中国法会|己を修め人を救い 法の中で成長し迷うことなく進む(三)
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文/中国の青年大法弟子

 【明慧日本2024年11月17日】(前文に続く)

 三、複雑な職場環境の中で勇猛邁進する

 (一)法を心に持ち、試練に直面しても笑顔で受け入れる

 仕事に就いた後も、私は前向きで楽観的に励み、上司や同僚も私に優しく接してくれました。基層部門から行政部門に出向いてからは、仕事が多忙になり、人間関係も複雑になりました。基層部門では副主任でしたが、出向いた直後から重要な仕事を任されました。ある日、上司と共に上級会社と仕事を調整するために出かける予定でしたが、上司は直前に会議が入り、行けなくなってしまいました。そこで私が単独で報告に行くように言われ、急遽、副主任のWが一緒に同行することになりました。仕事の調整は順調に進み、上級会社の担当者も私の報告を高く評価しましたが、私は特に気に留めませんでした。

 数日後、正直な性格の副主任Lが「先日、上司が主任たちと会食した時、Wが君が上級会社の担当者に媚びを売っていたなど、ひどいことを言っていたよ」と教えてくれました。出向いたばかりの私にとって、残れるかどうかは不確かな状況で、Wが私を中傷したのは上司に悪い印象を与え、私を重用させないためだったのかもしれません。

 この話を聞いて心が少し揺らぎましたが、すぐに師父の『轉法輪』での教えを思い出しました。「例えば、ある人が職場に出勤したら、まわりの雰囲気がどうもおかしいということに気づきました。後になって人から、『誰それが君の悪口を言っている。上司に告げ口をして、君のことをさんざん言い触らしたりしている。君は鼻つまみ者にされたんだよ』と聞かされました。まわりからは異様な目で見られています。普通の人なら、それを我慢することができるでしょうか? 『こんなひどい目に遭わされて、耐えられるものでしょうか! やられたら絶対にやり返してやる! 奴に後ろ盾がいるなら、こっちにも後ろ盾がいる。徹底的にやろうぜ』となりかねません。常人の中でこのようにすると、常人からは強い人だと褒められるかも知れません。しかし、煉功者としてはそれは最低だと言わなければなりません。常人と同じように争ったり闘ったりすると、あなたはただの常人になります。もし相手よりも激しく争ったり闘ったりすれば、あなたは相手の常人にも及びません」

 以前この部分の法を学んだ時には、自分には関係のない遠い話だと思っていましたが、まさか実際に自分の身に起こるとは思いませんでした。私は笑みを浮かべ、「まるで何も変わってない試験問題に直面したようだ!」と感じ、この試練が来たのは自分を試すためだと悟りました。私はLに「彼が嫉妬しているのかもしれないね。大丈夫、上司も私のことを分かってくれているから」と穏やかに返し、Wに対しても変わらぬ態度で接しました。後に私独自で書いた成果が表彰されましたが、Wにも一部の賞金を分配しました。これは彼にとって予想外の出来事だったようです。考えてみると、陰で私をけなすことは彼の本意ではなかったのかもしれません。彼は、私の心性を向上させるために配置されて、私に一挙四得させていたのです。だから、彼に腹を立てるどころか、感謝しなければならないのです!

 その後、自分を振り返って内省すると、報告の際に話すことに集中し、仕事の結果ばかり気にしていたことに気付きました。自分にやり遂げたいという心、顕示心、上司に称賛されると喜ぶ心、自惚れる心、Wの立場にも思いを寄せなかった、人のために心を修めてなかったことがありました。こうしてみると、彼が私に気付かせてくれたことで、執着を見つけ、自分の境地を高める絶好の機会を得ることができました。

 (二)名利を手放し、トップへの執着を修める

 人生初めての試験でたまたま1位を取った時、父は「これからも1位を取り続けなさい」と言いました。成績が悪いと、父は私を洗濯板の上にひざまずかせ、壁に向かって反省させ、激怒することもありました。父が私のためにそうしていると理解していましたので、私は父を恨むことはありませんでした。父の死後、私を責める人はいなくなりましたが、「私は1位でなければならない」という考えが自然と身についてしまったのです。修煉によって智慧が開き、私は常に成績が良く、他人からも称賛されました。そのため、名誉への執着が増し、「1位を取れないのは恥ずかしい」とさえ思うようになりました。当時はそれが執着だとは気づかず、自分が頑張って勉強し、1位になるのは法理にかなっていると思い、実際師父の説法を正しく理解していませんでした。

 仕事に就いてからも、各種コンテストで1位を目指すようになり、この考え方が固定化されていきました。ある上司が冗談で「君が出ると他の人は1位を取れないから、今後君をコンテストに参加させてはならない」と言った時も、私は表面上は謙虚を装いつつ、内心では喜んでいました、これは師父が私に「名誉への執着を手放すべき」の暗示だったとは悟りませんでした。

 ある日、会社が若手フォーラムを開催することになり、上司から強く参加を勧められました。仕方なく参加することにしました。では、この機会に伝統文化を広め、同僚や上司たちの固定観念を少しでもなくさせ、今後真相を受け入れやすくすることにしようと思いました。原稿を書く際、さまざまな素材が次々と脳に浮かんできました。これは、私の一念が法に沿っており、師父が励ましてくださっているのだと分かりました。初戦と二次予選で私はどちらも1位を取りました。そして決勝戦では、数百人の会場と7千人以上のライブ配信の視聴者を前に、他の人の演説が皆、会社の輝かしい歴史や感動的なエピソードを称える中、私はどこか異質な存在でありながらも、テーマに正確に合った形で、伝統文化を通じて人々の善意を啓発し、独立した思考と事実を探求する勇気を促す内容を一貫して盛り込みました。観客の反応は非常に良く、その場にいた上司も感動し、ライブ中にも多くの人が私のスピーチ原稿を求めるコメントを残していました。これが私の個人の力量によるものではなく、師父が力を与えてくださっているのだと知っていました。

 結果、審査員とコネのある関係者が1位を獲得し、私は2位になりました。上司や同僚が私のことを不平に思い、本社の社長も私の勤務している会社に電話して謝ってくれました。「何人かで話し合った結果、あなたの会社の社員が一番うまく発表していたと皆が思っている。なぜ審査員の評価に反映されなかったのか理解できない…」と言われ、結果を前にして私の心にも不満が残りました。私の発表内容は間違いなく一番だと確信していたからです。しかし、法理で考えるとすぐに理解できました。そもそも大会に参加した目的は既に達成されており、何位だったかは重要ではないと。自分が「一番」にこだわりすぎていたことに気づき、その執着を取り除くべきだと思いました。

 その後、数年連続の成果発表でも同じような結果が繰り返されました。私のスコアは一位にふさわしいはずが、他の人には何らかの形で追加点が加えられ、私は常に二位にとどまっていました。ある時は、すでに私が最高得点であると公表されていたのに、証書を授与される時には二位になったこともありました。そうしたことを経験するうちに、「私は一位であるべき」という心を完全に取り除くべきだと感じるようになり、その心を排除し続けました。それ以来、発表会で結果が出る前には、「たとえ二位でも不満を言わないようにしよう」と自分に言い聞かせ、名誉を求める心、メンツを気にする心、嫉妬心を捨て、心性を守るよう心がけました。

 数年間の努力を経て、今や再び二位という結果に直面した時、私はすでにそれを淡々と受け止められるようになっています。主任や上司が仕事のグループチャットで私のために不平を述べてくれても、心には少しも波紋が起こりませんでした。

 振り返ってみると、私がこの執着心を手放そうと決意したとき、ますます努力を重ねた時、慈悲深い師父が二十年以上も積み重ねてきた頑固な物質を取り除いてくださいました。以前の私は「一位」に固執し続け、名誉を求める心に支配されて心身共に疲れていることに気づかず、師父に多くの心配をかけていました。「一位」への執着を手放してみると、本当に世俗を超越したような軽やかさを感じました。

 (三)真に着実に修め、法の中で自分を正し、魔難を乗り越える

 職場の同僚は多くが高学歴です。私は昼食後の散歩、出張の移動中、宿泊先での同室など、彼らと二人きりになる機会を利用して、第三者の立場で真相を伝えていました。ほとんどの同僚はこれまで真相を聞いたことがなく、聞いた後は非常に驚いていました。少数の人は笑って何も答えませんでしたが、ほとんどの人が快く三退しました。現在では半数以上の同僚が真相を聞き終え、残りはあまり接点のない異性の同僚です。忙しいサラリーマンにとって、日常で真相を聞く機会は少なく、同僚として伝えることで時間も十分にあり、安全かつ説得力があるため、効果が比較的良いのです。まずは同僚に伝え、次に上司に伝える予定でした。

 一度、真相資料を配布している際に連行され、自宅を捜索されました。私は断食で抗議し、供述を一切せず、正念を発し続け、対話の際にはただ真相を伝え、2人の警察官を三退をさせました。国家安全保衛大隊の警察は何も聞き出せなかったですが、顔認識で私の職場を突き止め、職場の上司に連絡し、私は「保釈」されました。帰宅後、心を静めて自分の修煉状態をじっくりと見直したところ、自分の修煉があまりに表面的で、怠けていたことに気づきました。煉功や正念を発することが少なく、自我、強情、人を見下す心、人に言われるのを嫌う心、怨恨心、嫉妬心、安逸心など、多くの執着があることに気づき、もっと早く真に修めることをしなかったことを後悔しました。私はすぐに法にそぐわない考え方や言動を正し、長時間強く正念を発し、師父に加持を求め、旧勢力の按排を完全に否定し、師父が按排された道だけを歩むことにしました。師父は私が法の中で正したことを見て、魔難を乗り越えるよう助けてくださいました。師父が弟子のためにしてくださったすべてに感謝しています!

 それ以来、職場の上司たちは皆、私が大法の修煉者であることを知るようになりました。主要な2人の上司は何度も私と話し合い、大法をやめるよう説得しましたが、私は毅然としてそれを拒否しました。上司は不思議そうに言いました。「君は以前は本当に優秀だった。この知らせはまるで雷が落ちたように皆を驚かせた。社長も驚きを隠せず、偉い上長らに『君の思考は非常に論理的で、仕事能力も高い。そんなことは絶対にありえない!』と説明していたよ。」私は微笑み、揺るぎない自信を持って誇らしげに答えました。「大法を学んだからこそ、私はこんなに優秀になれたんです! 私は幼いころから大法を学んでいます。大法は、学生であれば学業をしっかりこなすべきであり、社会人であれば仕事をきちんとやり遂げるべきだと教えています。盗みや暴力のある家庭では品行の優れた子供は育たないでしょう。同様に、私の言動をご覧になれば、大法がどんなものか分かっていただけるはずです!」私は上司に大法の真相を詳しく説明しました。上司はとても心を動かされた様子で、「真相を伝えるのは、他にも多くの人がやっているんじゃないか? なぜ君がやる必要があるのか?」と言いました。私は毅然として答えました。「私は恩を忘れることはできません! 迫害を前にして、すべての人がこうできるわけではありません。真相が明らかになるその日が来たら、あなたは私のような社員がいることをほこりに思うはずです。」

 その出来事以来、上司たちは以前よりも私に対して親切になり、真相を理解した後、内心で大法や大法弟子たちを尊敬しているのだと信じています。

 後書き

 現在、私は着実に修めることの重要性をさらに認識し、毎日とても充実して過ごしています。朝早く起きて煉功と学法を行い、通勤中には法を暗唱し、仕事の合間には正念を発し、常に自分を内省し、機会があれば同僚に真相を伝え、退社後も学法を続けています。私は限られた時間を大切にし、すべての人心や執着を修め尽くし、100%大法に同化していきます。自分をしっかり修めてこそ、安定した修煉状態で人を救い済度できるのです。

 こうして修煉体験を書くことで、師父にこれまでの修煉体験を報告し、師父の慈悲なる苦度と見守りに感謝します。同時に、自分の足りない部分を見つけ、さらなる精進していきます。また、すべての若い同修が最後の時期に、よりよく行っていけることを願っています。私たちはなんと幸運なことでしょう。広大無辺の宇宙に数えきれない生命がいる中で、師父に選ばれ、法を正す時期の大法弟子となったのです! この機会を大切にし、共に最後の道をしっかりと歩み、初心を忘れず精進し、誓いを果たし、師父と共に帰ることを目指しましょう。

 以上は個人的な体験であり、不適切な点があればどうか同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 師父に感謝いたします! 師父、ありがとうございます!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 (完了)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/11/7/484394.html
 
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