【明慧2024年12月16日】神韻芸術団の公演が始まって17年、世界中の観客の反応を振り返ると、その卓越した芸術の表現形式への称賛から、中国伝統文化の価値観の推奨、神韻アーティストたちの精神力への賛嘆、そして正のエネルギーや神性からもたらされる光と希望の感動、神韻が伝えるメッセージの理解、創世主の救済への感謝などまで、私は神韻が人々を救う過程を真の当たりにしました。
師父は「法を正すことと、法がこの世を正すことの二つの段階があるので、未来の段階はつまり人間のこのところで法を正し、三界、人類、星と地球、生命と人体の関係、人類社会が一歩一歩発展してきたその目的などを全面的にお話します。これが人類の歴史の真実です。さらに神が人間を造ったこと等々もお話します。全ての人類のことについて話すだけでなく、人間が信じていなかった全ても現れてきます」と説かれました。(『各地の説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」)
去年、師父は相次いで『なぜ人類が存在するのか』、『なぜ衆生を救い済度するのか』、今年は『人類はなぜ迷いの社会なのか』を発表されました。私たちは進展がすでに法が人間界を正す段階に進んでいることを知っています。
「末後に至ったとき、創世主は天体にいるあまたの神、王、主と天体の一部を司るさらに巨大で大きな神と大覚者が、世に降りて人間になることを認めたのです。彼らが持っている智慧と能力を封じ、最も苦しくて能力も智慧もない完全に密閉された人体の中で苦を舐め業を滅し、苦しみの中で正念を頼りに善良な本性を守り抜いてはじめて神々と創世主に相手にされ、未来に認められるのです」(『人類はなぜ迷いの社会なのか』)
私は、これは師父が差し迫った世界的な災難に対して、衆生への慈悲なる説法であり、世人に「苦難の中で善良を守り抜けば救われる」と教えて下さったものであると理解しました。ではどのようにして苦難の中で善良を守り抜くことができるのでしょうか。
神韻の舞踊劇「善の力」では、法輪大法の修煉者が命の危険を顧みずに、彼らを迫害する警察を救おうとする物語が描かれています。修煉者の善の力に感化された警察は次第に悪行を捨て、神を信じる心を抱くようになり、最終的には神の救いを得るのです。大法修煉者の「徳をもって怨みに報いる」という行いは、世界中の多くの観客を震撼させ、深く感動させています。
「レストランの物語」では、もともと互いに競い合っていた二つのレストランのうち、一方の店が突然火事に見舞われます。するともう一方の店は幸運を喜ぶどころか、全力を尽くして消火を手伝い、「人の災いは自分の災い」という精神を示します。最終的には両店は過去のわだかまりを全て解き放ち、和やかに共存するようになります。
長年にわたり、反迫害の舞踊劇では、迫害によって命を落とした法輪功修煉者の家族(彼らも大法の修煉者)が、愛する家族を失った深い悲しみの中にあっても、悪らつな警察に復讐することはなかったと描かれています。多くの場合は悪らつな警察は神の威厳を恐れ、逃げ去ります。最後には、修煉者が神への信仰を揺るぎなく保つことで、神の加護を受け、天に昇るか、死から蘇るのです。多くの観客が神や創世主の慈悲深い済度を感じ、苦痛や絶望の中で光明と希望を見出したと語っています。
神韻は最高峰の芸術形式で素晴らしい物語を演じ、華麗な五千年の文化の精髄を通じて、観客に苦難の中で善良を守り抜く方法を教えています。このような神への信仰、「人の災いは自分の災い」とする精神、そして「徳をもって怨みに報いる」といった気高さこそが、中国の正統的な文化の核心です。
現在、世界情勢は目まぐるしく変化し、疫病が絶えず、対戦の危機が差し迫っています。将来困難な日々は避けられないでしょう。多くのセルフメディアでは、末世の大災難に関する予言が熱心に語られています。
師父は「罪業を返す時はもちろん辛いのです。業力があるから、この世に争い、戦争、病、苦労、飢餓、貧困があり、それによって苦しんでいます。もちろん、大きい罪業もあれば小さい罪業もあり、その大きさの違いがあるため、人生に貧富の違いが生じたのです。人間は迷いの中で善良であり続ければ、業を造ることが少なく、苦を舐めることも少なくなるのです!」と説かれています。(『人類はなぜ迷いの社会なのか』)
神韻を鑑賞した後、インタビューで「私は良い人になりたい、もっと良い人になりたい」と語る観客がいます。私は神韻が非常に重要なメッセージを伝えていると悟りました。それは、「苦しみの中でも、迷いの中でも善良を守り、神を信じることで、最終的に神の救いを得ることが出来る」ということです。