『正邪の大戦ともう一度の大試練』を読んで感じたこと
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年1月24日】明慧ネットで同修の文章『正邪の大戦ともう一度の大試練』を読み、1999年7月の法難を思い出しました。

 2006年6月16日、師父は経文『圓満成就に向かって』の中で、「皆さんが修煉の中で真に人間の根本的な執着を捨てることができれば、最後のこの魔難もこれほど邪悪なものとはならなかったはずです」と語られました。

 当時、辺鄙な農村に住んでいる私たちは、何度も手間をかけてようやく師父の新しい経文『圓満成就に向かって』を手に入れることができました。私たちの学法グループの6、7人の同修が順番に一度ずつ読み、次に同修が一度読みました。その後、一人一人が書き写しました。それを家に持ち帰り、再度読み返した時、私は自分の根本的な執着が何であるのか理解できませんでした。私たちの学法グループのほとんどの同修は1998年以降に法輪大法の修煉を始めた人たちでした。多くの人は病気治療のためや健康維持をするために修煉を始めたのです。

 新経文を得た次の日、みんなで交流したところ、大部分の人が「圓満成就に向かう(自分自身の圓満のため)には、北京に行く必要がある」と考えていました。しかしそれは法理上で認識した大法を守るため、合法的な修煉の環境を求めるためではありませんでした。

 それから25年が経った今、中国共産党による迫害は海外の大法弟子や師父本人にも公然と向けられています。この迫害の本質は、1999年7月に中国国内で起こったものと全く同じです。海外の多くの法輪功学習者(以下、学習者)は、当時中国国内の同修たちが抱えていた迷いや困惑、理解できない状況と、まさに同じようなものであると言えます。

 大法弟子は一つの全体であり、すべての出来事は弟子たちの修煉と密接に関連しています。私たち一人ひとりが考え、そして「自分はどうすべきか?」と自問することになります。例えば、今起きている迫害に直面して、ある地域の同修たちは、すぐにその地域の同修に発正念を強化するように提案しました。正時毎の発正念を30分に延長し、その上で適切な時間を決めて、さらに多く発正念をするように呼びかけました。それと同時に、もっとたくさん法を学ぶように提案しました。このような同修はよく行っていますが、一方で、今でも自分の困難に囚われ、どうすべきか分からない同修もいます。

 師父は「邪悪な勢力に皆さんの考えの隙に乗じられないようにする唯一の方法は、しっかりと法を学ぶことです」と教えてくださいました。(『圓満成就に向かって』)

 私たちの学法グループに関して言えば、ここ10年近くの間に、いくつかの学習者は学法が心に入らず、自分の根本的な執着を直視することを避け、修煉の真義を理解できていないという状況が続いています。そのため、ここしばらくの間、私たちの中では、多くの同修が多少なりとも不正常な状態に陥っていることが見受けられます。例えば、ある学習者は「大法は病気を治すことができる」と思い込み、そのために修煉を続けてきましたが、真の修煉をしていないため、問題が起こった時に内に向かって探すことができませんでした。毎日煉功を続けているにもかかわらず、近年身体には多少の病気の仮相が現れてきました。時間が経つにつれ、不安になり、「こんなに長い間修煉してきたのに、どうして体はまだこの状態なんだろう?」と考えるようになった学習者は少なくありません。

 私は、この考え自体が法に基づいていないと思います。問題を外に求めるのではなく、正しい質問は自分に向かって「こんなに長い間修煉してきたのに、どうして体はまだこの状態なのだろうか? 何の観念と執着がまだ取り除かれていないのだろうか?」と自問するべきです。

 問題に直面した時、すぐに警戒し、内に向けて自分にどんな心がまだ残っているのかを探るべきです。もし執着が見つからなくても、疑問を抱いたり消極的になったりするのではなく、まずは学法と発正念を強化することが必要です。文句や師父と大法に対する疑念を持つ心こそ、修めて取り除くべき心なのではないでしょうか?

 もう一つは、気づかないうちに邪悪な迫害を「人に対する迫害」と捉えてしまい、正念をもって対処できないことです。もちろん、中国国内でのこの強権的な暴力が人々に与える恐怖や恐怖感は、確かに常に存在していますし、その継続的な影響によって人々は常に圧力感と恐怖の中で生活しており、心身ともに疲れ果てています。しかし、修煉者として、私たちには大法があります。学法や修煉を通じて、常にプラスのエネルギーで自分自身を満たすと同時に、周りの環境を正すことができます。そして、日常生活の中で起きた出来事や自分の一つ一つの考えを正面から捉え、正しく対処することができるのです。

 しかし、近年、私たちの学法グループの同修たちは「師父の新しい経文はありますか? 正法はいつ終わるのでしょうか?」とよく尋ねます。

 迫害の初期、多くの学習者はこの恐ろしい迫害の日々が何年も続いているように感じられ、徐々に迫害に対して抗議を行い、世界に大法の良さと迫害の実態を伝える道を少しずつ歩んできました。そして、迫害の本質が何であるかを理解するようになりました。「私利私欲」から「無私無我」になり、人間の執着を取り除くことができ、理性的かつ成熟した姿で師父の法を正すことを手伝うことができるようになりました。しかし、多くの世人が真相を理解するようになった現在、私たちの中には安逸な生活を望む修煉者もいます。例えば、花を植えたり、茶を楽しみながら友達とおしゃべりをしたり、スマホをいじったりして、人生の楽しみを味わうような日常を送っています。常人の言い方で言えば、「まったく修煉者には見えない」という状態です。

 このような学習者は、三つのことを続けているものの、あたかも任務を達成するかの如く行っています。常人の中で、他人が何と言おうと一向に無頓着で、自分のやりたいように過ごしており、同修の助言も耳に入らないのです。この「ぬるま湯で蛙を煮る」ような状態の中で、学法もだんだんと続かなくなり、病業の仮相や家庭のトラブル、仕事の環境の悪化など、さらに多くの困難が現れてきます。私は、このような状態の原因は、やはり根本的な執着が取り除かれていないことだと思います。

 何のために修煉するのでしょうか? 何のために師父の法を正すことを手伝っているのでしょうか?

 師父は説法の中ですでに明確に語られています。「大法弟子が師父に付き従い衆生を救い済度することは歴史の必然であり、皆さんが先史時代に交わした誓約でもあり、さらには宇宙の創立以来、かつてなく偉大で神聖な栄光でもあります。しかし、その過程は困難と危険が伴っています」(『法難』)

 同修の皆さん、速く目を覚ましましょう!

 次元が限られており、不適切なところがあれば、ご指摘をお願いします。

 [修煉者間の理性的交流は、通常、個人のその時の修煉状態の中での認識に過ぎず、善意の交流を通じて共に向上する]

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/21/488862.html
 
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