文/韓国の大法弟子
【明慧日本2024年11月5日】私は2014年に韓国で大法に出会いました。その日、同修が真相を伝え、三退を勧めているのを見て私が近寄って行くと、同修は1冊の『轉法輪』を渡してくれ、こうして私は法を得ることができました。学法と煉功を通じて、大法の修煉は個人の圓満のためだけではなく、末劫において衆生を救うためでもあることが分かりました。個人の修煉と衆生を救うことができるよう、サラリーマンである私はプラットフォームで電話をかけて衆生を救うことを選びました。
修煉者として、嫉妬心を持ってはいけないことは皆知っています。師父は『轉法輪』の中でこのようにおっしゃっています。「嫉妬心という問題はかなり重大です。なぜならそれは、われわれが修煉して圓満成就できるかどうかという問題に直接かかわってくるからです。嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになります。ここには一つの決まりがあります。すなわち人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです」。嫉妬心による危害はこれほど大きいのです。私はよくこの部分を暗唱しています。
常人の中で、私は他人より優れた部分がなく、技術も学歴もないため、自分には嫉妬心があまりないと思っていました。昨年、同修と交流する中で、私は同修の嫉妬心が非常に強いことに気付き、同修に「あなたの嫉妬心はどうしてそんなに強いのですか? きっと私にも嫉妬心があります。一緒に取り除いていきましょう」とのメッセージを送りました。同修は同意してくれました。しかし、他人より優れた点がない自分にも嫉妬心があることを不思議に思った私は、明慧ネットでこのテーマについての文章を探して読みました。そこから怨恨心も嫉妬心から来ていることを知り、私はハッとなって、闘争心や不平不満に思うのも嫉妬心の表れだと認識しました。
法を学び内に向けて探していくうち、私は嫉妬心の範囲が非常に広いことに気付きました。不平不満に思う心、闘争心、他人を見下す心、他人が気に入らない心、怨恨心や利己的な観念、これらはすべて嫉妬心の表れです。普段、職場での同僚との間のことを考えてみた際、人間の理から見れば、同僚は賢く策略を巡らせ、常に自分が少なく働き、私に多く働かせようとしています。表面上、私は彼女と争ったり、気にしたりせず、懸命に彼女と一緒に店をよく回していくように頑張っているのですが、それは自分が修煉者で、彼女とは違って良い人になろうとしているからです。しかし、その奥に隠れている不満に思う心や他人を見下す心まで深く掘り下げていきませんでした。他人のことが気に入らない心や怨恨心も嫉妬心によるものだと気づいたとき、私はびっくりしました。日々自分が修煉者であり、常人と違う基準に沿って振舞っていると自覚していましたが、結局のところ、自分も常人と同じではありませんか? ただ、見た目には明らかな表れがないだけでした。修煉者は人間の理で測るべきではありません。
実は、師父は同修を通じて私に嫉妬心を見せ、それを取り除くように按排されたのです。不平不満に思う心や同僚を見下す心が再び出てくると、私は繰り返し『精進要旨』の「境界」を暗唱し、次第に心も穏かになりました。しばらくの間、私は毎日十数回、二十数回暗唱していました。暗唱の回数が増えるにつれて、嫉妬心は薄れ、心も落ち着いてきました。
1年間の学法、法の暗記と着実な修煉を通じて、私は嫉妬心を一層一層と取り除いていきました。「境界」という経文を何度も暗唱するうちに、心性も少しずつ向上しました。今では心が容易に動いてしまうことが少なく、そのような念が生じればすぐに捉えて滅し、嫉妬心が薄れて慈悲心も強くなり、真相を伝えるための電話も以前より落ち着いてかけることができ、救った衆生も増えました。