私が変わると、夫も変わった
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2025年1月20日】邪悪な中国共産党(中共)の党文化の影響に加え、旧勢力から押し付けられた観念の影響により、私は男女平等を追求し、自尊心が強い性格を形成しました。この20数年間の修煉の中で、私の心性の試練は、ほとんどすべて夫との関係を通じて現れてきました。夫は言葉がきつく、トゲのある話し方をし、人を傷つける発言をすることがあります。日常生活で意見が合わないと、些細なことでも衝突し、それを口実に軽蔑的で皮肉な言葉を投げかけてきます。時には私も言い争い、時には口を閉ざして耐えるものの、心の中ではひどく憤慨していました。

 私が感情の谷底に陥るたびに、学法することで心が洗われ、力を得て、自我や観念を手放し、苦しみから抜け出してきました。しかし次の衝突が起こると、否定的な思考が再び私を襲い、それに支配されてまた苦しみから抜け出せなくなります。それでも大法を学び、内に向かって自分を探し、執着を放下することを繰り返しながら、転んでは起き上がり、困難を乗り越えて今日に至っています。

 学法の際には、法理を理解できているのですが、現実生活で突然矛盾が生じると、しばしば最初の念が人間の理に基づいてしまいます。「この件は私の責任ではない。理不尽なのは夫だ」という思いが先に立ち、矛盾が激化すると心が不安定になり、不満や怨みが湧いてきます。そして問題が過ぎ去った後になって初めて内に向かって反省し、自分を見つめます。そうすると、誰かに言われると不快に思う心、自尊心、怨恨心、嫉妬心、名利心、自分を守ろうとする心などが作用していたことに気づき、それらを一つずつ放下していくのです。

 ある日、学法グループで同修と交流する中で突然あることに気づきました。自尊心や自分を高く評価する心「夫が私を尊重していない」という考えもすべて旧勢力が私に押し付けたものであるのだと。私の目に見え、耳に聞こえるものはすべて偽物であり、虚像です。私は旧勢力の設けた罠にはまって修煉していたのではないか?  まず「夫が私を尊重していない」、「自尊心が傷つけられた」と認めてしまえば、それから自尊心を捨て去ろうとしても捨てられるはずがありません。これは旧勢力の仕組んだ道を歩んでいることになるのではないでしょうか? 

 そもそも私は、これらの人間的な心や観念を持っていないのです。それは私ではありません。私はそれらを決して認めず、排除し、清め、捨て去るべきなのです。私は大法によって成された生命であり、俗世の出来事に心を動かされることはありません。矛盾が現れた時こそ、真・善・忍に同化し、衆生を救う機会なのです。このように観念が転換すると、心の重荷が一気に消え去り、軽やかさを感じました。

 修煉の中で、人間の観念を転換することは極めて重要です。一思一念をつかみ、骨の髄までしみついた人間の観念を変え、常人の虚像に引きずられないことが修煉です。トラブルが生じた時には、まず自分が修煉者であることを思い出し、人間の理で判断せず、人間的な思いを起こさないようにすべきです。そうでなければ常人と同じです。常人の考えは常に自分を守り、私利私欲を求めるものです。しかし、大法弟子は大法によって成された生命であり、真・善・忍という宇宙の特性に同化した存在です。ですから、今後どんなことが起きても、どんなトラブルに直面しても、大法を実証し、衆生を救う基点に立って考えるべきだと思います。これが私なりの「慈悲で衆生を救う」ということの理解です。衆生は救いを求め、大法による救いを切望しています。私たちの一思一念が、衆生の救済や淘汰を決定づけるのです。私たちが正しい道を歩み、自分を修めれば、救われる衆生は増えるでしょう。大法弟子の責任は本当に重大なのです。

 この稿を仕上げる直前、心の中に平和で喜びに満ちた感情が湧き上がりました。それは非常に美しくて心地よく、まるで周囲のすべてが変わったように感じました。空も地も、花も草木も変っているように感じました。私が変わり始めると、夫にも変化が現れました。夫の話し方が柔らかく、穏やかになってきたのです。師父に感謝いたします!  大法に感謝いたします!

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/12/29/485446.html
 
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