文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年2月6日】法輪大法を修煉してから、私は一時「自分」を中心に執着を探し、それを取り除こうとしていました。そのため、執着を取り除くのはとても困難で、しばしば執着が消えたように感じても、再び繰り返し現れることがありました。
最近、私は突然悟りました。正法の中で、大法弟子として生命が存在する価値は衆生を救うことです。ただ口で言うだけでなく、心の奥底から理解しました(これは師父からの啓示だと信じています)。衆生は危険に瀕しており、私は彼らを目覚めさせる責任を負っています。それから私の修煉は飛躍的な進展を遂げ、精進する原動力を見つけました。
人を救うことができるのは師父と大法だと理解しています。私はただその願いを持っているだけです。私は大法弟子の一員であり、大法の中の一つの粒子です。師父は既に全ての大法弟子に衆生を済度する能力を与えて下さいました。また、衆生を迫害し、滅ぼそうとする中共邪党は単なる表面的な現れであり、実際に迫害を引き起こしているのは邪党の背後にある悪霊であり、旧勢力の操りによるものだと分かっています。迫害とは人が人を迫害しているのではありません。
私は人を救いたい願望を持ち、大法の粒子としての責任を叶えたいと思っています。しかし生生世世の輪廻の中で、多くの業力を積み重ねて来ました。迷いの人間界に降りてきた私は七情六欲の中に身を置き、人を救う使命を果たす妨げとなっています。大法だけが汚濁を取り除き、私を浄化してくれます。法に同化する過程で、自分の先天的な善と慈悲が全てを主導するようにすれば、より良く人を救うことができるのです。
このことを悟った後、私は変化しました。
1.私は自発的に学法するようになりました。以前は、学法する目的は健康をよくすること、功を積み、次元を高めるなど、自分のためでした。今は人を救うために、しっかり学法をし、基点は他のために変わりました。学法の過程で、安逸や眠気といった様々な干渉を自分で抑えるよう努力しています。時間を大切に、合理的に計画を立てるようになりました。例えば、常人のことをしなければならない時でも、どのようにすれば学法や人を救うことの妨げにならないかを考えます。固定した時間に学法し、法を暗記し、グループでの学法に参加しています。確実に学法を行い、法を心に刻み、法を得ることを目指しています。
2.執着心を取り除きやすくなりました。以前は、様々な執着に陥り、取り除くことが出来ないように感じていました。今、私が注意しているのは「どのように人を救うか」であり、名誉や利益、情などに執着することもなくなり、執着が少なくなりました。名誉や利益、情といったものがとても醜く思えるようになりました。
もともと自分の考えを重視しすぎて、他人の意見を聞き入れることが出来ませんでしたが、今は相手の提案が人を救うことに役立つものであれば、喜んで受け入れられるようになりました。
以前は同修を見る時、表面的な正しさや間違いに囚われることが多くありました。しかし、今では全ての同修がとても立派だと感じられるようになりました。彼らにも様々な執着があるかもしれませんが、それでも私たちは共に巨大な正の場を形成し、衆生が救われる希望となっています。一人一人がそれぞれ異なる形で自分の使命を果たしているのです。そのため、私は心の底から全ての同修を大切に思っています。
3.人を救う願望があれば、どこにいても人を救う機会があります。私は、衆生は大法のため、救われるために人間界に来たのだと理解しました。私は毎日、固定された時間を設けて対面で真相を伝えるだけでなく、臨機応変に真相を伝えています。バスや電車に乗る時には、乗車してくる人一人一人に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」、「天は中共を滅ぼし、三退で命を守る」といった考えを念じ、正法の口訣を心で唱えています。私のポケットには小さな真相ステッカーを常に入れており、用事の合間や歩いている時に適切な場所を見つけたら、一枚を貼り、それを見る人はきっと恩恵を受けるのです。
修煉していない家族や親戚、友人たちも大法と深い縁があり、救いを待つ衆生であることを理解しました。私と彼らは、救いを与える者と救いを求める者と言う関係にあり、彼らが私と縁を結んだのは、大法による救いを求める為なのです。私自身の言動は彼らが大法を知るための一つの窓口であり、私の言動が正しいかどうかは、彼らが大法に対して抱く認識に直接影響を与えます。
家族と接する時、できるだけ真・善・忍の基準に従って自分を律し、伝統文化の基準に従って人と接し、物事に対応するよう努めています。利益などの面で損をすることを恐れず、家族や親族が何か助けを必要としている時には、喜んで手を差し伸べています。また、適切なタイミングで彼らの心の葛藤について、彼らが理解できる範囲で大法の真相を伝えるようにしています。
以上は、現段階での修煉における、私の少しの悟りであり、書き出して同修たちと交流したいと思っています。