文/米国の大法弟子
【明慧日本2024年11月12日】普段の生活の中で、私は外向的な性格で声も大きく、他の人と接する際はできるだけ穏やかな口調で話すように心がけています。同僚や友人、修煉仲間とは良好な関係を築いていますが、家ではまったく違います。家族だと思うと、言葉が少々強くなっても大丈夫だろうと考えてしまいます。このような考えを持っているうちに、自分に対する要求基準が知らず知らずのうちに下がってしまいました。夫の気持ちを考えずに話したり、声が大きくて喧嘩のようになったり、命令するような口調で話すことが多くなり、当然のことながら不必要な対立が生じてしまいます。対立が起きたとき、自分の内面を見つめることもせず、自分が修煉者であることを考えないので、見栄を張ったり、争う心や不平不満を持っていることにも気づきません。夫(常人)は私に「ごめんなさいと言ったことがない」と言います。時には自分が間違っているとわかっていても、ただ黙っているだけなのです。
ある時、家の浴室の床がひび割れ始めました。というのも、その床のタイルの下に充填材がなく、空洞になっているため、長い間踏んでひび割れが生じたのです。私の家は新築で、まだ保証期間内です。夫は何度も建設業者に連絡して修理が必要であることを説明しましたが、何度来ても完全には修理されず、床には黒い泡のようなものが生え始めました。この件で夫は頭を抱えていました。その後、彼は建設業者と相談し、新しい浴室の修理に1000ドルを払うことに決めました。彼がこのことを私に話した時、私は不満を感じてしまいました。「本来、浴室の修理は保証期間内なので、建設業者が責任を持つべきなのに、なぜ私たちが自分の費用で交換しなければならないの? どうして私に相談せずに勝手に決めたの?」と言いました。彼は怒り出し、「君は彼らと連絡を取るのがどれほど難しいか分かっているのか? 連絡するたびに、彼らは様々な言い訳をして、来ないか遅れてくる。私はずっと待っていなければならない。彼らはいつもプランを変更するし、修理はできないと言って、いろいろと理由をつけて逃げるんだ」と返しました。
その時、私は自分が彼に話すとき、全く善意がなく、彼の立場に立って考えることができていなかったことに気づきました。自分の利益を考える心が強く、なんと自己中心的なんだろう! 師父は私たちに、何かに直面した時はまず他人のことを考えるように教えてくださったではありませんか。私はすぐに「ごめんなさい、あなたがこの件のためにたくさん頑張っていることを考えられませんでした」と彼に謝ることにしました。彼はそれを聞いて半分冗談で言いました。「うん、やっと君が『ごめんなさい』と言っているのを聞いたよ」
師父の法『洪吟三』の「誰が是 誰が非」を私は暗唱できますが、問題に直面したときにそれを実際に実践できるかどうかは別の話です。ある時、法を写しているときに「善」のより深い意味を突然理解しました。「善」という字の下には「口」という字があるのです。善を修めるためには、まず言葉から始めなければなりません。言葉は優しく、穏やかで、礼儀正しくなければなりません。家族、友人、そして人との関わりにおいて、誰に対しても同じことが求められます。
法を学び、暗唱し、法を写す中で、私は大法弟子が人間界に来る目的は、自分を修め、衆生を救い、史前の大願を果たし、師父と共に帰ることだと悟りました。人間界で私がまだ手放せない執着は何でしょうか? これからは、どんなことが起こっても自分をしっかり保ち、数秒間自分に「私は大法弟子であり、神の道を歩む者で、常人ではない。言葉や行動は大法の要求に従うべきだ」と言い聞かせるようにしています。自分に少しの余裕を与えるためにも。
それ以降、夫との関係は円満になり、話す態度も穏やかで、声のトーンも優しくなりました。彼が一緒に食事を作ったり、私のために何か小さなことをしてくれたとき、私は心から彼の努力に感謝するようになりました。どんな理由で意見が食い違っても、彼が間違っていても私が間違っていても、私は自ら彼に謝り、今後は良くすることを約束しました。夫は、師父と大法の恩恵を受け、身体に二度不調があった際に、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と心から念じることで乗り越えました。先日、彼が突然汗だくになり、食卓にうつ伏せになり、顔色は青白く、腹を押さえながら「お腹が本当に痛くて我慢できない、急いで病院に連れて行って」と言ったので、私はすぐに車を運転して病院に連れて行きました。
道中、私は彼に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と一緒に唱えるよう促し、師父に加持をお願いしました。私たちの家から病院まで車で約20分ほどの距離です。2人で「9文字の真言」を唱え続けると、しばらくして彼の顔色が少しずつ良くなっているのに気付きました。彼も「お腹がさっきほど痛くないみたいだ。まずは車を病院の駐車場に停めて、少し休ませてほしい」と言いました。その時、私は思わず涙が出て、「師父があなたを守ってくださっているのです、早く師父に感謝して!」と大声で言いました。彼は急いで「ありがとうございます、師父! ありがとうございます、師父!」と繰り返しました。こうして駐車場で約10分ほど休んだ後、私たちは何事もなかったかのように帰宅しました。これによって、夫は師父の慈悲と偉大さを実感しました。私は心から、師父の彼に対する慈悲の救済と保護に感謝しています。
夫は普段から私の修煉を支持しており、特に大法を証明するためのあらゆるプロジェクトを応援してくれます。毎年、同修たちが神韻の宣伝に忙しい時期に、休日には私の運転手となり、神韻のポスターを貼りに行きます。また、自ら積極的に同僚や友人にチラシを渡したり、私を車で連れて行って各スーパーで大紀元の新聞を配ったりもしました。普段の夕食の時間は、私が正念を発する時間をなるべく避けるようにしてくれますし、朝に私が怠けて起きたくないと思った時には、「もっと精進して修煉しなさい」と言ってくれます。その言葉は師父のお言葉で夫の口を借りて私に啓発しておられるることを私は理解しており、すぐに起きて功を煉ります。
今は正法時期の最後の最後ですが、まだ何か執着を手放せないのでしょうか? 時々、「もし今日が法が人間を正す最後の日だとしたら、私はどうするだろう?」と自分に問いかけます。答えは次のようです。私は師父が求めておられる三つのことを全力で行い、すべての人心や執着を手放し、もっと多くの人に真相を知らせ、師父が大法弟子に与えてくださった毎日を大切にし、後悔を残さず、精進して実修します。
師父に感謝します、同修たちにも感謝します!