文/遼寧省の大法弟子 霊芝
【明慧日本2024年11月26日】
2023年7月、息子一家3人が海外から帰省し、私たち夫婦はとても喜びました。コロナ禍の影響で、何年も会えない状態が続いていたからです。息子たちは北京観光に行く予定だったので、私は3万元(約60万円)を出して旅行費用に充てました。また、家の貯金の一部を息子の名義に変えたり、嫁には7せん元(約14万円)以上する宝石付きの金のネックレスをプレゼントしたりしました。息子夫婦が好きな料理を作り、好きな果物を買い、すべての費用を私が負担しました。
一方で、息子と嫁は、私たち夫婦が使っているものが古くなりすぎていると、古い鍋や大きな杓子だけでなく、私たちの下着までも処分してしまいました。そして、「新しいものに買い替える」と言うのです。
ある日、嫁が同窓会から帰ってきて「お母さん、服をいくつか買ってきましたよ」というので、「どんな服なの?」と聞くと、彼女は「昔ながらの厚手のニットの上下よ。全部、特大サイズにしておいたわ」と言いました。見てみると、やたらと大きくて長く、普通の服の形をしていませんでした。私の身長は157センチで、太っているわけでもないので、全然似合いません。「どこで買ったの? すぐに返品してきて、私は要らないから」と私は言いました。
すると嫁は「お母さん、こういう昔ながらの服が好きなんじゃなかったんですか?」と言うのです。その言葉を聞いて、私は思わず腹が立ちました。「いつ私がこんな時代遅れの服を好きだなんて言った?」と思いながらも、「いらない」とだけ言い、作業に戻りました。
心の中はまるでハエを飲み込んだような気分で、作業をしながら「私は嫁に息子以上によくしてきたつもり。何かお返しをしてほしいなんて思ったことは一度もないけれど、こんなガラクタみたいな服で私の心を傷つけるなんてひどすぎる」と考えていました。夫も「7千元のネックレスがゴミみたいな服に化けたな」と言いました。
その時、私ははっと目が覚めました。「冷静にならなきゃ。夫まで巻き込んで怒らせてはいけない。私は修煉者だから、法に基づいて物事を見なければならない」と思い、まず自分の考えが法に則っているかどうかを探り始めました。冷えた心、不公平だと感じる心、悔しく思う心、傷ついた心等々、これらはすべて人心ではないでしょうか? そして、これこそ修煉者が取り除くべき心ではないでしょうか?
そう気づいたとき、嫁は私の修煉を助けるために来たのだ。この出来事を通じて、私が人心を取り除き、より高い境地に達するよう導いてくれたのだ。常人のものはどんなに素晴らしく見えても、結局はゴミにすぎないのだと悟りました。心がすっかり明るくなり、嫁に対して以前よりも優しく接するようになりました。1カ月後、息子一家が帰国した後、嫁が買ってくれた不格好な服を取り出し、自分で裁断してぴったり合う下着を2着作りました。
この1カ月間、私はとても疲れを感じていましたが、毎日欠かさず学法を続けていました。ある日、深夜12時の正念を発した後、横になった瞬間、身体が何かに固定されたように感じました。そして、宝石のように強い光を放ち、とても神秘的で荘厳な感覚が全身を包みました。その状態は5分間ほど続きました。
翌日、その美しい感覚を何度も思い返しながら、「もしかして、私の身体が佛体に修成したのでは?」と思いました。「それなら、私は猫背になるはずがない!」と考えたその瞬間、長年の猫背が一気にまっすぐになったのです! 本当に信じられないほどの奇跡でした。10年以上も続いていた猫背が、数秒で治り、歩くとまるで宙に浮いているような感覚でした。なんて素晴らしいことでしょう。夫も「身長が伸びたみたいだね。歩くときも前をまっすぐ見られるようになったし、もう下ばかり見ていないよ」と驚いていました。
私は1996年に修煉を始めました。今年76歳になります。治らない病気を抱えていたため、修煉を始めたのがきっかけです。修煉を始める前は、リウマチ性疾患や大腸炎、不眠症など、治療が難しい病を患っていましたが、大法を修煉してからは健康を取り戻し、28年間一度も病院に行かず、薬も飲んでいません。しかし、年齢を重ねるにつれ、常人と同じように腰が曲がり、猫背になるような現象が現れ、床を拭くだけで腰が痛くなることもありました。最初はこれを自然な老化現象だと思っていましたが、この猫背という不正な状態が、今回の嫁とのやり取りを通じて変わったのです。
今年の旧正月に起きたもう一つの出来事は、私が床を拭くと腰が痛むという不正な状態をも変えるきっかけになりました。正月5日、姉が息子、つまり私の甥を連れて我が家に年始の挨拶に来ました。食事を済ませて帰る際、私は甥に千元を渡しました。彼の娘が北京で大学に通っているからです。甥が帰った後、まさかのことに夫が激怒しました。「年始の挨拶に持ってきたものが100元ちょっとの物なのに、あんたは千元も渡すなんて、本当に無駄遣いだ!」と怒鳴られました。私は「彼の会社は1年以上給料が出ていないし、お金がないんだから仕方ないでしょ」と説明しました。しかし夫は「金の問題じゃないんだ。なんでこのことを先に俺に相談しないんだ? あんたはいつも一人で勝手に決めて、俺の意見なんてまるで存在しない。まるで俺を犬みたいに扱って、飯だけ食わせればいいと思っているんだ。この家にもう居たくない。俺は自分で部屋を借りて暮らす!」と怒りを爆発させました。
それを聞いた私は、さすがにあまりにも理不尽だと思いました。「私の給料はあなたより高いし、家事は全部私がやっている。毎日あなたの好きな料理を作って、魚や肉が絶えたことなんてない。ご飯ができたら何度も呼んでいるのに、食卓に来ないでスマホばかり見ている。こんなに恵まれた生活を送ってきたのに、まだ満足しないなんて、本当にわがままだ」と心の中で思いました。一方で、私は一生懸命働き、心を砕き、疲れ果てるような日々を送ってきたのに、このように言われるなんて、なんとも言えないほどのやるせなさを感じました。
冷静になって考えてみると、私は修煉者であり、このような見方をすべきではないことに気づきました。無条件に内に向かって自分を探さなければなりません。夫が「お前は強引すぎる」と言ったことは、確かにその通りでした。私たちは40年以上一緒に暮らしてきましたが、家庭の大小の決定権はすべて私が握っていました。私は夫を見下す心があり、彼ののんびりしている性格が嫌いで、長年彼に対して不満の心を抱えていました。これでは彼が私の好意に感謝しないのも無理はありません。私はこれらのよくない心を取り除き、「真・善・忍」に同化しなければならないと悟りました。そして夫に謝罪しました。「これからは私が改めます。あなたに決めてもらうようにします。私たちは夫婦という縁で結ばれています。それは神が私たちを結びつけたものであり、別れることは神への背信です」と伝えると、夫は最終的に私と和解してくれました。
ある日、夫に床を拭いてほしいと思いました。けれども、すぐに思い直しました。「夫に頼むのはやめよう。今日は絶対に不満や恨みを抱かず、どんな作業でも自分でやり遂げよう。私には何でもできる」と決心したのです。不思議なことに、あっという間に3部屋の床を拭き終えたのに、腰は全く痛みませんでした。そしてそれ以来、10年以上続いていた腰の痛みが完全に治ったのです。
この二つの出来事を通じて、大法の奇跡を目の当たりにし、しかも、深く実感しました。法を学び、得ることで人間の観念を変え、心性を高めることができれば、身体にも大きな変化が起こるのだと実感しました。