文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年2月4日】それは7、8年前のことでした。経験を通して、修煉の厳粛さと、細かくまで自分の思いと考えを修めることの重要さが分かりました。
私の家は、午後のグループ学法の拠点となっています。ある日の午後、仕事があったため、私は家での学法に参加できませんでした。夕食後、Aさんという新しい修煉者が私の家に来て、午後の学法グループで起こったことを話してくれました。Aさんは学校教育を受けていないため、法を読む時に字を足したり抜かしたり間違えたりして、一文を完全に読むことができませんでした。『轉法輪』を読んだことがない人ならAさんが何を読んでいるのか理解できません。他の同修も同感でした。
私たちのグループでは、一人が二段落ずつ読む方法をとっています。しかし、Aさんの番になると、いつも三段落か四段落を読みたがって、次の人に交代することを渋ります。時々、私が注意すると、Aさんはいつも「私はとても読みたい」と言います。その日、同修BさんがAさんに「家で熟読してから来てほしいです。そうでないと法を読み違えてしまい、私たちは聞いても理解できなくなります」と言いました。同修Bさんが感情的に話したせいか、善意が足りなかったせいか、Aさんは不機嫌になり、Bさんに反発しました。修煉していない私の夫もその場にいて、そのやり取りを聞きました。
人の争いを聞いて自分自身を見つめ直すことを忘れた私は、さらに、Aさんの言い分が理にかなっておらず、修煉者の間にこんなにも多くのトラブルが存在することを修煉していない私の夫に見せてしまったことに腹が立って、新しい学習者を寛容に受け入れることができず、硬い口調で「修煉者は他の人を思いやり、外に目を向けるのでなくて内省するべきで、自分の至らないところを見つけなければなりません」と言いました。つまり、私は大法の基準でAさんを評価し、二人のトラブルを裁判する立場に立ってしまい、法に照らして自分自身を修めていませんでした。
夫も一緒に話に加わりました。しばらくすると、話題は修煉をしていないAさんの夫にもおよびました。普段から夫に不満をたくさん持っているため、Aさんと話している時、私はその不満も漏らしました。要するにその日、私の執着心が大いに暴露されました。本来、二人のトラブルを聞いて反省し心性を高めるべきなのに、私はまるで常人のように不満をぶちまけてしまいました。今振り返ると、本当に恥ずかしくて情けないです。
翌朝、突然口が開かなくなりました。あくびをしても口が閉じたままで、話もできず、少しパニックになりました。食事の時、夫に見られたくなかったのですが、口が開かず食べられません。その時はじめて、昨夜、法に反することをたくさん言ってしまい、大法の基準を自分ではなく人に要求して、闘争心と恨む心を持ち、口を修めず、新しい学習者を寛容な心で受け入れていないと気づきました。
夫に知られたら病院に連れて行かれるのが怖かったので、夫が仕事に出た後、麺を少し作って、口に入れてそのまま飲み込みました。数口食べるのも大変でした。このように3日間、食事のたびに苦痛で、体重も急速に減り、少し恐怖を感じ、正念が弱まりました。
「このままではいけない、同修と一緒に法を学び、正念を強めなければ」と思いました。4日目、夫と話し合い、電動自転車に乗って実家に戻りました。母も修煉者なので、実家で静かに法を学び、自分の執着を見つけることができると思いました。母は茶碗蒸しを作ってくれ、私は全部食べました。
学法する時、母は私に法を読むように言いました。舌と喉が非常に痛く、しばらくすると痛みで服が汗で濡れていました。本当に一秒一秒が苦痛でした。夕方に発正念をすると、突然、体の左半分からある冷たい物が上から下まで流れ出たと感じて、体がすぐに楽になり、師父が私の業力を取り除いてくださったと悟りました。しかし、口はまだ開きません。
夜になり、母は数人の同修を呼んで一緒に学法をしました。その中の一人が私のことを尋ねた後、「それは迫害です、認めないで否定してください」と力強く言いました。その言葉に心が奮い立ち私は頷きました。その時、庭にまた数人の同修が来て、挨拶を交わす間もなく、突然、下顎が「カチカチ」と音を立てました。痛みは伴っていなくてとても心地よかったです。わずか数秒で口が開き、数日間私を悩ませた問題が消え去りました。
心から師父に深く感謝しています。私のような精進していない弟子に対して慈悲深く扱ってくださった師父に、感謝の気持ちでいっぱいです。