文/中国の大法弟子・必成
【明慧日本2025年1月22日】明慧ネットの『私たちの師父』とエポック・タイムズの『法輪功創始者・李洪志氏の素顔』という2つの記事を読んで、私は本当に感慨無量になりました。ほとんどの修煉者はこれらの記事を読んだ後、私のように目に涙を浮かべたと思います。この2つの記事を読んだ後、『轉法輪』を手に取って法を学ぶと、「師父」という言葉が口をついて出た途端、涙を流さずにはいられませんでした。まるでこの二文字に新しい意味が与えられたかのようでした。
師父がもう一度、自ら出てきて事実を明らかにされました。まるで、「よくやってこなかった」弟子たちを風雨から再び庇うかのようです。私たちはいつも、師父が法を正すことを手伝っていると言っていますが、最近の2つの記事を読んで、私は本当に恥じています。私たちは本当に手伝っているのでしょうか? それとも、師父がずっと私たちを助けてくださっているのでしょうか。
『私たちの師父』を読んで、師父の極めて質素な生活、山でのあらゆる仕事へのリーダーシップとたゆまぬ参加に加え、私が最も深い感動を覚えたのは、師父についている20年来の同修が「並外れた意志の強さ、質素な生活、明確な目標」という師父の印象を語ったことでした。
「意志力」と「目標」という言葉から、私は、大法弟子である私たちの「意志力」がどこにあるのか考えさせられました。この長年にわたって師父の指導のもとで衆生を救い済度し続けてきたでしょうか? それとも、さまざまなプロジェクトで出会った困難を乗り越えようとする意志でしょうか? それとも、世の中の人々が私たちに対して不公平や理解しないことに直面しても、慈悲心を持ち、固い意志を持ち続け、強い正念で問題に対処することができる私たちの力なのでしょうか?
エポック・タイムズ紙に掲載された『法輪功創始者・李洪志氏の素顔』という記事を読んだ後、多くのコメントが寄せられているのを見ましたが、そのほとんどは修煉者が書いたものであるはずです。その中の1人の同修のコメントは、師父が中国で大法を伝えられていたとき、師父の生活はとても質素であったことを知っていて、アメリカに行った後、良くなるはずだと思っていましたが、まさか同じようになるとは思っていなかったという内容でした。
私自身も同じことを考えていましたが、内に向けて探してみると、最初から最後まで一貫して明確な「目標」に向かって断固として走り続ける能力が自分には欠けていることに気づきました。
私個人的には、「意志力 」とは困難に直面したときに妨害を排除する能力であり、「意志力 」の前提は、非常に明確な 「目標 」があり、この 「目標 」は必ず達成されると固く信じているからだと理解しています。師父は、「法を正すことが必ず達成される」という目標をより早めに教えてくださいました。私たちがもし、それを固く信じなければ、この「並外れた意志力」を持つことはできません。内に向けてより深く探すと、私自身の「師を信じる、法を信じる」ことの面で完全にできていないことに気づきました。
ですから、時代や状況によって私たちの「目標」が変化することを無意識に黙認しているのです。人間社会そのものが迷いの社会であり、時の流れとともに、世の中のあらゆるものが修煉者の「意志」を侵食していくようで、私たちの「目標」が明確でなくなるのです。だからこそ、人を救うことに緩みが生じ、修煉において安逸を求め、プロジェクトに厳しさを欠き、それが今回の法難の一因になっているのではないかと思います。
しかし、師父が実際の行動で再度私たちに、「神は誓ったことを決して変えません」と伝えられました。ただ、私たちが「誓約」を忘れず、その使命を果たすという 「誓い 」を忘れなければ、「並外れた意志の力 」を持つことができるのです。常人は時代や環境の変化とともにさまざまな雑多な要因に妨害され、最初の「目標」を徐々に忘れていくでしょう。師父は時を経ても少しも変わらず、大法も変わっていませんが、時が経つにつれて修煉を緩めてきたのは私たちなのです。
同修の皆さん、法難に瀕している今、私たちは本来の「目標」をまだ覚えているでしょうか? 私たちはどのようにして大法修煉の道に入ったのでしょうか? 師父は当初、どのように私たちのために、病気治療と健康保持を助けてくださったのでしょうか? 人生が絶望的だったとき、大法はどのように私たちを目覚めさせたのでしょうか?
私はここですべての同修に、ペンを取り、これらのことを振り返って、書き出すように願いたいのです。一方では、私たちが本当はどのような団体なのかを世の人々に知ってもらいましょう。なぜ億人もの人々が法輪大法を修煉しているのでしょうか? なぜ私たちは、今まですべてを捨てるまで、師父に従うことができたのでしょうか? それらの物語は、誹謗中傷を暴く強力なツールです。その一方で、私たちが再び「初心に帰る」境地を見出すよう促すこともできます。修煉者の最も純粋な神風を示すことによってのみ、私たちは師父に従って前進し続ける並外れた意志力を持つことができるのです。
私たちはさらに、この2つの記事を印刷して、緩めている同修を見つけ、師父が当時どのように私たちを返本帰真の道へと導いてくださったか、私たちを苦海から抜け出すのを助けてくださったかを思い出してもらうこともできます。同修の正念を目覚めさせ、彼らが一刻も早く大法の道に連れ戻すように助けてください。
私の考えでは、『私たちの師父』は、法難の現状で師父が私たちに与えたもう一つの説法であり、師父の言葉はすべて大法の顕現だからです。私たちはこの貴重な機会を大切にし、より多くの衆生を救うと同時に、より多くの元の修煉者を見つけなければなりません。結局のところ、私たちにはこのような偉大な師父がいらっしゃるのですから、私たちは誓いに向かって、私たちの「目標」に向かって前進し続けることを誰も止められないでしょう。
次元には限りがあり、不適切なところがあれば、同修に訂正をお願いします!