煉功に関する私の見解
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年2月24日】煉功に対して、同修たちの間ではさまざまな意見と取り込み方があるようです。

 1つは、自分はすでに高いレベルに達しており、動作を煉る必要がないと考え、長い間煉功をしていない人です。中には、煉功をしていないために病気に悩まされる人がいて、どうしてこうなったのかも考えていないようです。もう1つは、さまざまな言い訳をして煉功を「三日坊主」にし、真剣に取り組まない人たちです。このような状況は特に若者や中年層に多く、仕事で忙しい人もいれば、常人の生活に溺れて苦労して煉功をしたくない人もいます。

 もう1つは、煉功を修煉の精進の現れとみなし、または「病業」を取り除く主要な手段として位置づけ、煉功の時間や煉功した後の身体の感覚にこだわって、同修と競い合う人もいます。例えば、ある人は「私は毎日2時間座禅をしています」と言い、ある人は「私は3時間座禅をして、第二功法を2時間(各動作30分)やります」と言います。交流する時に、煉功の感覚がどれほど良いかを誇示します。このような人は年配の同修に多いようです。そのため、毎日の煉功と発正念の時間を合わせて5、6時間に及ぶ人もいます。煉功を睡眠の代わりにしているという話も聞きます。

 師父は『轉法輪』に「完全な性命双修の功法には、修も必要とし、煉も必要とします。皆さんは、功がいかにしてできあがるのかについてお分かりになったと思いますが、真に次元の高低を決定づける功は、煉功によって得るものではまったくなく、修煉によって得るものです」と述べられています。師父は各地での説法でも、しっかり学法することの大切さを常に強調されています。

 私の考えでは、大法修煉者として何をするか、何を話すかは、すべて法に従い、師父の指示に沿って行うべきで、自分の思い通りに行動したり、やりたいことを勝手にやるべきではありません。また、師父が弟子のために用意された修煉の道を乱すので、極端な行動は避けてください。

 (編集責任者:李明)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/2/1/488841.html
 
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