文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年2月21日】私は法輪功を学んでから20年以上経ちますが、いつも煉功をやる気になれず、まるでそれが負担のように感じます。毎日、任務のように煉功しています。内に向けて探すと怠ける心、安逸心、業力の妨害だと思いました。
少し前まで、家に叔母という客が居ましたーー私の叔母です。彼女は熱心なクリスチャンで、修煉のことにとても興味を持っています。そこで、叔母に学法と煉功を毎日行うように勧めると、快く私と一緒に煉功しました。法輪功の修煉に深い縁を持っているのかもしれませんが、叔母は始めから第二功法を1時間行い、座禅も2時間続けられました。そして、4回も夢の中で師父から啓示を受けました。
叔母に正しい煉功動作を教えるため、私は師父の功法ビデオを何回も見ました。そして、なんと自分自身の多くの動作が正しくないことに気づいて、とても驚きました。例えば、1.第一功法(三番目の動作) 如来灌頂の時、私の掌はずっと下に向いていました。2. 第一功法が終わる時、両手を合わせて合掌し、下腹部で両掌を重ね合わせます。もともと、手を自然に下腹部まで下ろすだけで良いのに、私は半円を描いて下ろしていました。3. 第三功法では、片手を衝灌する時、下におろす手が太ももの正面に沿っていくのが正しいのですが、私はずっと太ももの横に置いていました。4. 第四功法では、(かかとから体の背面に向かう)「両手はそれ以上持ち上げられなくなった時、空拳を握り」というがありますが、私は今まで拳を軽く握るのではなく、しっかりと握って動作をしてきたのです。また、両手は頭を通ってから背中のエネルギーに接する時、指先が背中に触れないのですが、その通りできずに、時々触れたりしました。ほかにも、第二功法をやる時、頭頂抱輪、両側抱輪の動作も不十分でした。叔母は「煉功動作を正しく行わなければ、体は転化(変化)されないし、何の効果もありません」と言いました。それを聞いて本当に恥ずかしくなりました。これは、師父が叔母を通して、私に教えているのではないかと思いました。
叔母と一緒に1カ月以上煉功してからの私の動作は、ほぼ正しくなりました。いま煉功すると、以前とはだいぶ違います。今はエネルギーを強く感じられ、全身が熱くなって、手が気機に導かれて動いているとはっきり感じられ、とてもリラックスして快適です。これは、今まで体感したことのない状態の喜びと今まで無駄にした時間の悲しみも湧きあがり、悲喜こもごもでした。ついに、煉功をしたくない考えは消えてなくなり、むしろ期待して楽しむようになりました。以前は煉功すると、早く終わらないかとよく望んでいましたが、今はずっとずっと煉功していきたいと思うようになりました。大法に溶け込んだ感覚がします。
師父は『ヒューストン法会での説法』で、こう説かれました。「功は法であり、法は功でもあり、精神はそれ自身が物質です」と。ここから私が理解したのは、煉功動作を正しくする時(つまり、宇宙の特性に合っている時)、私自身が宇宙の特性に同化し、法に溶け込んだので、当然、心地よく快適になれるということです!