文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年2月3日】私は2010年に大法に出会い、2011年、正式に修煉を始めました。私はかつて企業の管理者でしたが、大法を修煉してから体がとても強くなり、不眠症がなくなり、咽頭炎も治り、頭痛もなくなりました。また、職場では上下関係を含めた同僚との関係が円滑になり、真・善・忍の基準で行動したことで、多くの上層部の管理者からの信頼と評価を得ることが出来、智慧が開きました。ここでは、どのようにして「環境は心に応じて変わる」ことを体験したかについてお話ししたいと思います。
企業で働いていると、様々な部署とやり取りする中、普段は皆礼儀正しく接していますが、時に、問題が発生し、上手く処理できず、責任を押し付け合うこともよくあります。ある時、何度も話し合いを重ねても解決に至らず、相手はどうしても私の部署に責任を押し付けようとしていました。私はとても腹が立ち、自分は修煉者で怒るべきではないと分かっていましたが、理不尽さと悔しさをすぐには消し去ることが出来ませんでした。その時は夜9時を過ぎており、私はこれ以上拘らないことにして、退勤して家に戻り、坐禅をすることにしました。
坐禅して、師父の声と音楽を聴き、私の感情も徐々に落ち着き、理性が戻り、師父の説かれた「真・善・忍」の法が頭に浮かびました。そうだ、修煉者として耐えられないことなどあるはずがありません。責任を押し付けられるだけのことではないか、それなら背負えばいいのです。師父は私に名誉や利益への執着を手放すように促して下さっているのだと気づきました。そこで譲ることを決意しました。するとどう譲歩するかのメールの文案が頭の中で瞬時に出てきました。不思議なことにそのメールは理にかなっていて、双方の面子を保つこともできる内容でした。私は大法の神秘に感嘆し、智慧が開かれることを実感しました。
私は坐禅を終えてすぐパソコンを開き、頭の中で考えた内容で返信しようとしました。不思議なことが起こったのです。パソコンが起動すると新しいメールが次々と届き、あの責任を押し付けてきた相手からのメールもありました。私は少し緊張して、「また何か面倒なことを言ってきたのでは」と不安になりました。しかし、メールを開いた瞬間、呆然としました。それはまさかの謝罪メールだったのです。相手が先に引いたのです。目をこすり、もう一度じっくり読み直しました。間違いありません、相手の態度は180度変わっていました。更にメールの送信時間を確認すると、それはまさに私が坐禅中に「責任を引き受けよう」と決意した時間でした。「環境は心に応じて変わる」のは本当だったのです。
その後の仕事でも、私は内に向けて探しました。すると、「環境は心に応じて変わる」という、驚くようないい結果が何度も起こりました。私は更に師父と大法を信じる心を強めました。去年、同修のAさんが危機に直面しました。会社の資金繰りが途絶え、体調も崩し、家庭内のトラブルも激化してしまったのです。Aさんは私に助けを求め、私もとても心配しました。しかし毎回交流しても相手に良い変化をもたらすことができませんでした。逆に、Aさんは毎日のように電話を掛けて来ては不満をこぼし続け、私は常に緊張した状態で過ごし、相手に何かあったらどうしようかと心配していました。その頃から私の左肩が痛み始めました。これは旧勢力が隙を突いて、私に何かを強いているのではないかと気づきました。内に向けて探し、数々の執着心を見つけました。しかし、状況は思ったほど改善しませんでした。
私はBさんに助けを求めることにしました。Bさんは私の話を最後までじっくりと聞いて、「あなたの人生に現れる全ての出来事は、あなた自身を修める為のものです。表面上は相手があなたに助けを求めているように見えても、あなたは相手にアドバイスするかを考えるのではなく、無条件に内に向けて探すことが大切なのです」と言ってくれました。
そこで、私は無条件に内に向けて探し、同修への情を見つけました。私はAさんの執着を目にし、また相手の苦しみが見えました。しかし、相手は困難の中で抜け出せず、毎日の仕事や家庭の危機に不満をこぼすばかりで、内に向けて探そうとはしませんでした。私は相手のことを心配し、泥沼から引きあげようとしましたが、結果的に私自身もその中に陥ってしまいました。Aさんも私が何も助けられないことを分かっており、ますます罪悪感と苦しみに絡みとられていました。この時、私は突然悟りました。Aさんの元神はきっと私の何かの執着のために来たのです。相手は命をかけて、私の執着を修めさせようとしているのではないか、それは何なのか。それは情の観点から問題を処理しようとすることだったのです。
この執着を取り除く第一歩は相手の愚痴をもう聞かないことです。それは旧勢力を喜ばせることに他なりません。同時に愚痴を聞かないことは、Aさんが口を修めるよう助け、依頼心を取り除き、理性を取り戻させることにもなります。Aさんから電話がかかって来た時、私は「何か急ぎの用ですか」と言いました。今回、私はもう相手を責めたり、内に向けて探しなさいと言ったりはしませんでした。ただ「今、すごく忙しい」と伝えました。すると相手は「じゃあ、また今度にする」と言いました。この第一歩で、私は自分をしっかり保つことが出来、また相手にも自分の感情と向き合う機会を与えることができました。
次に、Aさんには師父がついておられ、自身にも能力があると信じることです。私が必要以上に心配することはありません。次第にAさんは現状をどう変えるかを考え始め、積極的にマーケティングの講座を学んで、視野を広げるようになり、私に愚痴の電話を掛ける回数も随分減りました。
今回の「環境は心に応じて変わる」という過程には半年以上かかりました。その間、私は絶えず学法をし、心性を修め、更に深く根を掘り下げて探しました。Bさんの悟りの共有に感謝し、更に人と人の縁、特に同修との縁が自分にとって何を意味するのかを理解することが出来ました。私たちは同修が困難に直面したからといって、情に動かされ、相手が本来、内に向けて探しなさいと言う合図を自分に伝えてくれていることを忘れてはなりません。
ささやかな悟りですが、不適切な点があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。