文/アメリカの大法弟子
【明慧日本2024年11月29日】私は2001年、同修とよく一緒に法を学び、正念を発しました。私たちは修煉のことにおいて互いに注意し合い、動作を修正し合い、眠くなったとき、目を開けて意識をはっきりさせることにしました。私は掌を立てていると、掌を立てられないような、まっすぐに伸ばせられないような力をよく感じました。あるとき、正念を発していると腕さえも上がらず、肩から掌にかけて玉石のような重さがあったため、私は目を開けたまま15分間、正念の口訣を唱えながら、正念を発したのを覚えています。そのときの状況にとても驚きました。
2002年、中国大陸で法輪大法への迫害が深刻で、放浪生活を余儀なくされた私は、小さな目覚まし時計を買って首にかけ、明慧ネットで教えてくれた通りに時刻を合わせ、毎日怠ることなく、正念を発することを大切なことにしました。その頃、明慧ネットでは、北京時間の毎週日曜日の午前5時、6時、7時、この3つの時間に正念を発するようにと通知がありました。
その頃、念力を集中させるためには、自分の空間場をきれいにしなければならないことに気づきました。そして、私は毎日、5分以上、時には何時間もかけて、自分の考えや業力、悪い観念を取り除くようにしていました。次第に、正念をスムーズに発することができるようになり、眠気もなくなり、腕が上がらないという状況もなくなりました。
私ははじめて自分の考えをきれいにするとき、それらの奇妙な、混沌とした考えを止めようとしてもできませんでしたが、徐々に、落ち着くことができ、きれいにするという意識があれば、けっこう広範囲でできました。あるとき、正念のエネルギーが毛穴より小さくて微視的なところまで届いて、一層一層きれいにすることができ、和やかで、純粋になったのが見えました。そのとき、私も入定になったような状態でとても静かになりました。
しかし、常人の中で仕事をし、生活をしているので、必然的に様々な妨害、様々な困難があり、心が揺れることが起こるのです。そうすると、正念を発するとき、また、眠い、気が散る、雑念が出ることがあります。このように、良いときもあれば悪いときもあり、安定することもあれば不安定なこともあり、転びながら進み、2003年になって、発正念をするとき、立てた掌が再び倒れることはなく、蓮の花の形のときも両手を閉じることはなくなりました。私は薄かった掌も厚く、丸く、力強くなり、ついに正念を発する力を感じることができました。
私の掌を立たせることができないとき、眠くなるとき、エネルギーが閉じ込められたかのように、パワーが出ないとき、私の空間場に対応する護法神は私を助けに来ますが、私の主意識が主であるため、護法神たちにも何かをすることはできませんでした。無邪気な嬰孩が現れることもあり、嬰孩たちは私の倒れそうな掌を強力に支えたり、数人で大きな扇子を持ち上げ、風を起こし、寝ている私を起こそうとしたりしました。嬰孩たちはまた、私のうぶ毛、髪の毛、まつげなどを抜いたり、耳の中や鼻の中に入ったりして、私を目覚めさせようとしました。しかし、私は嬰孩たちを見ながらも、完全に目覚めることができませんでした。これらのことを振り返ると、感慨深くて、恥ずかしくなります。2003年、私はついに発正念のとき、ぼんやりする段階を通過しました。護法神たちは私のために、喜んでくれました。2005年、明慧ネットで全世界で正念を発する4つの時間の通知が発表されました。
しかし、人間の世界はすべてが謎であり、人間の世界は険悪で試練に満ちています。
2009年、私は610弁公室の人に連行され、取り調べを受けました。610弁公室の人たちは腕を組み、私に向かって、「お前たち法輪功は、正念を発すると効果があると言わなかったか? じゃ、早く正念を発しなさい」と笑われました。彼らは私が正念を発しても逃げられないことを嘲笑しました。それを聞いて、私の人心が出てきて、正念が消えてしまいました。私はただそこで体が固まっていました。その日、私はすぐに正念を発することさえ忘れ、天目も閉じてしまい、何も見えなくなりました。この嘲笑は本当に私を悟らせるものですが、ただ一つの表面的な嘲笑によって私を迷わせていたことに気づいたのは、何年も経ってからのことでした。それは深刻な教訓でした。それ以来、私は考えることがなければ、大法のプロジェクトをしていないとき、いつでもどこでも、正念を発することを習慣にしています。いつどこにいても、眠っていても夢の中で、私は正念を発し、正念の口訣を唱えていました。
2013年、私は渡米しました。掌が倒れなくなって、大蓮花手印が正確になってから、私が掌を立てると、瞬時に空間場が静まり、全身にエネルギーがみなぎり、正念を発する状態に入ることができます。さらに、掌を立てなくても、正念を発することができます。正念を発し始めると、自分の体が空に届くまでどんどん大きくなっていくのを見たことがあります。邪悪を解体させるために発した「滅」という文字は、その何千倍、何万倍もの大きさで、言葉では言い表せないエネルギーが金色のように輝き、宇宙全体を覆っているのです。「滅」という言葉は、穏やかで、慈悲深く、威力は無限です。
私が全世界の発正念の時間に、あるいは決めた時間の発正念のとき、他の空間で善と悪の戦いが繰り広げられ、時には緊張しハラハラする時に、壮観な場面が見えました。
ある日の夜中に空に大量の邪霊、腐った幽霊、悪魔が暗雲とともにベイエリアに押し寄せてきました。私を見た悪魔のリーダーは、「お前は一人だが、俺たちには何千という兵隊がいるんだぞ」と笑いました。これと似たような夢を見た同修を思い出しました。その同修はその時、真顔で「私は一人ですが、千の軍勢と万の馬に相当するのです!」と言ったそうです。私がたった一つの正念を発すると、そのもろい悪魔たちは煙のように次々と滅ぼされていったのです。
師父は「一人の大法弟子は正念が非常に強ければ、山を切り分けることができ、一念でやり遂げてしまいます」(『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」)と説かれました。
しかし、正念が強くなかったり、眠くなったり、利己的な考えや恨みなどがあったりすると、うまくいきません。闘争心があると、良い結果は得られません。皆が協力し合い、発するエネルギーが純粋で慈悲のあるものであれば、良い結果が得られるのです。