文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年12月29日】私は1999年初めに法を得た青年大法弟子で、修煉を始めて20年以上が経ちます。しかし、これまで精進する時間は少なく、気を緩めてしまうことが多々ありました。最近になってようやく、どのようにしっかりと修煉を進めるべきかが分かり始めました。師父の慈悲深い導きと、同修たちの無私の助けのおかげで、少しずつ自分を高めることができています。
一、精進するにはスマートフォンを断つことが必要
長い間、内心では精進したいと思いながらも、なかなか実行に移せずにいました。仕事が暇な時には、ついスマートフォンを手に取り、ショッピングサイトやエンタメ動画を見てしまう癖がありました。中国本土のテレビや映画は党文化が含まれていると分かっていたので避けていましたが、欧米や韓国の映画やドラマを好んで見ていました。食事中もスマホを立てて動画を見たり、時には運転中にまで見てしまい、危うく事故を起こしかけたこともありました。
スマートフォンは本当に危険なものだと痛感しました。師父は説法の中で、「人間は目で何を見ても大丈夫で、見たくなければ見なければいいと言っています。違います。目に入ってしまえば、身体に入ってしまいます。いかなるものもほかの空間で身体に入ることができます。長く見れば見るほど、たくさん入ってきます。テレビ、パソコン、どのようなものでも見たら、入ってきます。頭と身体にこれらの良くないものが多く入ってしまえば、あなたの行動はそれに制御されてしまいます。話したこと、思考方式、物事に対する態度は、いずれも影響されます」(『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」)と説かれました。
私も動画に引き込まれて喜んだり悲しんだりしてしまい、没頭するあまり時間を無駄にしている自覚はありました。しかし、そこから抜け出すことができず、精進しようとする意志が徐々に失われていきました。その結果、朝の煉功も起きられず、普段の生活が緩み、大法や修煉が人生の優先順位から外れてしまいました。完全に常人の状態に陥っていたのです。
ある日、邪悪な勢力による嫌がらせを受けたことで、私は自分の状態に目を向けざるを得なくなりました。この出来事で「恐怖」という感情が湧き上がり、初めて本気で自分を見つめ直し、修煉状態を振り返りました。普段は怠けていましたが、いざという時には目が覚め、真剣に向き合うことができました。
ある日、建物の屋上で空を見上げながら発正念をし、自分がどれだけ安逸な生活に浸り、大法弟子としての使命を忘れていたかを痛感しました。深い後悔の念を抱き、師父に心から謝罪し、「もう一度やり直したい」と強く願いました。そして、「私は邪悪に支配されない。三界にも警察にも縛られない。私は師父と共に歩む」と心に誓いました。この決意を固めた瞬間、本当に師父が私を守ってくださり、邪悪な干渉は完全に消え去りました。
その後、私はスマートフォンを一切見なくなり、職場では大法の音楽を聴いたり、法を読んだり、暗唱したりするようになりました。また、毎日午前9時と午後3時に正念を発し、その時間を30分まで延長するよう努めました。こうして修煉状態は少しずつ改善されました。当初は、自己防衛のために正念を発していましたが、次第に他の同修たちを助けるために発正念をするようになり、刑務所にいる同修たちの苦労にも心を寄せるようになりました。
朝の煉功も三日坊主ではなくなり、ようやく毎日行えるようになりました。以前は朝6時半から1時間動功を行い、夜に静功を補うという程度でしたが、今ではそれ以上に取り組むようになっています。精進は日々の積み重ねであり、怠けてもまた少しずつ進むものです。だからこそ、一瞬たりとも気を緩めるべきではないと実感しました。
ある時、「修煉とは一体何だろう?」と考えました。昔の修煉者たちは非常に厳格に自分を律し、多くの苦難を乗り越えていました。それに比べて、自分のように緩んだ状態で果たして修煉と言えるのか? これで円満を目指せるのか? と自問しました。大法修煉こそ、さらに努力し、精進し、苦しみを引き受けるべきではないでしょうか? 毎日を真剣に過ごすことこそ、本来あるべき修煉の姿なのだと、ようやく気づくことができました。このように当たり前のことに気づけたのは、今になってようやくのことです。
二、学法グループでの助け合い
師父は「師父は皆さんが救い合い、助け合い、人を救うと同時に自分自身を済度するようにさせたのです。これは末後のとき衆生が救い合っているのです」(「険悪を遠ざけよう」)と説かれました。
同修たちと共に学法をする中で、互いに助け合い、支え合うことの大切さを実感しています。同修の皆さんが私の修煉を大きく支えてくださったことに、心から感謝しています。もしも集団学法の環境から離れ、一人で修煉を続けていたなら、ここまで精進するのは本当に難しかっただろうと思います。
私は現在、二つの学法グループに参加しています。それぞれのグループには、個々の同修の特長や優れた点があり、それを互いに補い合えることが大きな励みになっています。例えば、Aグループの同修の良い点をBグループに伝えたり、逆にBグループの同修の素晴らしいところをAグループに共有することで、互いに学び合い、助け合い、そして精進を促し合っています。精進する姿勢はとても影響力があり、誰かが努力している様子を聞くと、それに感化されてさらに頑張ろうとする気持ちが湧いてくるのです。
例えば、Aグループの同修はいつも法を学ぶ時に腰をしっかり伸ばして座禅をし、両手で本を丁寧に支えながら学法しています。この姿勢を見習いたいと思いながらも、私もBグループの同修もなかなか実行できませんでした。しかし、ある時A同修の真剣な姿勢を改めて意識し、私もBグループの同修も座禅して学法を始める決心をしました。
また、Bグループの同修は家庭の中で調和を保ちながら、煉功者の基準で自分を律し続けています。内に向けて自分を探ることを怠らず、大法の素晴らしさを自然と家族に伝えることで、家族全員から「大法は素晴らしい」と認識されています。さらに、公の場でも堂々と大法の良さを証言し、証法の面で非常に良い役割を果たしています。これに比べると、私やAグループの同修はまだまだ足りない点が多く、学ぶべきことがたくさんあります。
そこで、Bグループの同修が家庭の中でどのように内に向けて自分を探し、法を実証してきたのかをAグループで共有しました。この経験を通じて、私も自分の仕事場や親しい友人たちの中で「大法の良さ」をどう伝えるかを考えるようになり、怖れの心を克服して真相資料を配布する行動に一歩踏み出せるようになりました。これらは、以前の私にとって非常に不足していた部分でした。
三、病業に対する悟り
最近、病業の魔難に直面している同修と接する機会がありました。その際、私は多くの同修がこの問題の深刻さを十分に認識しておらず、目を覚ましていないことに気づきました。時には、ただ静かに受け入れるだけで、突破しようとしてもどこか力不足に感じている様子がありました。この状況を私は非常に心配し、同修を励ましながら、静かに発正念を送ることで助けるしかありませんでした。
その後、自分でも病業について改めて考え、新たな気づきを得ることができました。ただし、私の悟りが正しくない場合は、どうか同修の皆さんに指摘していただければと思います。
一部の同修は、病業によって体を動かせなくなり、腕や脚が動かない状態に陥っていました。考えてみると、私たちの身体は私たち自身のものです。主元神が身体の主人であり、身体を支配するのは主元神であるべきです。つまり、主元神が「動け」と命じれば、腕や脚もその命令を聞くべきなのです。しかし、腕や脚が動かなくなるということは、主元神の命令を聞いていないことになります。それでは、誰の命令を聞いているのでしょうか?
私が悟ったのは、それが別の空間の霊的存在の命令に従っているということです。修煉者である私たちが、どうして低次元の霊的存在に身体を支配されることがあるのでしょうか? それは、主意識が十分に強くないからではないでしょうか。例えるなら、精神的な病気を抱えている人が身体を管理する意思を失うと、別の空間の霊的存在や情報がその身体を支配してしまうようなものです。
では、どうすれば良いのでしょうか? 答えは、主意識を強化し、精神を奮い立たせることです。そのためには、発正念を増やす、法をしっかり学ぶ、法を暗唱する、内に向けて自分を探す、心から精進する。そして、正しい思考と観念を確立し、正念を堅持することで、別の空間の邪悪な存在を消し去り、主元神が身体を完全に支配できる状態にすることが重要です。主元神が命じた通りに身体が動くようにするために、私たちは自分自身をしっかりと修めなければなりません。
四、特技を活かして技術サポートを行う
青年大法弟子として、師父が私に技術的な才能を授けてくださったことに感謝しています。私は幼い頃からコンピュータ技術に非常に長けており、ハイテク関連のものに興味を持ち、深く研究するのが好きでした。技術フォーラムで「ツールボックスV1.2」(現在はV1.3まで更新されています)が公開された際、私はそれをダウンロードし、独自に組み立てて活用しました。そして、地元の大法弟子たちのコンピュータにインストールし、技術サポートを引き受けるようになりました。
ある時、技術フォーラムで「真相を伝えるための読み取り専用tfカードの作成方法」に関するチュートリアル(個別指導・個人教授の意味)を見つけました。このプロジェクトは素晴らしいアイデアだと感じました。それ以前にも地元で「真相USBメモリ」の作成が行われていましたが、多くの制約がありました。例えば、USBメモリを購入する際には、コントローラーがどのブランドかを確認し、それに対応した特別なデコードソフトを使わなければ、読み取り専用のUSBメモリを作成できませんでした。そのため、実現が難しいと感じていました。
一方、tfカードはそのような制約が少なく、少し品質の良いカードを購入し、技術フォーラムで提供されているソフトウェアを使用するだけで、簡単に読み取り専用のtfカードを作成できます。このカードに真相を伝える動画や音声を入れ、カードリーダーを一緒に用意すれば、ほぼすべての人がスマートフォンやパソコンに挿入して視聴できるようになります。
私は、すぐにこのプロジェクトに取り組み始めましたが、過程では多くの試行錯誤を繰り返しました。困難に直面した際には、技術フォーラムの同修たちの助けを借りて一つ一つ解決していきました。そして、自分が遭遇した課題や解決方法、注意すべき点をまとめた技術交流記事を作成し、チュートリアル投稿に共有しました。これによって、同じく読み取り専用tfカードを作成しようとする同修たちが無駄な手間を省けるようになりました。フォーラムの管理者も私の投稿内容を高く評価してくれました。
さらに、このtfカードの作成方法を地元の調整役の同修に教え、地元の大法弟子たちに新たな「真相を伝える手段」を提供しました。結果として、この方法の効果は非常に良いと感じています。
五、発正念を重視し、無条件で自分を修めることを学ぶ
私は常に発正念することを重視しており、その力を実感しています。状態が良い時には、目の前がぱっと明るくなり、空間全体が清らかになるように感じることがあります。一度、霧のようなものが手から発散されているのを見たことがあり、手のひらからエネルギーが出ているのをはっきりと感じました。ただ、以前は安逸心から片足を組んで正念を発することが多かったのですが、今では両足を組んで行うようにしています。座禅をすると、身体の周りに大きな水の波紋のようなエネルギーが広がるのを感じ、とても美しい体験をしています。
また、私はよく公安局や警察署の近くで正念を発し、邪悪を解体する活動をしています。ある時、遠くから公安局に向けて正念を発していると、公安局がとても小さく、まるで何でもない存在のように感じました。江沢民を告訴して以来、地元の警察署から電話で嫌がらせを受けることがありましたが、毎晩その警察署の近くで正念を発し続けました。約1カ月ほど続けたところ、邪悪な嫌がらせは自然に収まりました。その後、邪悪な勢力がどう探しても私を見つけられなかった、と言っていたことを耳にしました。それは師父が慈悲深く私を守ってくださったお陰だと感じています。
私は幼い頃からさまざまな面で優れていると周囲から評価されてきたため、顕示心理が強く、常に「自分は素晴らしい」という思いを抱いていました。そのため、一時期「自分の心より魔が生じること」の兆しが現れたこともありましたが、自覚はありませんでした。その頃、師父にお香を捧げることもなく、心の中で師父と対話することもほとんどありませんでした。うまくいくことがあれば、それは自分の正念が強いからだと思い込み、師父の慈悲深い守護を忘れていました。今振り返ると、とても恐ろしい状態だったと感じます。それは自負や傲慢さからくるものでした。
同修たちの助言のおかげで、私はこの状態を正すことができました。体験文章を書く際に、「他の人は師父に感謝しているのに、なぜ私は、師父に感謝することを思いつかないのだろう?」と疑問に思い、自分の態度を改めました。それ以来、師父にお香を捧げることを始め、心の中で師父に「弟子に正念を加持してください」とお願いするようにしました。また、師父と法を信じ、敬う心を妨げる要因を取り除くことに注意を払い、毎日「師恩を偲ぶ」を聴き続けることで、傲慢という偽りの自分を解体し、謙虚な本来の自分を取り戻しました。
師父が慈悲深く按排してくださったおかげで、現在の学法グループに参加でき、同修たちと互いに助け合い、精進することができています。私は今、自分を見つめ、修め、変えることを学びました。また、明慧ネットに掲載されている交流記事には心から感謝しています。同修たちが大法によって修めた純粋な「他人のための心」で書かれたシンプルで真摯な文章が、私に精進する勇気を与えてくれます。また、明慧ラジオを放送している同修の温かく慈悲深い声を通じて、私自身にあるせっかちという党文化の影響を正すきっかけを得ました。
今では、精進することの大切さを本当に理解し、以前のように努力を怠っていた自分を後悔しています。無駄にしてしまった時間を振り返ると、非常にもったいないと感じます。しかし、精進する道を歩み始めた今、師父が按排してくださった道を歩んでいることを実感し、心からの喜びと幸福を感じています。
身近な同修との縁を大切にし、互いに助け合い、共に精進していきましょう。そして、誓約を果たし、師父と共に家に帰りましょう。師父が少しでも安らぎを感じられるよう、私たちができる限りの努力をしていきたいと思います。