文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年12月20日】時を遡ること2017年の春、旅行中の夫・華が私に電話をかけてきて、「雲南、貴州、四川をもう少し旅して回りたい」と話した後、完全に携帯の電源を切ってしまいました。私は何度も電話をかけましたが、相手は常に電源が切られている状態でした。夫の家出が全く予兆なく起こったことを、私は理解しました。しかし、修煉者である私は、この出来事が起きた後も比較的心穏やかでいられました。私は「これは良いことだ」と悟り、何を慌てる必要があるのか、と思いました。
この間、以前読んだ同修の交流文章に書かれていた夫婦間の怨恨や因果について思い出しました。「借りたものは返す、それで何を不満に思う必要があるのか?」と。私は自分に「縁や運命を見極め、笑顔で受け入れよう」と言い聞かせました。その間、心の中に恨みも苦しみもなく、あるのは静けさと慈悲だけでした。時間は一日また一日と過ぎ、やがて一カ月また一カ月が経ちました……ある日、夢の中で夫・華が彼の故郷の壊れた家の中にいるのを見ました。彼は長くて狭い木の長椅子に座り、その上にはとても小さな水を飲むコップが一つ置いてありました。私は一歩で家の中に入り、「一緒に帰りましょう」と言いました。彼は立ち上がり、私についてきました。
目が覚めた後、私は「こんなに小さなコップ……なんて心の狭い夫なんだろう」と思いました。しかし、すぐに考え直しました。「修煉は自分自身を修めるもの。この夢は、私に心の狭さを戒め、心を広げ、寛大さを持ちなさいと教えているのだ」と悟りました。すると、この時、師父の法が突然私の脳裏に浮かびました。
「それは寛容であり、非常に洪大な寛容であり、他の生命を受け容れ、本当に相手の立場に立って他の生命のことを考えてあげることができます」(『各地での説法二』「2002年アメリカ・フィラデルフィア法会での説法」)私は、自分がしっかり修めれば、この難関を乗り越えられると悟りました。両手を合わせ、師父に「私はできます。私と縁のあるすべての生命を受け入れます」とお伝えしました。
時は一年また一年と過ぎ、あっという間に2年以上が経っていました。ある日、私はふと1篇の交流文章を読みました。その内容は次です。ある年配の大法弟子が病業の関を乗り越えているとき、彼女は「私は死んではいけない」と悟ったそうです。彼女自身はこの肉体に執着していなかったものの、もしこの肉体が死んでしまえば、法を実証し、衆生を救うことに大きな悪影響を与えると考えたのです。その一念によって、彼女は猛威を振るう病業の関を素早く乗り越え、すぐにまた人々を救うために外へ出て行ったというのです。その文章を読みながら、私は「師父、私も家庭や結婚に執着はありません。しかし、もし家庭が崩れてしまえば、常人には理解されないでしょう。だから私は、健康な体と卓越した仕事、良好な経済力で法を実証するだけでなく、円満な家庭も不可欠だと考えます。なぜなら、大法弟子は皆、福を持つ存在だからです」と思いました。
私は、重要な局面では、自分の一つ一つの念を修めることが非常に大切だと悟りました。同修の交流に触発され、私も一念が生じたとき、その念が利他的であり、無私無我のものであったため、瞬く間に個人修煉から正法修煉へと昇華しました。すると、事態はすぐに好転しました。ある日、夫・華が電話をかけてきて、「家に帰りたい」と言ったのです。そして2020年の春、夫は家に戻り、離れていた3年間が終わりました。私は彼を笑顔で受け入れました。それはまるで、彼が海外で3年間働いていただけのような感覚でした。
私の家族は地元でも比較的大きな一族です。ある日、家族の集まりで、従兄が声高らかに発言しました。「私は法輪功を本当に尊敬しています。世間で清らかな地は、法輪功だけに存在する! 本当の愛情を求めるなら、法輪功に行くしかない!」と。法を良く証明できたおかげで、一族の多くの者が大法に対して肯定的な見方を持つようになり、何人かは『轉法輪』を拝読し、中には何度も大法弟子を守ってくれた人もいました。
師父の弟子として、私は深く理解しています。師父が何度も啓発し、守ってくださったからこそ、私はこの関を乗り越えることができたのだと分かっています。師父のご恩に感謝し、跪いて感謝を捧げます。また、明慧というこのプラットフォームのおかげで、大法弟子たちは互いに交流し、支え合うことができ、私もこの関を乗り越えることができました。本当に感謝しています。