文/唐元
【明慧日本 2025年1月6日】『ニューヨーク・タイムズ』は最近、神韻と法輪功を中傷する記事を続けて掲載し、先日も神韻芸術団の累積資産が2億6600万ドルに達したとする記事を掲載した。歪曲した表現で神韻に財務上の問題があることを暗示し、これを利用して法輪功の創始者と法輪功学習者グループを攻撃している。おそらく、このような世論戦の操作者は、経済と財務の観点から法輪功を誹謗中傷することがコストが最小で、効果が最大だと考えているのだろう。しかし、これはアメリカと自由世界において、共産党の「富を憎む」論調を複製・拡散し、国際的に法輪功を弾圧しようとする試みなのである。
中共の宣伝では、世界は物質的であり、共産党員は唯物論者であり、物質と富を手に入れるためにはどんな手段も厭わない。
中共の発展は暴力的な略奪に頼っていた。1920年代、30年代の地主打倒と土地分配、政権奪取前のいわゆる土地改革、そして1950年代、60年代のいわゆる社会主義改造運動、さらには現代の公私混合制度に至るまで、すべてが暴力、嘘、そして血なまぐさい行為に満ちていた。
東洋では孟子が「民の道とするところは、恒産ある者は恒心あり、恒産なき者は恒心なし」と述べ、西洋ではジョン・ロックが「権力は私有化できず、財産は公有化できない。さもなければ人類は災難の門をくぐることになる」と言った。これらの至言に含まれる普遍的価値は、何千年もの間、人々の心に深く根付いてきた。
さらに、人類の信仰文化において、今世の貧富は前世の報いであると広く信じられてきた。前世に徳を積み善を行えば、今世は名誉と富貴を得て、家に余慶がある。前世に悪業を積めば、今世は災難が多く、家に禍根が残る。重大な罪を犯し、許されない罪を犯した者は地獄に落ちて業債を償うのである。
中共は、天地を変え、真実を隠蔽し、家を襲撃して財産を奪い、人を殺して金を得るという行為を、苦しみからの救済、全人類の解放という壮大な行為として堂々と包装しようとした。より多くの民衆を自らの邪悪な政治運動に参加させるため、次々と歪んだ理論と邪説を作り出し、是非を転倒させ、人々の心を惑わせた。
その最たるものが無神論である。「インターナショナル」では「救世主などいたためしがない」と高らかに歌い、毛沢東は自らを「秦の始皇帝にマルクスを加えたもの」と自負し「私は傘を差した僧侶のように無法無天だ」と言った。文化大革命では伝統文化を破壊し、三教(儒教、仏教、道教)を同時に抹殺し、人々の心の中にある天を敬い神を信じる善念を消し去り、社会の道徳的信念と人倫の堤防を破壊した。それ以来、無神論で洗脳された中国人は、あらゆる悪事を躊躇なく行うようになった。
次に、中共は階級闘争論を提唱した。中共九大後「階級闘争を綱領とする」ことを党規約に書き込み、毛沢東は「階級と階級闘争について、今から話し始め、毎年、毎月、毎日話さなければならない」「階級闘争は、一度掴めば必ず効果がある」と述べた。中共は人々を「人民」と「階級の敵」の二つに分け、時期によって「階級の敵」は異なった。かつては地主、富農、反革命分子、右派分子、悪分子の五類が敵であり、今日は法輪功が敵であり、明日には、世の中すべてが敵となる。大衆を分断して対立させ、人心を分裂させ、憎しみを作り出した。
中共の言説の中で最も人を欺き、人心を扇動するのは、いわゆる必要に応じた分配という共産主義の大同理論である。「共産党宣言」では「共産党の理論は一言で要約できる『私有財産の廃絶である』」と宣言している。
このため、中共は「搾取論」という理論を作り上げ、お金を持っていることそのものを罪悪とした。地主の家の鶏は夜中でも鳴き、資本家は頭から足の先まで、すべての毛穴から血と汚いものを滴らせているという。農民に苦しみを訴えさせ、憎しみを煽り、政治運動で富者を殺して財産を奪い、地主と闘い、財産を分配し、彼らを中傷し、根絶やしにした。資本家に「空降兵」として飛び降り自殺を強いた。半世紀以上を経て、富を憎む遺伝子は民衆の頭脳に深く植え付けられた。
いわゆる改革開放も、欺瞞の上位版に過ぎない。外資と庶民の血と汗を利用して、中共の権力者のために金を集める。一方で庶民に絶え間なく甘い約束をし、他方で汚職による統治を規範として、民間企業への弾圧を決して緩めない。今日に至っても、中共は共同富裕の旗を掲げ、遠洋漁業のように、世界中で中国の富豪を捕まえている。最終的な目的は、日に日に衰退する自らの権力を固めるか、私腹を肥やすかである。
神韻は世界の大多数の舞台芸術団体とは異なり、企業のスポンサーも政府の支援もなく、会員からの寄付にも頼らず、完全に世界一流の専門的な芸術水準と、人々の心を震撼させる伝統的な精神的価値によって、現代の芸術団体の中で独自の創業モデルを確立した。
中国5000年の輝かしい伝統文化において、君子は正しい道で財を成し、徳のある富者の物語は星のように輝いている。「華夏第一の宰相」と呼ばれた斉の宰相・管仲は、2000年前に大志を抱いて世を治め、同時に財務的自由を実現した達人であった。商人の始祖である陶朱公・范蠡は、勾践の呉国打倒と覇権確立を助けた後、3度巨万の富を築き、3度その財を民に分け与え「富は徳を行い、財は集めて民を豊かにする」という主流の商道の価値を実践し、徳と富が相依り、富みながら徳があるという5000年の華夏民族の伝統的な財富観を解釈した。
神韻芸術団は非営利組織として、伝統文化の復興に尽力し、幾多の困難を乗り越え、自らの実力で国際的なブランドを築き上げた。同時に、神韻は従業員に包括的なサービスを提供し、飛天学校への支援も行っている。学校はすべての学生に全額奨学金を提供し、寮費と食費を含め年間約5万ドルの価値がある。これらはすべて中華民族の伝統的な財富観の現代における実践であり、アメリカの法律にも完全に適合している。
しかし神韻の成功の奇跡は『ニューヨーク・タイムズ』によって「ある種の搾取」と「宗教的狂信」に歪曲された。この意図的な攻撃は、中共の世論戦がニューヨークで具体的に現れたものではないだろうか。
歴史上の覚者たちの物語を見てみよう。伝統的な宗教にはすべて供養がある。イエスは布教の際、富者からの寄付だけでなく、貧者からの硬貨も受け取った。ある貧しい寡婦(かふ)が生涯の貯金をイエスに寄付した時、イエスはそれを称賛した。サレプタの寡婦は一握りの粉と少しの油で預言者エリヤに供養したが、その結果、彼女の家の粉と油は減ることなく、むしろより長く食べることができた。ある子供が持っていたたった5つのパンと2匹の魚をイエスに渡したが、飢えることなく、イエスは奇跡を起こしてそれで5000人を養った。孔子も学校を運営する際に学費を取り、諸国を巡って講学した時の費用は、すべて弟子の子貢が稼いだ金だった。世間の人々や信者が、イエスや孔子が金を集めていると非難したり、財務状況に問題があると誹謗中傷したりしたという話は聞いたことがない。それどころか、ユダは30枚の銀貨でイエスを売り渡し、永遠に歴史の恥辱の柱に釘付けにされた。
中共の無神論者は伝統的な価値観を理解することができない。彼らの目には金と権力しかなく、金で他人を誘惑し、権力で異分子を打撃する。
『ニューヨーク・タイムズ』は虚偽の報道によって、法輪功の創始者が金を集めているという誤解を読者に与えようとしているが、これは中共が25年前に法輪功を迫害し始めた当初に使用した、完全に無効となった手法である。数億人の修煉者が一人一ドルずつ李洪志師父に寄付すれば、師父は億万長者となるが、法輪功の創始者は弟子たちから一銭も受け取っていない。たとえ数億人の心身を健康にし、無数の重病患者を死の淵から救い出したとしても。師父が説法と功法指導の報告会を行った時、会場のチケット料金は当時の気功報告会の中で最も安価であり、それは気功協会の不満を引き起こしたが、李洪志師父は多くの人を救うため、学習者の家庭収入状況を考慮して、低料金を堅持した。
歴史的に、人を救う覚者が十悪の毒世に法を伝え、人のために業を消し罪業を引き受け、人々を本来の真の姿に戻るよう導くのは、本来尊敬されるべきことである。覚者が世にあって供養を受け、寄付を受けることは正常なことであり、世俗の法に合い、さらに天の法に適っている。しかし、我々の偉大な師父はそうせず、自身の原稿料で生活し、弟子たちに学校や公益機関を運営して世の人々に恩恵をもたらすよう教導している。なぜこれらが『ニューヨーク・タイムズ』の目には「搾取」と映るのだろうか。『ニューヨーク・タイムズ』はこれによって中共の虚偽と誹謗を複製し、中共の国境を越えた迫害政策を執行しているのではないだろうか。
中共は常にアメリカを極悪の資本主義と呼び、法輪功学習者グループを第一の敵としてきた。法輪功迫害政策の長い腕をアメリカ本土にまで伸ばすことができれば、それは中共のグローバル戦略の一部であり、また中共の夢想するところでもある。言論の自由を享受している『ニューヨーク・タイムズ』が、意図的に法輪功学習者たちの精神信仰を貶め、神韻芸術団を誹謗することで、かえって中共の国境を越えた信仰の自由への迫害の有力な道具となっているのは、悲しむべきことである。