文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年2月7日】新経文の『目覚めなさい』を読んだ後、何年も前の出来事を思い出しました。当時、新唐人衛星放送の受信機をはじめて自宅の屋上に取り付けて、海外の同修たちが作った番組を見てとても嬉しく感じ、周りの同修ともよく番組の内容について話し合いました。番組の中に独特な雰囲気を持つA司会者が私たちの間で特に人気がありました。
ある時、中国の某金融会社が破綻して、多くの投資者が全財産を失い、訴える場所もなく、自殺をする人も出ました。Aさんの番組もその話題を取り上げましたが、Aさんは「自業自得」とコメントしました。その言葉を聞いて、私は驚きました。暗黒な金融トラブルに死に追い込まれた人々をどうしてそのように評するのでしょうか、視聴者に理解されるでしょうか。彼らは違法なことをしておらず、ただ合法的な投資をしただけです。修煉の基準を修煉していない常人に要求してはいけません。修煉者である私たちでさえ、利益に対する執着心をいっぺんに取り除けるとはかぎらないのに、修煉していない常人はなおさらです。
その時、私は冷静に反省しました。なぜ私と周りの同修はAさんを特別に好きなのでしょうか。Aさんは他の番組の司会者と違って、笑いや怒りを交えて、自由さと傲慢さがあるからです。もしかすると、私たちが彼のスタイルを好むことが、彼の振る舞いに影響を与えているのかもしれません。それから、私はAさんの番組をあまり見なくなりました。もし機会があればその思いをAさんに伝えたいと思いましたが、そういう機会はなく、受け入れるとも限りません。番組にはさまざまなスタイルが必要かもしれませんが、私たちはまず修煉者であることを忘れないでほしいのです。
師父は『目覚めなさい』に「日頃、それぞれの職場においても、人を救う時の心構えと出発点を保つ必要があります。特に各種のメディアに関わっている学習者はその行いに修煉者の慈悲深さを表していません。とりわけ、我々は個人の好みを発言の基準にしてはいけません。皆さんは人を救いに来たのであって、真善忍を基準にしなければなりません。皆さんの記事と発言は、少なくとも世の人が救われるきっかけにならなければなりません」と述べておられます。
私たちは理性的に考え、自分自身を見直し、これからもっと良く行うようと心がけるべきだと思います。
先日、久しぶりに衛星放送のチャンネルを見て、そこで偶然にAさんの番組を見かけました。番組で再び「自業自得」という言葉を耳にしました。どこかの特定の人を指して言っていたわけではありませんが、その言葉が新経文の『目覚めなさい』が発表後に再び使われたことに、新唐人テレビ局は何か問題があると感じませんか。大法弟子のメディアの役割は人を救うことで、人を裁くことではありません。
大法弟子のメディアとしては、善意を持って視聴者の心を開いてみるしかなくて、少しでもズレがあれば、受け入れられなくなるでしょう。
約1年前、ある同修のBさんが作った番組をYouTubeで見たら、驚かされました。中国国内の若い俳優のCさんが主演した映画について、記者はCさんに「もしあなたが映画の中の主人公になれば、現実の中でどうしているのか」と質問すると、「こんな質問をする意味はない」と答えました。中国国内のメディアから教養レベルが低いと嘲笑されました。Cさんは確かに学歴が高くありませんが、多くのファンを持っています。
Bさんは自分の番組でもCさんをけっこう皮肉りました。心配を抱えてコメント欄を見たら、「Cさんには多くのファンがいるので、こんなにCを皮肉るのは適切ではない」とありました。私もその時、同じことを思いました。Cさんのファンには世間を知らない若者が多く、若者はアイドルに対して、自分の好みに合った才能や外観があればそれで満足します。Bさんは中国国内のメディアと同じくCさんを酷評しましたが、後日、何らかのルートでBさんの番組を見る機会があれば、彼のファンはどう感じるでしょうか。もしファンたちがBさんを大法弟子だと知れば、法輪功の真相を知りたいと思うでしょうか。このような番組は真相を直接伝えておらず、間接的に伝えていない上に逆効果になっています。こんな番組をなぜ制作するのかとその時、私は非常に疑問に思いました。
この文章を書く前に、私は自分自身を内に向けて何度も見つめ直しました。2年前、中国で起きた臓器を狙われた事件が世間を騒がせ、ネットユーザーの驚いたコメントを見て、私の最初の考えは、「これほど長い間、大法弟子が生きたまま臓器を強奪されているのに、皆が見て見ぬふりをして、自分には関係ないかのようにしていた。今、自分の身に火がついて、はじめて慌てているのか」でした。私は自分の良くない考え方が見えました。それは「自業自得」と思うのと同じです。今、自分の間違いが分かりました。大法弟子は人間社会の公正や正義を求めるためではなく、救える人を救うためだと思います。
私はメディア関係の仕事をしていませんが、メディアに関わる仕事をしている学習者たちの苦労を理解しています。一度言葉を発してしまえば、取り消すことはできません。
師父は『法輪大法義解』の「北京法輪大法輔導員会議での法を正すことに関する意見」で「人が修煉し、真に高次元へ修煉するのは、それは即ち他人を済度し自分自身を済度する問題です。あなたがこの思想の要求についてこられなければ、あなたはこの仕事をうまくやり遂げることができません。そうではありませんか」と説かれました。
私は大法弟子が作った番組をあまり見ていないため、そのような番組をよく見る同修たちに、間違いを発見したらすぐ指摘してほしいとお願いしたいのです。また、番組で過去の過ちを素直に認め、さらに、質の悪い番組は取り下げて、悪影響を及ぼさないようにしたほうが良いと思います。番組は新唐人の局内で審査があるはずですが、それは一人だけの責任ではありません。そのような番組が審査を通過したのは、全員が誤った方向に進んでしまったからです。修煉においては心性の向上が大切で、修煉の結果は年数や貢献度などで測れるものではありません。大法弟子が作った番組は衆生を救うのが目的で、その基本的なことを忘れてはいけません。