文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年2月19日】私は75歳の女性で、1996年に法輪大法の修煉を始めました。今日まで修めてきて、人を思いやるということは本当に心安らぐことだと感じられるようになりました。ここでいくつかのエピソードを紹介したいと思います。
私の夫は村の幹部です。私が法輪大法を修煉し始めてから十数年経ったある日、夫の甥が、酒に酔った勢いでやってきました。幹部である叔父(訳注:私の夫)の威光を笠に着るつもりが、叔父が何の便宜も図ってくれなかったと言い、夫と喧嘩になりました。甥は暴力までふるい、夫は顔から流血する怪我を負いました。私は修煉者なので、人のことを思いやり、問題には慎重に対処しなければならないと思いました。ましてや酒に酔った状態の甥に、怒りをぶつけることなどできるはずがありません。
酔いが醒めた甥は、「私には子供がいるので、警察には通報はしないでください」と許しを乞いました。私は冷静に、「私にも子供がいます。この大法を学ばなければ、あなたをきっと通報していましたよ」と言いました。
後日、息子は私たち親の仇を討つために知り合いの男性に協力を頼みました。私はその男性に言いました。「もし私が法輪大法を学ばず、このような事には因果関係があると知らなかったら、私はあのような行動を取れなかったでしょう。今回のことは忘れましょう」
娘婿の方はといえば、ナイフを持って夫の甥と決着をつけようとしました。私は、「やめよう、彼は酔っていたのよ。そんなことをしたら彼と同じになるわよ」と、娘婿を止めました。
村には町から来た職員がいて、みんな夫を訪ねてきて私たちのために腹を立てました。夫の甥のことも容赦しません。私は、「あの甥は酔っ払っていたんですよ。悪気はなかったと思いますから、忘れましょう」と言いました。それを聞いた職員たちは、私が法輪大法を学んで愚かになった、家族がこんな目にあったというのに気にしないなんておかしい、と言いました。
数年後、一人の職員が娘を連れて私の家にやって来て、私に「私の娘の三退の申請をしてくださいませんか」と頼みました。職員は奥さんの名前も書いて、用紙を提出しました。甥の問題が起こった時、私が自分のことよりも人(夫の甥)のことを思いやって行動したことで、それを見た人が大法に賛同して真相を理解し、今回の三退による救いにつながったのだと私は感じました。
甥の事件は一番上の義姉の心をも、大いにふるわせました。以前の私が、人の上に立たないと気が済まない、他人に屈従しない気質であったことを、義姉は知っています。義姉は、法輪功はとても素晴らしいもので、人を良い方向に変えることができるのだと思いました。そして義姉は法輪功の本を読み、真相を理解して受け入れ、救われ、何度も福報を得ることができました。
ある日、その義姉は屋根に上がろうとして梯子の3段目から落ちましたが、全く怪我をしませんでした。さらに、86歳になった年のある夜、窓を閉めようとして登った、2段になった物干し台の上から転げ落ちたのです。物干し台のすぐ隣には貯水タンクがあり、その上には大きな鉄の盥(たらい)が固定されていました。義姉は盥の上に落ち、盥はもう洗濯には使えないほど扁平につぶれたというのに、義姉は肘の皮膚が少し切れただけで済んだのです。義姉は、なんと不思議な出来事だろうと思いました。
もう一人、2番目の義姉がいます。真相資料を読まず、真相を知らない2番目の義姉は、ベッドから床に落ちただけで大腿骨を骨折しました。一番上の義姉は、「あの子(2番目の義姉)はあんなに大けがをしたのに、どうして私は平気なの?」と私に尋ねました。私は「お義姉さんが大法の本を読み、大法を信じている限り、大法の師父がお義姉さんを見守って下さるのです。これは大法の師父がお義姉さんを守っているということですよ」と告げました。
私は、衆生が真相を知ることによって福報を得るのを見て、本当に嬉しく思いました。大法弟子たちがこのような人を思いやる心を持っていることを、世の人々が感じることで、真相を理解し、法輪大法によって救われることを、私は強く望んでいます。