二度の生死の危機を乗り越えた
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文/北京の大法弟子

 【明慧日本2024年12月6日】私は1996年に修煉を始めた古い大法弟子で、今年73歳になります。大法を修煉して28年になりますが、修煉を始めたその日から一度も薬を飲んだことがなく、風邪も引かず歯も一本も抜けていません。歩くときはとても軽やかです。

 パンデミックの間、私たちのこの通りの人々は皆「中共ウイルス」に感染しましたが、私たち大法弟子は無事でした。それどころか、感染した親しい友人や家族を助けて困難を乗り越える手助けをしました。この大法は本当に常識を超えて素晴らしいです。 師父は本当に偉大です。近くの村にいる90歳を超える古い同修は、抜けた歯がまた生えてきたのです。本当に信じられません。

 この20年間、私は師父に二度の生死の危機を乗り越えさせていただき、師父に感謝申し上げます。今日はそれを書いて、師父に御報告し、同修の皆さんと交流したいと思います。

 「一瞬で生死の関門を超える」

 ある日の朝、3時過ぎに起きて煉功しようとした時、体が全く動かなくなりました。目が回り、歯を食いしばって口が開かず、声も出せない状態でした。ベッドで失禁し、排便か、それとも嘔吐しようとしているのかもわからず、冷や汗をびっしょりかいていました。背中やズボンがぐっしょり濡れてしまいました。「もうダメかもしれない」と感じましたが、意識ははっきりしていました。心の中で、「私は大法弟子だ! こんな風に逝くわけにはいかない。近所の人たちは皆、私が法輪功を修煉していることを知っている。もしこのように逝ってしまったら、師父や大法に恥をかかせてしまう。私は逝くわけにはいかない! 法が天地を正し、邪悪は全滅する。旧勢力が私の体に加えた迫害を解体しよう! 『法輪大法は素晴らしい、 真・善・忍は素晴らしい』」と考えていました。

 この危機的な時に、娘がやってきて私を見て驚きました。昨日まで元気だったのに、顔は石灰の壁のように真っ白でどうしてこんな状態になったのか理解できませんでした。娘はすぐに私を病院に連れて行こうとしましたが、私の意識がはっきりしており、両手でベッドの端をしっかりと掴んでいたので、娘は私を動かすことができませんでした。仕方なく、娘は同修のMさんに電話をかけました。同修たちは電話を受けるとすぐに、3人の同修と一緒に車で発正念を送りながら駆けつけてくれました。来る間中、私は師父の『洪吟』を暗唱していました。

 Mさんが家に入ってきてすぐに、「おばさん、大丈夫ですよ!  おばさん、大丈夫ですよ!」と言いながら、一気に私を支えてベッドに座らせました。そしてまた、「おばさん、大丈夫ですよ!」と言いました。

 その瞬間、私の体が「サッ」と軽くなり、目が開き口も動いて話せるようになり、目まいもなくなくなって、体全体が動くようになりました。娘はその様子を見て目を丸くして、「お母さん、これって演技だったの?」と驚いていました。

 私は涙が溢れ、「どうしてみんな来てくれたのですか?」と尋ねると、Mさんは「会いたくなったからですよ」と言いました。私は、「新鮮なごちそうは何もないけど、ちょうどトウモロコシが熟しているから、家の畑は村の入口にあって近くだし、いくつかトウモロコシを採ってあげるよ」と言いました。Mさんは「いいですよ、畑に行きましょう」と言ってくれました。娘は私に靴を履かせようとしましたが、同修は私に「大丈夫、自分で履けますよね」と言いました。

 私は自分で身支度を整え、階段を降りて外に出ると、4人の同修が後ろからついてきました。数分で畑に着きました。

 こうして、私の生死の関門は不思議なことに一瞬で乗り越えることができたのです。師父に心から感謝申し上げます!

 「不調が瞬時に消える」

 ある日の昼間、また突然、前回と同じような症状が現れて、とても苦しくなりました。我が家は幼稚園を経営しているため、先生たちに見られて大法のイメージを損ねることを避けなければなりません。私は壁に手をつきながら大門の外に出て、通りの石の上に座りました。心の中で正念を送りながら、自分がどこで間違えたのかを考えていました。

 その時、突然車のクラクションが「ビーッ」と鳴る音が聞こえ、顔を上げてみると同修のCさんが来ていました。彼は「おばさん、車に乗ってください!」と言いました。私は「どこに行くの?」と尋ねると、彼は「いいから乗ってください!」、私は朦朧としたまま車に引き上げられました。車に座った瞬間、「サッ」と体が軽くなり、すべての不調が瞬時に消え去り、まるで別の世界に入ったかのようでした。非常に美しく、非常に心地よく、これまでに感じたことのない素晴らしい感覚でした。

 Cさんは私を車に乗せ、家の北側から村の南側までひと回りしてから、再び私の家の前に戻りました。Cさんは「おばさん、もう大丈夫ですよ!」と言いました。私は車を降り、Cさんは何も言わずにそのまま車で去っていきました。

 同修たちは、どうやって私が生死の関門を乗り越えようとしていることを知ったのでしょうか? 本当に不思議です。今でも謎のままです。

 師父に感謝いたします! またしても、師父の御加護で不思議にも生死の危機を乗り越えることができました。

 「いくつかの小さなエピソード、大法の奇跡を証明」

 大法の本が金色に輝き、色鮮やかに見えた

 明慧ネットの交流文章を読んで、同修たちが「学法は最も神聖なことだ。天上の神々も学んでいる。学法するときは、姿勢を正し、両手で大切な書を捧げ、集中して座るべきだ」と話していたので、その通りにやってみました。本を開くと本当に金色に輝き、色鮮やかで、句読点までもが色とりどりに見えたのです。こんなことが三度もありました。私は感激で胸がいっぱいになり、「私はこの世に生まれてきた甲斐があった、本当に価値があった!」と思いました。それ以来、個人で学法するときも、学法グループで学法するときも同じように、正座し、両手で本を持ち上げています。これを続け、必ず師父と一緒に家に帰ります。

  体が乳白色に変わる

 数日前、シャワーを浴びているとき、突然自分の体が乳白色に変わったことに気づきました。驚いて、もう一度しっかり見ると元に戻っていました。師父が私を励ましてくださっていると感じ、これからさらに精進しなければと思いました。

 正念を発する時、体の半分が浮き上がる

 ある日、6時に正念を発していた時、手で印を結んだ瞬間、体の右半分が浮き上がろうとしましたが、実際には体は浮かびませんでした。私は、体の左側のどこかが師父によって固定されているのだと感じました。同じようなことが2回ありましたが、これも師父が私を励ましてくださっていると分かっています。

 師父はいつも私たちのそばにいらっしゃる

 近くの村に、一人で20年以上修煉を続けている古い同修がいます。彼女の家は、この地域で最初に優曇華(うどんげ)の花が咲いた家です。しかし、彼女のところに来た息子の嫁は村の幹部で、彼女に対して非常に厳しく、息子も母親の修煉を支持していません。夫は中立で、彼女が外に出ることも他の同修が家に来ることも許していません。

 私は彼女のことをずっと気にかけていました。ある時、他の村で学法をしていた帰りに、彼女の村を通りかかると、彼女がちょうど道端で荷物を待っていました。私を見かけると、彼女は私に抱きついて泣き、「これまで、私は煉功と学法を続けてきましたが、真相を伝えて人を救う勇気がなく、外に出られませんでした。師父はまだ私のことを見捨てないでおられるでしょうか?  まだ私のことを気にかけておられるでしょうか?」と尋ねました。私は「師父は慈悲深く、縁のある者を決して見捨てられません。今日、私たちがこうして会ったのも師父が按排してくださったことです」と言うと、彼女は「ありがとうございます、師父!」と感謝の言葉を口にしました。

 翌日、彼女は私と一緒に学法グループに参加しました。しかし、家族の束縛は続いていました。ちょうどその頃、師父の新しい経文『台湾法会に参加する大法弟子へ』が発表され、私はその内容が重要だと感じ、早く彼女に届けたいと思いました。家に向かう道すがら、彼女の家に入る際に息子や嫁、夫がどう反応するか、何を言うべきかと様々な状況を想定していました。しかし、彼女の家の前に着いた瞬間、電動三輪車を止めると同時に、彼女が玄関のドアを開けて出てきました。私は驚きと感激で言葉もなく、新しい経文と『明慧週刊』を彼女に手渡すことが出来ました。大法の力は本当に素晴らしいです。

 同修の皆さん、精進しましょう! 師父はいつも私たちのそばにいらっしゃいます。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/10/483756.html
 
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