【明慧日本 2025年1月7日】2025年の元旦前にある記事を目にした。タイトルは「神韻は宣伝が必要」(Shen Yun Needed Publicity)というものである。この記事の作者は、神韻と法輪功に関する事実を誤って解釈し、意図的に否定的な印象を作り出そうとしていた。しかし、「宣伝を必要とする」というこの言葉は正しい。神韻はオペラでもバレエでもなく、結成から20年に満たない中国舞踊の団体である。宣伝をしなければ、自分たちが持つ芸術の宝を、アメリカ全土や世界中の文化・芸術を愛する観客と共有することはできないだろう。
神韻の財務面での成功を攻撃することに加え、この記事の作者は、神韻が法輪功のメッセージを伝え、観客が救いを得ることを助けていることにも極めて不満を抱いているようである。では、法輪功のメッセージとは何か。それは真・善・忍である。この三文字には豊かな意味が含まれている。真の中には善と忍があり、善の中には真と忍があり、忍の中にも真と善がある。日常生活での実践は千差万別であるが、その本質を変えることなく実践できる者こそが、泥の中から咲く清らかな蓮の花である。
神韻の芸術監督には、制作を通じて伝えたいメッセージを定める権利も義務も責任もあり、それは非難されるべきことではない。もちろん誰であれ、プログラムが伝えるメッセージを好まない、同意しない権利を持っている。好まないのであれば見なければよい。チケットの購入は自由意志によるものである。ここで、神韻の観客が受け取ったメッセージとは何か、そしてそれが観客にとって価値があるものだったかを見てみよう。
2024年12月23日夜、神韻芸術団は日本の名古屋とアメリカのアトランタで2025年シーズンの世界巡回公演の幕を開けた。連続2日間、各2回の公演は、東西両都市の各界のエリートを魅了した。アトランタでは、ある国際メディア企業の副社長が、クリスマスに神韻を観覧することが家族の伝統になったと語った。ある中国人エンジニアは、神韻の公演は「人を良い人になりたいと思わせる」と述べた。名古屋では、実業家が「幕が上がった瞬間、夢のような世界に引き込まれた」と感嘆し、元クラシックバレエダンサーは「神韻を観ることで長年の願いが叶った」と語った。
アトランタ市議会議員のマイケル・ジュリアン・ボンド氏は、その夜の神韻公演を観覧した後、次のように述べた。「プログラムは心に深く響き、啓発的である。特に人々を啓発する部分に非常に、非常に心を動かされた。また最後の演目の津波のシーン、より高次の生命が人類を災難から救うという場面は、特に感動的だった。私は本当に共感した」
「公演だけでなく、公演が伝えるメッセージ、特に人生の底にいる人が、他者の愛情による介入がなければ自ら命を絶とうと考えていたという内容について。彼らは自分たちにはまだ存在する価値があり、美徳を持ち、人生をより高い目的へと向けることができると告げられる。これは私にとって特に力強いメッセージだった」
ボンド議員は神韻が全世界に広まることを期待している。会場の観客の顔に見られたのは純粋な喜びであり、同時に卓越した芸術性への深い敬意であったと語った。
名古屋大学医学系研究科教授の日比英晴氏は、神韻公演を観た後、中国の数千年の歴史と文化の深さを最も直観的に感じたと述べた。「(無神論の)中共が宗教信仰を禁止する理由、なぜ(神韻)芸術団がアメリカから来ているのか、このような演目が(現代の)中国で上演できない理由が分かった」
日比氏は「信仰は人と神とのつながりを表している。中国本土の中国人は信仰の自由を渇望しているが、(中共)政府に抑圧されている」と述べた。
建築設計会社社長の加藤充宣氏と夫人の哉子氏は、初めて神韻を観覧した後、すべての演目を絶賛した。加藤氏は「神韻を見逃すと、一生後悔する」と述べた。
加藤夫人は「男性歌手の歌詞にあったように、すべての人は本質的に善良である」と付け加えた。「公演を観終えて、皆が敬虔な心を持っていれば、何らかの力が現れて私たちを助けてくれると感じた。それは私に希望を感じさせた」
中国系エンジニアのリチャード・ヤン氏は「公演は人々の心を啓発し、誰もが良い人になりたいと思わせる力を感じることができる」と述べた。
特に神韻歌唱家の歌唱について、「歌詞が伝えるメッセージは特別に素晴らしく、感じたものは記憶に残っているだけだが、非常に啓発され、心が奮い立つのを感じた」と語り、「公演の美しさは、人に希望を感じさせる」と述べた。
2024年4月14日から21日まで、神韻国際芸術団はカナダで公演を行った。神韻の観覧は一部のオタワの家庭の伝統となっており、神韻のチケットを従業員への贈り物としている企業家もいた。カナダ保守党の国会議員で司法・人権常任委員会委員のマリリン・グラドゥ氏は、初めて神韻公演を観覧した。
公演後、グラドゥ氏は「神に敬意を表する公演を観られて、本当に素晴らしかった」と感嘆した。「まさに完全な圓満であり、最初に人々が神聖な場所から人間界に来て、最後にまたそこに戻るという、完全な圓満を形成していた」
「本当に感動したのは、私たちが歴史的に神に由来するということで、これは私が今まで理解していなかったことだ。人々が最終的に原点に戻るのを見て、非常に心を引き付けられた」と語った。
グラドゥ氏は神韻公演のテーマの壮大さを称賛した。「神性の要素を音楽、舞踊、色彩を通じて表現するのは、本当に壮観だ。率直に言って、すべての中国人がこれを誇りに思うはずだ。世界中の人々がこの感覚を体験していると思う。これは古代中国文化を昔日の輝きに回復させるだろう」
神韻は19年にわたり公演を行い、神韻公演の観覧は私の家族の新しい伝統となった。非常に観応えのあるオペラやバレエでさえ、テーマ、舞台デザイン、衣装、色彩、歌詞、舞踊技術において、神韻ほどには家族や友人たちにクリスマス、元旦、新年が続く季節に、一回の公演で耳目を洗い、精神的な享受、さらには霊性の啓発を得させることはできない。世界各地の観客の感想を読むことも、この新しい伝統の一部となっている。なぜなら、それによって知らず知らずのうちに、より多くの人々と美しい精神的な共鳴を持つことができるからである。法輪功のメッセージを受け取り、真・善・忍の美しさと力を共有できたと信じている。王寶釧が寒窯を18年間守り続けた※のは、若者の愛情の忠実さと真心だけではなく、その真心には善良さと堅忍不抜の精神が満ちていた。他の多くの伝統的な物語も、人々の善良さと美徳の輝きを放っている。
※中国の伝説的な物語。唐の時代の貴族の娘で、薛平貴という男性と恋に落ちて結婚。薛平貴は戦争に出征することになり、王寶釧は夫の帰りを待って寒窯(貧しい土窯)で18年間過ごした。妻の貞節と忠実な愛情を表す代表的な物語とされる。
2024年4月10日から4月20日まで、神韻ニューヨーク芸術団は台湾の台南、苗栗、彰化の3都市で計12回の公演を行った。ホリデーシーズンでないにもかかわらず、主流層、企業のリーダー、芸術界のエリートたちが大勢観覧に訪れた。台湾の観客は劇場を出た後、「神韻は奇跡的な恩寵である」「神韻公演は希望と光に満ちている」「人々に精神的な啓発をもたらす」と賞賛した。
この時空を超えた観客の感想の共有が、神韻の宣伝として機能し、より多くの人々が精神的な共鳴を得て、混沌とした世の中でより多くの人々に希望と力を与えることができれば、それはどの国や社会にとっても大きな善行であり、良いことである。神韻公演が継続的に行われるにつれ、このような素晴らしい出来事に対して不満を持ち、さらには憎しみを持つ人々の居場所は、次第になくなっていくだろう。
この動揺不安で道徳が極度に堕落した時代において、「アメリカを再び偉大に」という運動の成功がなければ、アメリカはすぐに底に落ちてしまうところだった。共産主義の悪魔は全世界を中共の手の内にある中国のようにし、誰もが自身の危機を感じ、希望を失い、そのような世界はどれほど持続できただろうか。世界の終末は人類自身の罪業によってもたらされるのではないか。このような危機的な時に、神韻は美しさ、希望、伝統的な道徳の力を広めているのに、なぜある人々はそれを喜ばず、かえってあらゆる方法で破壊しようとするのか。人を害することは自分を害することである。善悪には報いがあるという古い天理は、あると信じた方が、ないと信じるよりも良い。
神韻公演の劇場に爆破予告の脅迫状を送り、ナイフや銃で神韻の車両を破壊するような暴力的な悪行に比べて、純粋で美しい芸術、超凡脱俗な境地、多様な人生における善良さ、真・善・忍こそが人々の心の向かうところである。だからこそ、神韻はより多くの人々に知られるべきなのである。