晩秋の『霜降』:風が清らかな雲を巻き払い 空は果てしなく霜が広がる
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 【明慧日本2024年12月1日】【明慧の窓、記者・顔朴芳による総合編集】『秋風が冷たく、草木が枯れ、露が霜になる』[1]とあるように、秋の最後の節気である『霜降』が訪れました。霜降は二十四節気の第十八番目の節気で、太陽が黄経210度に達した時です。毎年、霜降はグレゴリオ暦の10月22日から24日の間にあり、2024年の霜降は10月23日です。

 『月令七十二侯解集』には、「九月の中頃、気温が引き締まり、露が霜となる」とあります。これは旧暦の九月には気温が下がり続け、夜や朝方に水蒸気が地面や物に凝結してふんわりとした氷の結晶、すなわち霜になることを指しています。通常、秋に初めて降りる霜を「早霜」または「初霜」と呼びます。

 「霜降向かい寒さ来たる、薄氷が清らかな水を覆う」[2]。霜降の後には、次の節気「立冬」が続きます。そのため、霜降は北半球において秋から冬への移り変わり、季節の変わり目を象徴しており、この時期、寒さに弱い植物は成長を止めます。中国のほとんどの地域では涼しさと寒さを感じられるようになります。

 霜降の三候(霜降の三つの段階の物候)

 唐代の詩人・元稹の詩『風が清らかな雲を巻き尽くし、空は果てしなく霜に覆われる』[3]は、霜降の特徴を表しています。北風が清らかな雲を巻き上げ去り、空の果てまで早霜が広がる様子が描かれています。詩人・白居易もまた、霜降が年の暮れを告げる序曲であることを感じ、『霜降で水は谷に戻り、風で木の葉は山へ帰る。しみじみと年の宴が近づき、万物はその源へと帰る』[4]と詠んでいます。

 霜降が始まると、気候は徐々に深秋から冬へと移り変わります。『逸周書・時訓』には、霜降の三つの段階の物候が記されています。

 1、霜降が訪れると、豺(やまいぬ)や狼が冬の食料を準備し、捕らえた獲物を並べる様子がまるで祭りのようです。

 2、霜降の五日後、万物は天地の冷厳な気を感じ、草木や樹の葉が枯れ黄ばんで落ちます。漢代の張衡の詩には、「繁霜降りて草木零(こぼ)る」と、秋の寂寥を詠んだ詩があります。

 3、霜降の十日後、寒さが次第に増し、冬眠する虫たちは皆、穴の中で頭を垂れ、動かず食べることもありません。宋代の黄庭堅は『諦居黔南十首』で「霜降りて水は谷に戻り、風で木は山に帰る。歳月はゆっくりと過ぎ、虫たちは皆、穴に閉じこもる」と詠み、虫たちが冬眠に入る様子を描いています。

'唐代诗人元稹的“风卷清云尽,空天万里霜。”形容了霜降节气的特点:北风卷起清云而去,空天万里披上了早霜。(清《允禧山水・册・枫叶霜林》,台北故宫博物院)'
唐代の詩人・元稹の詩『風が清らかな雲を巻き尽くし、空は果てしなく霜に覆われる』[3]は、霜降の特徴を表しています。清代 『允禧山水・冊・楓葉霜林』 台北故宮博物院)

 霜降の養生:穏やかな補養を心がけ、辛いものを避ける

 自然界の四季の変化に応じて、人々の養生も軽視できません。季節の変わり目で寒暖差が大きい晩秋の霜降期には、心身の健康により気を配る必要があります。生活リズムは早秋・中秋のように早寝早起きを続け、激しい運動や過度な運動を避けるようにしましょう。心身と脳の健康に良い活動、例えば新しいことを学ぶ、創作活動に取り組む、静坐を練習するなどが推奨されます。これにより、冷静で楽しく集中した状態に入り、気分の落ち込みやエネルギー不足といった秋の鬱症状を避けられます。

 中医学の養生の観点から、外側では衣服を追加して全身を暖かく保ち、特に腹部を保温することが重要です。身体の一部が冷えた場合、慢性胃病、「老寒腿」(膝関節の変形性関節炎)、慢性気管支炎などが再発または悪化しやすく、また心血管疾患、アレルギー性鼻炎、秋冬のインフルエンザや呼吸器感染を引き起こしやすくなります。

 内側では乾燥を防ぎ、肺を潤し、脾胃を健やかにし、身体の防衛能力を高めることが大切です。俗諺に「一年間の補養よりも霜降の補養が大事」とあるように、秋は熱をもたらす補養方法は適さず、「平補」(穏やかな補養)を中心とし、気血を整え胃を養う食事が推奨されます。例えば、梨、リンゴ、オリーブ、白果(銀杏)、玉ねぎ、からし菜、大根、リュウガン(龍眼)、ナツメ、蜂蜜、慈姑(シログワイ)などの淡泊で穏やかな自然食品が適しています。

 粥を多く食べるのも良いでしょう。李時珍の『本草綱目』には、「古方では薬物、粳米、粟(小米)、梁米を用いて粥を作り、多くの病気を治療する」と記されています。古代中国医学では、粥は胃を温め、津液を生じる効果があるとされ、優れた平補養生の食事として推薦されています。例えば、葵菜粥、百合粉粥、菜粥、松子仁粥などが適した平補の食事です。

 晩秋は「秋燥」になりやすく、身体が上火(うわび)しやすいので、胃腸に刺激の強い食べ物を避けることが重要です。生姜ダック、焼酒鶏、羊肉鍋などの熱補の方法や、辛くて刺激的な味の食べ物は、燥熱体質の人が上火になり、便秘になる原因となり得ます。また、秋に多く食べられる栗は優れた補養食品ですが、生のままでは消化が難しく、加熱した場合でも胃に滞りやすいため、消化が弱い人は食べ過ぎないよう注意が必要です。

 霜降の習俗

 打霜降

 『周礼』には、大司馬(全国の軍事を統括する官職)が出兵する際、「軍牙六纛之神」と呼ばれる旗纛(音読み:とう、dào)を祭祀することが記されています。古来の風習によれば、毎年立春が出兵の日とされ、霜降が兵を収める時期です。そのため、霜降の前夜には、府や県の総兵や武官が完全武装し、甲冑をまとい、刀や槍、弓矢を手に整列して旗纛廟に赴き、兵を収める儀式を行いました。これは不祥を除き、天下の平和を願うものでした。

 霜降の日の早朝、五更(夜明け前)の時刻に武官たちは旗纛に向かい、三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼を行い、儀式が終わると隊列を組んで空砲を三発放ちます。その後、火砲を試し、銃を撃つことが「打霜降」と呼ばれ、「祭旗纛」とも称されました。この儀式には、多くの庶民が集まり見物に訪れました。

 古代の霜降の秋祭りは、人々が天への崇敬を示すものでした。

'清《雍正帝祭先农坛图卷》局部。(公有领域)'
清代《雍正帝 先農壇を祭る図巻》の一部(パブリックドメイン)

 凧揚げ

 清明節のほかに、霜降の日も凧揚げの日とされています。江南地方では3月から4月が雨季にあたり、凧揚げには適さないため、地元の人々は秋の澄んだ空気が気持ち良い重陽節や霜降の頃に凧を揚げることが多いです。この時期は涼しく、北東の季節風が強まるため、凧揚げの黄金の季節とされています。台湾各地でも毎年、凧揚げ祭りが開催されます。

 柿や大根を食べる

 霜降の前後は柿がちょうど熟す時期であるため、「霜が当たった柿は真っ赤な火のよう」「霜降には柿を摘む」という言葉があります。霜が降りると柿の葉がすべて落ち、枝にはランタンのような赤い柿の実がたわわに実ります。霜が当たった柿は甘みが増し、渋みが少なくなるため、収穫に最適な時期です。

 李時珍の『本草綱目』には「柿は脾臓、肺、血液の果実であり、その味は甘く、気は平穏で、渋みがあり収れん作用がある。ゆえに脾を健やかにし、腸を引き締め、咳を治め、止血の効果がある」と記されています。柿は古くから、美味しくて健康にも良い珍しい果物とされてきました。

'霜降前后,正是柿子的成熟期。(图为《元人丰登报喜图・轴》局部,前方果盘盛满百合、柿子、苹果、佛手,旁置柏枝与柿、灵芝与细颈玻璃瓶,巧妙运用同音谐音,表达“百事平安、福气吉祥”之意,台北故宫博物院)'霜降の前後は、ちょうど柿が熟す時期です。(写真は『元人豊登報喜図・軸』の一部。前方の果物皿には、ユリ、柿、リンゴ、仏手柑が盛られ、そばには柏の枝と柿、霊芝と細い首のガラス瓶が置かれています。同音の縁起を巧みに用いて、「百事平安、福運吉祥」の意味を表現しています。台北故宮博物院)

 霜降の後は寒さが増し、鼻水が出やすくなります。中医学では「肺は鼻に通じる」とされ、肺を適切に養生すれば自然と鼻水が出なくなります。柿は肺を利し熱を冷まし、脾を健やかにし胃を温める効能があり、「霜降には柿を食べれば鼻水が出ない」という言い伝えがあります。

 また、山東省では「処暑には高粱、白露には米、霜降には大根を抜く」と言われます。霜降の頃は大根の収穫期で、これは自然からの季節の恵みです。古くから「冬は大根、夏は生姜、医者いらず」「秋の大根は高麗人参に勝る」ということわざが伝えられています。

 菊鑑賞、紅葉鑑賞、芒花(すすき)鑑賞

 古くから「霜が降りて菊が咲く」と言われ、寒露や重陽節の時期に高所に登り菊を鑑賞する習慣が続いています。霜降の季節になると、多くの場所で菊花展が開かれ、富裕な家では広間に名品の菊を百鉢ほど飾り、酒を酌み交わしながら菊を鑑賞し、詩を詠んだり墨をふるったりします。

 晩秋には自然が美しい秋の装いを見せ、高地の紅葉は緑から赤に染まり、山野には芒花が満開になります。真っ赤な紅葉が重なり合い、銀色の芒花が風に揺れる様子は、寂しげな秋に賑やかな雰囲気を添えます。まさに紅葉や芒花を鑑賞するのに絶好の季節です。

'“霜叶红于二月花”[5],深秋正是赏枫的好时节!(清 恽寿平《瓯香馆写意・册・枫叶》,台北故宫博物院)'

『霜葉紅于二月花』[5]、晩秋はまさに紅葉鑑賞に最適の季節(清代の惲寿平《瓯香館写意・冊・楓葉》、台北故宮博物院)

 別離・思念・修行

 霜降は別れの季節です。黄色い葉が舞い、名残惜しくも木々に別れを告げ、虫たちは冬眠に入り、燕や雀も南に飛び立ち、かつて賑わっていた森は、遠くから見ると裸の枝ばかりが目に映ります。

 霜降は思いにふける日でもあり、万物が凋落する中で、人々は「時を感じ親を思う」とされます。北宋の詩人・黄庭堅は霜を踏みしめる時、親を思いました。「野に行き、足音を立てることさえ慎む。親の心が私のために動揺することがないようにと、霜を踏む憂いがある」と詠んだのです。この詩句は、帰りを待つ親の心を思いやり、霜を踏むかすかな音ですら親の心を煩わせてしまうのではないかと案じる心を描いています。詩人が親への深い思いやりを込めたこの「履霜の憂い」は、霜降の時期の親孝行の思いとして今に伝わっています。

 霜降はまた、修行の好機でもあります。華やかさが去り、静寂が広がるこの時期は、心を「五色六欲七情」から落ち着かせ、澄ませ、生命の本質を悟るのに適しています。秋が去り冬が来るこの時期、皆さんがより深い愛、知恵を持ち、尊重と感謝の心を持って、今日という唯一無二の日を真心と善意、寛容をもって生きることができますように。今日という日は、それぞれが美しさを創造する可能性に満ちています。お勧めのアルバム:「生命の意義を探す物語」をどうぞ。

'“霜降水返壑,风落木归山。”[4](清 董邦达《秋水芦村・卷》,台北故宫博物院)'

『霜降に水は谷に返り、風に木の葉は山に帰る』[4](清代 董邦達《秋水芦村・巻》、台北故宮博物院)

 注:
 [1] 出典:(三国魏)曹丕『燕歌行』
 [2] (唐)元稹『詠二十四気詩・立冬十月節』
 [3] (唐)元稹『詠二十四気詩・霜降九月中』
 [4] (唐)白居易『歳晩』
 [5] (唐)杜牧『山行』

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/16/483843.html