ーー現段階で「法を正す時期」についての理解
文/河北省の大法弟子
【明慧日本2025年2月19日】先日、小さな出来事を通じて、「法を正す時期」における大法弟子がいかに発正念をするべきかについて、新たな理解を深めました。
今、私たちの地域では「A型インフルエンザ」の感染が非常に深刻で、私自身も発熱しました。最初は発熱したとわからず、普段どおりに仕事をしていましたが、夜になって初めて体がとても熱いことに気づきました。そこで、私は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えて発正念をしましたが、熱で体がだるく、正念の力も強くなく、目に見える変化はありませんでした。
その後、大法弟子の「ウイルス感染」は常人のと違って、大法弟子が「ウイルス」に侵された場合、それは邪悪からの妨害であり、直ちに発正念して妨害を除去するべきだと悟りました。その後、体調不良の状態が現れると私はすぐに発正念をします。すると正念が強くなった感じがし、2日後に熱が下がりました。ただ、夜になると咳が出ることもあり、いったん咳が出ると長時間続きました。
ある夜、喉が痒くなり、咳が出そうになった時、師父が『精進要旨三』の「正念をもって悪事を制止する」に述べられた「大法弟子は正念が強く、恐れる心がない情況下で、正念をもって逆に悪事を働く者を懲罰することができます。凶悪な警官がスタンガンを使っていても、または悪人が薬物を投与して大法弟子を迫害していても、正念を用いて、暴行を加える者の身に電流と薬物が流れていくようにすることができます」を思い出しました。そこで、「私に咳をさせる者に咳を返す」と一念を出して、次の瞬間に、目の前にある小さな霊体が突然激しく咳きこみ出して、そして爆発して光が消え去ったのが天目で見えました。私の咳もすぐに止まり、それ以降は咳をすることもありませんでした。
3、4日の間に、すべての症状がなくなりました。大法弟子に現れるあらゆる不適切な状態は外部からの妨害であり、全て旧势力によって仕組まれたもので、私たちはそれを断固として否定し排除しなければならないと、私は理解しました。
私は、この出来事から法を正す時期には師父がすべてを正しており、真・善・忍に反するもの、新しい宇宙の基準に適合しないものは最終的には解体されると、分かりました。師父は『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』で「実は、自分自身にある正しくないすべての要素も含めて、すべて大法と大法弟子の正念と一致していないものはいずれも、旧勢力の関与によってもたらされたことです」と述べておられます。大法弟子全体として私たちの責任は師父が行っておられることを応援することで、大法弟子個人としてやるべきことは自分自身を大法に同化させ、衆生を救うことです。そのため、同化させることを妨げるもの、大法と大法弟子の正念と一致しないものはすべて妨害と見なして、除去すべきです。外部からの干渉や迫害であれ、後天的に形成された欲望や固定観念であれ、これらはすべて修煉者が法に同化することを妨げる要因であり、除去すべきです。今、誤った考えや念が浮かんだ瞬間、私は直ちに発正念してそれを消去しています。
この方法を実践してから、魔難に遭遇する時に発正念したら、目標を直撃したようですぐ効果が現れています。
ある日、夫と電話している時に、不満と悔しい気持ちが湧き上がり、涙が出ました。次に、この不満と悔しさは何なのか、その中に夫への情、恨み、さらに金に対する執着を含んでいたと突然気づきました。一つの感情にはこれほど多くの執着が含まれていて、これはすべて常人レベルの感情、人情、私心であり、私はこれらを望んでいません。私はすぐにそれらを排除するために発正念しました。その後、かつてないほどの清らかさと平和を感じて、まるでそれらが存在しなかったようです。
今まで、夫への恨みが私の心の中を大嵐のように乱して、それを取り除くことも極めて困難で、発正念して除去してもきれいに取り除いていませんでした。今、それを手放すとこんなにも簡単になって、心がとても平和で、もう簡単には揺さぶられません。
娘が期末試験を終えるたびに、私の親戚の一人が必ず娘の成績を尋ねてきます。その親戚の子はいつも娘より成績が良いので、私はいつもあまり良い気分になりません。今年の期末試験後、親戚はまた成績を尋ねるために電話してきました。その時は娘が電話に出ました。家に帰ると、娘からその話を聞いて、またしても私は不快になりました。自分に不快を感じる理由を問いかけてみると、プライド、虚栄心、他人との比較、闘争心、そして成績を重んじる心が原因であることが分かりました。これらはすべて常人レベルの感情です。つまり長年の修煉を経ても、根本的な考え方はまだ変わっていないのです。修煉者として、娘には優れていてほしい、出世してほしいという常人的な願いを除去すべきです。そう考えると、私はすぐに発正念すると、心の底の不快な感覚はすぐになくなりました。
内に向けて探すことは修煉の中で要求されているもので、師父から与えられた、向上するための最も有効な方法です。しかし、探すこと自体が目的ではなくて、探してから執着心を除去することが真の目的です。多くの修煉者は一種の誤解に陥って、つまり「内に向けて探したら、師父の言葉に従ってしっかり修煉しているといえる」と考えがちです。結果としては山ほどの執着心を見出したにすぎず、それらを取り去る行動に移しておらず、心性に明らかな向上も見られません。いわば、「ゴミ」を見つけ出してはいるものの、それを放置して捨てる行動には移していないのです。
しっかり修めることの第一歩は、内に向けて探すことから始まると思います。しかし、多くの修煉者は内に向けて探すことを避けて、自分の執着に気づかず、また気づいても手放そうとしません。これは、その執着が自分の価値観や好み、性格、人生経験に合致しているからです。だからこそ、「心をえぐるかのようにつらい」という表現があるのです。
内に向けて執着心を探してから、それを取り除くことが修煉の最終目標です。どのようにして取り除けるのでしょうか。実は、私たち自身にできることは何もなく、全ては師父が行ってくださいます。私たちにできるのはただその執着心を拒絶し排斥することで、最終的に師父がそれを取り除いてくださっています。
大法や大法弟子の正念に反するあらゆる執着、観念、思想業力、外部からの妨害は衆生を救い済度することを妨げる要因であり、迷わずに排斥し除去するのは法に同化する最も早い方法です。実際、これらの物質は確かに大法弟子の持ち物ではなく、試練という名目で旧势力が計画的に大法弟子に押し付けたものです。その目的は、大法弟子の修煉と衆生を救う活動に困難を添えることで、彼らのいわゆる基準を満たしてやっと大法弟子と認めるのです。しかし、彼らの基準は師父の基準や大法の基準ではありません。そのため、これらの人心、執着、妨害、迫害を大法弟子は断固として受け入れず、直ちに除去すべきです。