよ」と言いましたが、私は感謝の気持ちでいっぱいでした。
救急室のドアが閉まると、私は涙を抑えきれませんでした。両手を合わせ、師父に心から感謝しました。この時はとても重要であり、夫が昏睡状態にあっても、私の言葉がきっと彼の心に届くと信じています。彼は必ず、師父のこと、大法のこと、そして自分が大法弟子であることを思い出してくれるはずです。
夫の検査結果が出ましたが、状態は非常に悪く、身体の各項目の指標も極めて低いものでした。医師がCT画像を見せながら「二つの肺がほとんど白くなっており、他の臓器も衰退している」と説明してくれました。その話を聞いたとき、私は胸が締めつけられるような痛みを感じ、精神的なプレッシャーも大きくのしかかりました。しかし、ふと「夫の体はまだ危機的状況にあるものの、意識は少しずつ戻りつつある。時々目を覚まし、また朦朧とする状態だが、これは良い兆しではないだろうか? これは師父が夫にもう一度チャンスをくださっているのではないか?」と思い至りました。意識が回復すれば、正念も徐々に強くなり、師父がきっと加護してくださるに違いありません。私が今できることは、ただ師父と法を信じることです。そして時間を惜しんで、夫のために正念を送り続けることにしました。救急室の外で、夫の主元神に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と一緒に繰り返し念じるように伝えました。
数日後、病院から家族の面会が許可され、私は再び夫のもとを訪れることができました。夫の手をそっと握り、耳元に顔を寄せ、前回伝えた言葉をもう一度繰り返しました。面会時間が限られていたため、多くは語れませんでしたが、この数言の大切な言葉が、彼の意識を呼び覚ますと信じています。
面会が増えることで、夫と法に基づいた交流が深まっていき、夫の意識はますますはっきりし、正念も強くなっていきました。彼は、自分が病院にいるべきではないと悟り、自分には修煉の漏れがあり、それを長期間軽視していたために、実際の修煉が不足し、旧勢力に隙を突かれてしまったと認識しました。しかし、彼はこの状況を一切認めず、すべては偽りの相に過ぎないと考えました。彼は師父だけに従い、師父が与えてくれた道を歩む大法弟子であり、誰も彼を動かすことはできないと確信しました。師父が彼のために払ってくださった多くの恩恵を思い出し、夫は涙を流して深く感謝しました。頭の中が空いているときは、師父の法を繰り返し暗誦していると教えてくれました。私は彼に腕時計を持っていくと、彼はとても喜び、「これで時間を確認しながら正念を送れる」と言いました。その瞬間、私は感激で涙が溢れ、師父の加持があるおかげで夫が良くなると強く感じました。
夫の身体は日ごとに回復し、精神状態もどんどん良くなっていきました。医師や看護師たちもその回復ぶりに驚きを隠せませんでした。
10数日後、夫は再び身体検査を受けましたが、その結果は驚くべきものでした。各指標がすべて正常範囲に戻り、とりわけ2つの肺は劇的に回復していたのです。医師も「想像以上に素晴らしい回復だ!」と驚きを隠せませんでした。彼らには到底説明がつかないことでしたが、これは師父と大法がもたらした奇跡だったのです(特殊な環境下にいたため、真相は伝えられませんでした)。病院側はさらに数日間の入院を勧めましたが、私たちはできるだけ早く退院したいと伝えました。そして、夫は無事に20日間の入院生活を終え、自宅に戻ることができました。
退院後、夫は時間を惜しんで法を学び、煉功し、発正念をし、内に向けて自分を探しました。私たちは共に、長い間修煉を疎かにしていたことに気付きました。特に彼は教育活動に多くの時間とエネルギーを注ぎ、次第に収入への欲が増し、金銭に対する執着を手放せないでいました。「三つの事」も形式的にこなしていただけだったのです。私も「お金はそれなりにあればよい」と口では言っていましたが、夫の収入が多いと喜び、少ないと少し失望してしまう自分がいました。利益への執着がまだ強く、世俗的な欲望に囚われていたのです。こうして、私たちは「真に修煉する」ということができていなかったと深く反省しました。
この痛ましい経験を通して、私たちははっきりと目覚め、修煉の厳粛さをより深く理解することができました。もう迷い続けて、人生の目的を見失うわけにはいきません。我が家には十分な蓄えもあり、夫も退職が近いため、家庭教師の仕事を辞めることにしました。貴重な時間は修煉と人を救うために使うべきであり、師父が多大な犠牲を払ってくださって得た修煉の機会を無駄にしてはいけません。
それから1年が過ぎ、私たちは修煉の道を進み続けています。時には気が緩むこともありましたが、お互いに励まし合いながら、この貴重な法を正す機会を大切にし、共に精進し、より多くの衆生を救うために努めています。師父と共に、いつか本当の故郷へ戻る日を信じて。