奇跡的な救出
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文/中国遼寧省の大法弟子  

 【明慧日本2024年11月1日】2013年末、私は法輪大法の修煉をしていたことを理由に、中国共産党(以下、中共)に拘束されました。その後、3年6カ月の不当な刑を言い渡され、刑務所に送られました。母(同修)は、80歳という高齢にもかかわらず、私を救出するために公安局、検察庁、裁判所に奔走しました。幸いにも、母はすでに大法の修煉により健康を回復しており、かつてどこに行くにも「速效救心丸」(漢方薬)を持って行かなければならなかった病弱な老人ではなくなっていました。

 私があと1年で不当な刑期を終え、家に戻るところだった時、兄(同修)が南方の勤務先の都市で再び中共に拘束されました。この出来事は、母にとって大きな打撃となりました。母は毎月刑務所に拘禁されている私に面会に来る一方で、南方の都市に行って兄を救出しなければなりませんでした。幸い周囲の同修たちの大きな助けと励ましがありました。一人の高齢の同修は家族の反対を顧みず、母に付き添ってその都市に行き、兄を拘束した警察署の警察官に会いに行きました。

 兄はもともと私と母と一緒に法を得ていました。しかし、1999年7月20日に中共が法輪大法を迫害し始めた後、大法の修煉をやめてしまいました。それから11年後の2010年、兄は私と母に会うため、南方から東北に戻って来ました。兄は私たちに会うと、「あなたたちは変わったね」と言いました。その当時、兄は重度の不眠症に悩まされており、毎晩、酒と睡眠薬で眠りについていました。しかし、我が家にやって来た後、兄は毎晩普通に眠ることができ、睡眠薬も必要なくなりました。兄は母に「我が家のエネルギー場は強い」と言いました。

 私たちは兄に『共産党についての九つの論評』と神韻公演のDVDを見せました。兄は非常に感動しました。さらに、私は兄に『師恩頌』(師恩を称える)を見せたところ、兄は涙を流しました。兄は母に「母さん、やっぱり修煉を続けなければなりませんね。そうしないと、人生に道がありません」と言いました。兄は南方の都市で一人で働いていましたが、地元の修煉者を知らないなか、毎日明慧ネットにアクセスすることで再び大法の修煉を始め、非常に堅固な意志を持っていました。2016年、兄は真相を伝える手紙を郵送したことを理由に拘束され、南方のその都市の拘置所に不当に収監されました。

 私は刑務所から帰って来た後、体調を崩し、大きな病業の試練を経験しました。その後、母と地元の同修たちと協力して兄の救出活動を始めました。

 私は兄の救出に参加した当初から、師父の励ましとご加持を強く感じ、まるで師父がすべてを手配し、私たちの修煉の向上を待っているかのように感じました。着実に修め、救出活動を進めるなか、心性が基準に達すれば、物事はうまく運びました。

 兄は拘置所で、ある反体制派の人物と出会いました。彼とはすぐに意気投合し、無二の親友となりました。その人物はまもなく解放されました。解放された後、その人はすぐに地元の有能な修煉者に連絡を取りました(彼らも以前、拘置所で不当に拘束されていた時に知り合った仲でした)。

 この同修は以前、体制内で働いていたことがあり、兄の事件に関わる公安局、検察庁、裁判所の関係者の連絡先や住所を詳細に提供してくれました。また、定期的に兄にお金や衣類を差し入れてくれ、私と母は本当に感動しました。真・善・忍を揺ぎ無く信じる大法修煉者だけが、見ず知らずの同修が困難に直面している時に、このような無私の支援を提供できるのです。

 その反体制派の人物は母に連絡を取り、すぐに南方に来て自分と会うように促しました。彼は兄のために、無罪弁護を行う正義の弁護士を手配してくれました。母はその後、その弁護士と非常にうまく協力できました。

 これらの出来事は偶然に見えますが、私たちは慈悲深い師父がすべてを細かく手配してくださっていたことを知っていました。そのため、兄が遠く離れた見知らぬ都市で不当に拘束されていたにもかかわらず、私と母は何の妨害も受けず、地域の制約を受けることなく兄を救出することができました。

 その時、私は母と共に兄の案件に関わる公安局、検察庁、裁判所の関係者に絶えず真相を伝える手紙を送り続けました。少なくとも1、2度、どの部門の誰かに手紙を送る必要が生じた時、ちょうど明慧ネットに私たちが必要としていた電話番号や住所が掲載されました。当時、私のノートパソコンのバッテリーが壊れていて、いつも時間がずれていたのと、他にも技術的な問題があって明慧のメールにアクセスできないことがよくありました。そのたびに、私は師父に向かってひざまずき、助けを求めました。

 不思議なことに、毎回その後には正常にメールが開けるようになったのです。

 真相を伝える手紙はすべて明慧ネットから選んだ、大法を正しく紹介する記事でした。師父が手配してくださった真相資料を作成する同修は真相を伝えるすべての手紙の印刷を手伝ってくれただけでなく、私たちは一緒に公安局、検察庁、裁判所の関係者に電話で真相を伝える活動も行いました。特に裁判が始まる前の数日間、関係者に集中的に電話をかけました。ほとんどの人は電話に出ませんでしたが、その同修は強い正念を持って「電話に出なくてもいい、ただ彼らに私たちが注目していることを知らせればそれでいいんだ」と言いました。

 その頃、私と母の住む都市の多くの同修たちも兄の救援活動に参加してくれました。多くの人が電話をかけ、真相の手紙を送りました。これが邪悪な勢力に対して大きな抑制効果を発揮しました。母は自分の携帯電話で、兄の案件を担当している「610弁公室」の主任に電話をかけました。最初、その主任の態度は非常に傲慢で、兄が拘置所で「非常に強情で反抗的だ」と言い、毎日そこで「伝道」をしており、こんなに強硬で転向しない者には、10年か8年の判決が下されるだろうと話していました。彼は母に話す機会すら与えませんでしたが、母は心を動かされませんでした。

 普段、母は携帯電話をオフにしていますが、ある日、携帯をオンにした途端、その610弁公室の主任から電話がかかってきました。彼は多くの人が彼らに電話をかけて来ている、自分は耐えられるが、裁判所や検察庁は耐えられない。だから、彼らに電話をやめさせてほしいと不満を漏らしました。母が「誰があなたに電話をかけているかは知りません」と答えると、彼は「みんな東北から電話がかかってきている」と言いました。母は「私はその人たちを止めることはできません」と言いました。

 その後、私は別の地方の同修と知り合いました。その同修は「法輪功迫害追跡国際組織」(略称「追査国際」)に兄が迫害されている状況を報告するように提案してくれました。そして、同組織が発表する「追査国際通告」を関係者に送るようにも教えてくれました。私は彼女の言う通りに行い、「追査国際通告」を受信したすべての受信者にメッセージを送り、電話をかけ、「追査国際」が正式に彼らを追跡対象者にリストアップしたことを知らせました。これにより、邪悪な勢力に大きな打撃を与えました。

 兄の裁判が始まる時、母は従兄弟に付き添われて2日前に現地に到着しました。彼らが旅館に到着したばかりの時、地元の公安局の警察官が「610弁公室」の担当者を伴って旅館にやってきました。おそらく、彼らは脅そうとしたのでしょう。従兄弟は法輪大法を修煉していませんが、大法に対して非常に正しい認識を持っていて、正義感が強かったです。従兄弟は「民衆の声を封じ込めるだけでは話にならない」と彼らに言いました。「610弁公室」の担当者が「あなたは修煉しているのか?」と尋ねると、従兄弟は酒瓶を持ち上げ、「私が修煉していると思うか?」と言いました。

 不当な裁判の当日、私は同修と一緒に早朝から裁判所の関係者に電話をかけました。後で母と従兄弟から聞いた話では、裁判所の入り口で待っていた時、若い司法警察官が「今朝だけで既に8件の電話を受けた」と話していたということでした。従兄弟が「阻止すればいいじゃないか!」と言うと、司法警察官は「阻止できるわけがない」と答えました。従兄弟は「ミサイルだって迎撃できるんだ。これができないわけがない」と言いました。裁判中、私の地元の多くの同修たちは、遠く離れていても一斉に兄のために正念を発し、皆が非常に強いエネルギーを感じました。

 母は今回、「610弁公室」の主任と直接会いました。追査国際の追跡通告を受け取って以来、彼は表に出てくることがなくなりました。彼は裁判所の入り口で母に会うと、満面の笑顔で「おばさん、私たちが電話で話した内容がすべてネットに載ってますね」と言いました。母も笑いながら「私はインターネットを使いませんよ」と答えました。「610弁公室」の担当者は母を裁判所まで付き添い、「見てください、このおばあさん、85歳なのにこんなに元気だ」と周りの人々に言いました。

 裁判官はおそらく真相を理解していたのでしょう。開廷前、わざわざ母のところにやってきて、親切に「おばさん、お手洗いは大丈夫ですか? この後開廷したら自由に動けませんから」と声をかけてくれました。

 裁判中、母、従兄弟、そして兄の息子は、多くの警察官に囲まれて座らされました。従兄弟は兄が手錠と足かせを付けられて法廷に入るのを見て、「なんで弟に手錠と足かせをつけるんだ! 何の罪を犯したんだ?!」と大声で問いただしました。そばにいた司法警察官はすぐに「これは規定だ」と答えました。

 兄は法廷で非常に強い正念を持ち、弁護士と協力して法輪功は邪教ではないことを説明し、中共が生きている法輪功学習者から臓器を摘出している驚愕の事実を明らかにしました。その場で判決は下されませんでした。

 裁判が終わった後、裁判官は兄の息子に父親に会う機会を与えましたが、母には面会させませんでした。母が「なぜ息子が父親に会えるのに、母親が息子に会えないのですか?」と裁判官に尋ねると、裁判官は笑いながら「では、あなたも入りなさい。ただし少し離れた場所に座ってください」と言いました。

 母は帰宅後、裁判官に感謝の手紙を書きました。その後、長い間、裁判所からは何の連絡もありませんでした。母と私は毎日、正念を送り続けました。

 ある日、私が学法グループから帰宅すると、母は「午前中、学法をしている時に、突然小さなカササギが家の窓の向かい側にある屋根に飛んできて、『チーチー』と鳴き続けたの」と嬉しそうに話してくれました。母が窓の前に立って「カササギちゃん、師父があなたを送って来たの? 何か良い知らせがあるの?」と話しかけると、カササギはまるで母の質問に答えるかのように少し鳴いてから飛び去りました。母は「きっと兄のことに結果が出たのだ」と言いました。

 案の定、その日の午後、弁護士から電話があり、裁判所が2日後に判決を言い渡す準備ができていると伝えられました。母は再び裁判官に電話をかけましたが、裁判官は母に「裁判に来る必要はない」と伝え、判決後に連絡すると約束しました。後日、母は裁判官から電話を受け、兄が「610弁公室」の主任が言っていたように「10年か8年の判決」ではなく、不当に1年9カ月の刑を言い渡されたことがわかりました。兄はさらに2カ月間拘置所に収監され、その後、無事に帰宅しました。

 兄が後に語ったところによると、彼は拘置所にいたある夜、師父が夢に現れ、師父と一緒に拘置所の長い廊下を歩いたそうです。出口に着くと、師父は外に出て行かれましたが、兄は拘置所に残されたままでした。兄は翌日一日中、非常に良い気分で過ごしたと言いました。

 あれから瞬く間に6年が経ちましたが、この奇跡的な救出体験は今でも鮮明に記憶に残っています。これは大法弟子たちが一丸となって協力し合い、その不思議な法力の現実の中での具現的な現れです。この体験を通じて、私は師父のすべての生命に対する慈悲と救い済度を深く感じました。師父の偉大なるご恩に心から感謝いたします。

 法輪大法の修煉の道を歩んでくる中で、この感謝の念は、師父と大法への揺るぎない信念へと昇華され、大法弟子として衆生を救い済度する責任と使命について、さらに冷静で理性的な理解を持つようになりました。弟子は、最後の修煉の道をしっかりと歩み、師父の慈悲深いご苦労に応えて、三つのことをしっかり行っていきます。

 
(中国語原文:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/17/483124.html)
 
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