師父と大法を常に人心で接した
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年1月27日】旧勢力による「中共悪党集団」が支配し、大法と大法弟子、そして衆生に対し、この法難を作り出してから25年以上が経ちました。しかし、この25年間、私は大法を真に認識することがなく、ただ「三つのことをしっかりやる」ということだけを繰り返している毎日でした。

 師父はこのように説かれています。「法を正すことはすべての生命の将来にかかわっており、大法弟子、世の人々または各界の衆生だけを対象にしているのではありません。法を正すこの洪大な勢いの中に含まれていない生命がいるのでしょうか?」(『各地での説法五』「二〇〇五年カナダ法会での説法」)

 なぜこの魔難がアメリカで起きたのでしょうか? アメリカがよくなれば、世界がよくなる、人類もよくなる、これが神の計らいであります。そして、私は迫害後に形成された、一種のアメリカに対し、常人の感情、関心を抱いていることに気づきました。師父はアメリカにいらっしゃいますし、アメリカも大法と大法弟子を支持しているので、誰かがアメリカを悪く言うのを聞くと、私は不快に感じます。しかし、他の国が悪いと言われると、そうは思いません。実際、これは一種の人心による差別です。

 明慧ネットは『我々の師父』を発表し、私は涙を浮かべながらその記事を読み終えました。この記事を読み、師父と大法に対する自分の認識の多くは人間の概念であり、師父と大法に対して人心で接していたことに気づきました。例えば、私はよく、自分には偉大な師父がいると考えます。私たちの師父は全能であり、本当に誇りに思います。実際、この種の認識が、師父の名誉で自分を顕示するという、人間の顕示欲と混ざり合っていることを発見しました。

 『恩師を偲ぶ』の中に、ある文章には、このような出来事を記されていたのを覚えています。師父が錦州で法を説かれたとき、学習者らを連れてある大きなお寺を訪れました。ある学習者はそれらの佛像を見て、こう思いました。「私は宇宙の大法を修煉しています。あなたたちよりはるかにレベルが高いです」。その時、師父は真剣な眼差しで学習者を見つめ、その学習者はすぐに自分が間違っていることに気づきました。師父は弟子に師父自身の本当の状況を話されました。それは師父が法を伝えることであり、自分はどれほどレベルが高いかを弟子に話したのではありません。師父は人間の感情には関与せず、私が「何よりもすぐれている」と理解しているような人の認識を持っていません。

 大法弟子全体的の修煉が倦怠状態にいると思います。師父は経文『法難』を発表した直後に『目覚めなさい』を発表しました。しかし、私たちは目を覚まさず、真剣に受け止めませんでした。

 時間への執着である。環境が 「緩和」したこと、また正法がもうすぐ終わると思い込み、もうそんなにきつく締め付けるべきでないという考えでした。もうひとつは、誤った観念によるものです。

 師父は「今日いっぺんにできるようなら、あなたは今日にでも佛になります。もっとも修煉は徐々にするものだとはいえ、だからといって自分自身を緩めてはいけません。」と説かれました。(『轉法輪』)

 私は師父の「ゆっくりやりなさい」という言葉を人心で理解しました。焦る必要はなく、修煉はゆっくり行うべき、関をうまく乗り越えるかどうかは、すべて修煉であり、時間を大切に、気を引き締めるかどうかは、修煉の現れです。実は、これは違った認識です。

 上記は見つけた自身の問題の一部です。もしも師父と大法に対し、人心のままで接し続けるなら、それは必ず自身の修煉を妨げ、師父の法を正すことを妨げます。したがって、私たちは帰正を重視し、すぐに目を覚まさなければなりません。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/12/488236.html
 
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