文/ 一言(アメリカ)
【明慧日本2025年1月30日】最近、世界で起きている一連の変化を見ていると、かつて極端に走り、悪が善を圧し、邪が正を押さえつけた陰陽相克の理が、新たに更新されたりリセットされたりしているのではないかと思わざるを得ません。たとえば、2024年11月5日のアメリカ大統領選挙の結果は、アメリカが神と伝統に回帰する新たな始まりと言えるでしょう。そして、2024年12月7日にフランス・パリのノートルダム大聖堂で行われた『再開式典』は、次期アメリカ大統領に当選したトランプ氏がアメリカを再び世界舞台の中心に戻す初の訪問となりました。このノートルダム大聖堂の修復と再開が、国際社会が神と伝統に回帰する新たな始まりでもあると考えられるのではないでしょうか。
アメリカでは、2024年11月5日(木曜日)、トランプ氏が圧倒的な民意で再びアメリカ大統領に選出されました。その日以降、共産主義や社会主義思想に深く洗脳された一部の人々が、神から伝えられた市民道徳を基盤とするアメリカの民主主義と自由を破壊しようとする試みを続けているにもかかわらず、正義の声はますます大きくなり、伝統的な理念や道徳的な善意に基づく行動がますます支持を得ています。長年極端に傾いていた正義、世論、権力の天秤が、見えざる大いなる手によって正されつつあり、善良な人々や神を信じる人々が喜びと信念を持って、社会の舞台に戻りつつあります。
同時に、12月5日(木曜日)の早朝、北カリフォルニアにマグニチュード7の大地震が発生しました。この出来事は、2024年初めに復活祭が同性婚支持の日として宣言された際、アメリカ東部で発生した地震を思い起こさせます。もし因果応報を信じるならば、これら二つの地震は偶然や単なる一致では片付けられないでしょう。
以上のような激動の変化が地上の大局の変化を完全に示しているわけではないとしても、12月7日(土曜日)に行われたパリ・ノートルダム大聖堂の再開式典は、否が応でも人々の目を引く出来事でした。「神は人を見捨てていない」「創造主が地球を更新し、新しい宇宙を切り開いている」という真実が人間の目にも明らかになりつつあるのです!
では、なぜそう言えるのでしょうか?
ノートルダム大聖堂の再開式典は三部構成で行われました:大統領の演説、カトリックのミサ、そして音楽会です。
大統領の演説では、火災後のノートルダム大聖堂の修復に尽力したフランス、パリ、そして世界中の人々への感謝が主に述べられました。ルイ14世(1638年9月5日~1715年9月1日)は、フランスを当時の世界の政治、軍事、文化、芸術の中心とし、さらにパリ市民やフランス人、多くのアメリカ人、そして歴史や文化、伝統を重んじる世界中の人々にとってかけがえのないこのゴシック建築の傑作であり、神のために建てられた大聖堂であるノートルダム大聖堂を築きました。過去数百年にわたり、ルイ14世に対する名誉毀損や誇張された批判が続いてきましたが、この再開式典での大統領の演説では、特に火災からノートルダム大聖堂を救った消防士たちへの感謝が述べられるとともに、ルイ14世の名前が正面から挙げられました。ただし、神への感謝については言及がありませんでした。これをフランスが歴史的人物の名誉回復や歴史を正しく再認識するための第一歩とみなすことができるかもしれません。
ちなみに、フランスのテレビ局「フランス24」の中継によれば、教会再開後の最初の宗教ミサに影響を与えないようにとの配慮から、大統領の演説は当初、教会の外で行われる予定でした。しかし、式典当日は小雨が降っていたため、大統領の演説は屋内に変更され、ミサ後に予定されていた音楽会は前日に録音される形となりました。これらの臨時変更は結果的にミサを再開式典の主役とするものとなりました。
次に、ミサについてです。このミサにはいくつかの特徴的な点がありました。
第一に、環境の違いです。 古びたパリのノートルダム大聖堂ではありますが、過去600年間の埃や時間の侵食が、主にアメリカの寄付金による多額の支援を受けて清掃され、彩色ガラス窓、絵画、彫刻、パイプオルガンなど、教会の必須要素がすべて修復されました。その結果、教会内外が一新され、その壮麗な姿には誰もが敬意と喜びを抱かざるを得ません。
第二に、聖職者の服装の色です。 長年の灰色がかった控えめな色合いとは対照的に、今回は高い純度と明るさを持つ赤、黄、青、緑が採用されました。この色彩は、フランスのテレビ司会者が「母親の色ではなく、祖母の色」と評するほど、伝統的な印象を与えるものでした。この新しい色合いは、教会の大型彩色ガラスの色彩と一致しているだけでなく、ルネサンス期の巨匠たちの絵画の色使いをも思い起こさせます。
第三に、ミサに参加した人々の違いです。 これは、このカトリック教会で再開後初となる重要なミサであると同時に、次期アメリカ大統領、現職フランス大統領、そして他の西洋諸国の多くの首脳が一堂に会したミサでもありました。異なる信仰や異なる国の首脳が再建された神の教会で神に祈りを捧げたことは、中世のカトリックや現代のキリスト教を超えた、人類の神への敬意を示すものでした。これはなんと吉兆に満ちた光景でしょうか。神が人類を秩序ある形で導いていることが、目に見えない形で現れているのではないでしょうか。
また、近年、イスラム教国に生まれた人々の中で、キリスト教やイエスに転向する人々が増えているという事実も思い出されます。彼らがイエスに転向する理由は、イエスが彼らの祈りに応え、修行の方法を導いてくれるからです。これを思うと、イエス、モーセ、釈迦牟尼、老子がかつて世に在り、法を広め、人々の心に神への信仰を蒔いたとき、宗教組織を設立しなかったことが思い起こされます。彼らが強調したのは善意や道徳であり、人々の心に神、創造主、神佛への信仰を築くことでした。
私の個人的な理解ですが、神を信じ、神の教えに従い、自らの罪を神に懺悔し、過ちを改めて再び繰り返さないことを誓い、その過程で善を保ち、伝統を守り、創造主の最終的な救済を待つことこそが、人生の正しい道だと思います。それは、社会的地位、人種、文化、宗教の背景に関わらず、全ての人に共通する道です。
私たち大法修煉者にとって、社会はまさに大きな寺院です。修煉者は万変しても本質を見失わず、「真・善・忍」が心を指し示します。人を救うには、常に衆生を思いやり、理解し、慈しむ心が必要です。以上はあくまで私個人の観察と思索にすぎません。