【明慧日本2024年1月4日】私は還暦に近い女性の大法弟子です。数年前まで法理がはっきり分からず、修煉も精進していなかったため、病業の虚像が何年も続いていました。しかしここ数年、法理をだんだんと理解できるようになり、内に向けて探すことをできるようになりました。その結果、病業の虚像がすぐに消え去った、ということを3回にわたって体験しました。その体験をここに記して同修と分かち合いたいと思います。
昨年、子どもが人と揉め事をおこしたため、私は非常に感情的になり、子どもの問題に完全にのめりこんでしまいました。相手を納得させようと口を極めて説いたものの、それは双方のためにというよりも、結局は自分の子どもの困難を解決したいという執着心からでした。
ある日の夜、揉め事の相手に送るために長いメールを書き上げましたが、内容を読み返すと何か適切ではないように感じ、そのままそのメールは保存し、送信はしませんでした。その後、喉の奥にかすかな腫れと痛みを感じ、体にも不調が出始めました。唾を飲み込むと明らかに扁桃腺が腫れているのが分かり、症状はどんどん悪化していったのです。これについて、私はすぐに喉の状態を察知しました。修煉を始めて27年間、扁桃腺が腫れたことは一度もありませんでしたが、修煉前に経験した扁桃腺の腫れの不快感を鮮明に覚えていたからです。「どうしてこの症状が現れたのだろう? 私に何か間違いがあるのか? 喉が痛いということは、私の言っていることに何か問題があるのだろうか?」と自問しました。
そこで、ここ数日の間に、自分が相手に話した多くの言葉を想い起しました。人としての道理を多く語ったつもりでいたのですが、実際はそのすべてが我が子の問題を解決したいという執着心からでした。親子の情が非常に重く、朝から晩まで私の頭の中は子どものことでいっぱいでした。それに関する自分の行動の動機は「損をしたくない」というものであり、「子どもを苦しませたくない」という執着で心はすさまじく動じていたのです。
これでは修煉者としての心性と境地を高めていこうという姿勢が全くありませんでした。。私はすぐに心を改める必要があると悟りました。人にはそれぞれ運命があり、すべては自然に任せるべきです。修煉者は問題を常人の損得とは逆の方向から見なければなりません。
あの日保存したまま送信しなかったメールをあらためて見直してみると、そこには恨みや非難の要素が明瞭ではないものの確かに読み取れ、さらに文中において手を変え品を変え硬軟おり混ぜて相手の説得を試みていることに気付きました。書いた当時は、こうしたよくない部分に全く気付いていなかったのです。
私はすぐにこの文章を削除し、この件は忘れることにしました。そしてすぐに学法を始め、三つのことをしっかり行うことを決意しました。
正念が出た途端、さっきまでごろごろと腫れていた扁桃腺の腫れが引いていくのを感じ、身体の不調は消え去りました。少し経って唾を飲み込んでみると、わずかな痛みが残っているものの、ほとんど気にならない程度になっていました。夜寝る頃には症状はほぼ消えていました。
しばらく前のことです。左側の股関節を過剰な運動により突然痛めました。
実は、この症状はその数年前にも2回ほど現れたことがあったのです。数年前のその当時は、私は精進しておらず、夫とあちこち散歩したり、極端なダイエットに走っていたのです。初めてこの症状が現れたのは、人について競歩をしていたときでした。そのとき、「見てください、修煉者の体がどれほど丈夫か。こんなに高強度の運動をしても問題ないんですよ」といった顕示心が心にちらりと浮かびました(夫やその友人は足が痛くてついて来られませんでした)。その後、股関節を削るような痛みの症状が現われたのです。
この時は、私はすぐにそれを常人の関節損傷と捉えてしまったのです。その当時は精進しておらず、人心が多く、正念がない状態で、何もかも常人と同じように考え、長期間休養を取ることにしました。
しかし、今回の私の状況は違いました。すでに法に基づいて自分を正し、三つのこともきちんと行っている状態だったのです。にもかかわらず、このような症状が現れたので、「邪悪がまたしても同じ手口を使い、これを病気として認めさせようとし、私を妨害し、迫害しようとしている」と気付きました。
そして「今回は絶対に上手く対処する。この症状はすべて偽りであり、旧勢力が作り出した虚像なのだ。私はこれを認めない、そもそもこんなことは存在していない」と思いました。私は心の中で「滅! 滅! 滅!」と念じました。それと同時に、その痛い箇所に向けて功を発し、いつも通り歩き出しました。歩き出したときにはまだ痛みがあり、まるで本当に病気があるかのようでしたが、しばらくして良くなりました。
数日前、右腿の中間部に少し張りと圧迫感があり鈍痛を感じました。それはまるで、その部分の骨や経絡が詰まり、気血が通っていないかのような感覚でした。歩くと痛みますが、座っているときには何も感じないのです。私はこれが虚像だと分かっていたので、正念を発したり内に向けて探したりしましたが、何をしても効果がなく、この症状は数日間続きました。
最初は、自分が子どもへの情に囚われすぎているせいだと思い、子供に対して淡泊になるようにしましたが、依然として改善しませんでした。
そこで、師父に「私がどこを間違えているのか教えてください」とお願いしました。
ある日、夢に、過去にちょっとした因縁のあった人と一緒にある事を進める場面が出てきました。その人のやり方に私はうんざりしており、彼がわざと仕事を先延ばしをして私たちを困らせているのではないかと思い、彼を少し恨んでいました。
夢から覚めた私は、ハッと気づきました。夢の中の状況は、まさに現実にあったことの再現だったのです。少し前のこと、実際にその人に用事を頼んだことがありましたが、夢の中と同じように、私は常人の考え方で物事を判断し、無意識のうちに彼に対して恨みを抱いていたのです。この彼に対する怨恨の心は強烈ではなかったため、慢性化してしまい問題として意識していなかったのです。
現実とそっくりの夢を見るという師父のこの巧妙な啓示に心から感謝し、不純な心を取り除こうと決意しました。「この怨恨の心は私の心ではない! 私はこれは要らない! 滅! 滅! 滅!」と強く念じました。
真の自分は、他人に親切で理解的であるべきであり、否定的な考えは取り除くべきです。彼はただ性格がのんびりしているだけで、わざと引き延ばしたり、困らせたりしているわけではなく、もしかしたら、本当に何か事情があって遅れてしまったのかもしれません。たとえ、仮に彼が意図的にそうしていたとしても、私は彼を恨むべきではありません。彼は常人であり、私たちには因縁関係があるのかもしれないのですから。
それに、師父がこの状況を通じて私の向上を助けてくださり、旧勢力が与えた負の思考や怨恨の心を取り除く機会を与えてくださったのだと思いました。その人に感謝の気持ちさえ生じました。こうした思いを持つと、ただちに怨恨の心は雲散霧消しました。すると、歩くときの足の痛みという虚像は薄れ、ほどなく不快感も薄れ、間もなく完全に消え去りました。
私は幸運にも大法の中で約30年修煉してきました。師父の洪大な佛恩に包まれながらも、自分の修煉が足りないため、多くの後悔があります。幾多の風雨や困難を乗り越え、慈悲深い偉大な師父の絶え間ないご薫陶、ご啓示、お導き、ご加持のもとで、神へ向かう道が次第に明確になり、成熟してきました。これからは自分に厳しく要求し、衆生の救い済度をより多くお手伝いし、円満成就に向かって精進します。