様々な困難の中で大法を堅く信じ関を一つまた一つと乗り越える
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文/四川省の大法弟子口述 同修が整理

 【明慧日本2025年3月7日】私は高齢の大法弟子で、今年85歳になります。師父のご加護の下、今日まで無事に歩んでくることができました。ここで私の25年間の修煉の道のりを振り返り、同修の皆さんと交流したいと思います。

 一、修煉を始めた喜び

 私は四川省の農村で生まれ、幼い頃から家は貧しく、ろくに学校にも通えず、教養もありませんでした。結婚してからは4人の子供をもうけ、毎日生活のために奔走し、4人の子供を育てるのに追われました。1960年代、中国では「大躍進」(訳注:1958年から1960年代初頭にかけて毛沢東が主導した、農業と工業の大規模な生産力拡大を目指した社会主義政策。農業生産の混乱により食糧が不足し、大規模な飢饉『大躍進飢饉』が発生し、数千万人の餓死者を出した)が起こり、人々は非常に苦しい生活を送り、多くの人が餓死しました。農民は食糧不足で食べるものも少なく、非常に困窮した生活を送りながら重労働を強いられました。私の体も疲れ果ててしまいました。

 当時、私は頻繁に病気になり、薬を飲んだり注射をしたりしても良くなりませんでした。そこで病院に行って検査をしてもらったところ、メニエール病だと診断されました。毎日ぼんやりして頭がくらくらしたり、頭痛がしたり、よく眠れなかったり、食欲がなかったり、そんな状態で何年も苦しみました。病気を治すためにあちこちの医者や薬を探し回り、いろいろな民間療法も試しましたが、どれも効果がありませんでした。その後、人から紹介され「お寺にお参りに行けば病気が治る」と聞き、佛教にも足を踏み入れ、頻繁にお寺にお参りに行きましたが、病気は治るどころか悪化しました。そのため、私はますます不安になりました。

 ある日、私の友人が訪ねてきました。友人は「今、世間でとても良い功法がある」と教えてくれました。私がどんな功法か尋ねると、法輪功だと言いました。当時、私は心の中で躊躇しました。法輪功なんて聞いたことがなかったからです。私は友人に本があるかどうかを尋ねると「ある」と言うので、借りて読んでみることにしました。数日後、友人は本当にきれいな本を持ってきて、本は借り物ですぐに返さなければならないから1週間しか貸してあげられない、と言いました。

 私はあまり教養がなかったので、本を受け取った時「こんなに分厚い本をどうやって読み終えることができるだろうか?」と少し困惑しました。私の夫は私より学歴が高かったので、私は家に帰って彼に相談しました。私は「この本はとても良い本だけど、借り物だから1週間以内に読まなければならないの。私一人では読み終えるのが難しいので、急いで読んでください。家事は私がやるから、あなたはしなくていいわ」と言いました。夫は1週間以内に本当に本を読み終えました。夫は私に「この本は非常によく書けている。本の著者は素晴らしい人で、非常にレベルの高い人だ」と言いました。

 当時、私はまだ貴重な書籍である『轉法輪』を持っていませんでした。1週間後の約束した時間に本を友人に返しました。そして、友人に頼んで『轉法輪』を買ってくれるようにお願いしました。十数日後、私は真新しい本を手に入れ、心から喜びました。むさぼるように真剣に本を読み始め、知らない漢字に出会うと夫に教えてもらいました。

 そこで、私は以前に佛教で知り合った友人たちみんなを呼び集め、彼女たちを自宅に招いて一緒に法を学ぶことにしました。夫も何人かの友人を招待し、彼らも一緒に私の家で法を学び、煉功することになり、私の家は地元の学法点となりました。私たちは毎日午前中は外に出て法輪功を広め、午後は家でビデオを上映しました。教養のある人は本を読み、教養のない人は法を聞き、ビデオを見ました。私たちはこのように学び、煉功を続けるうちに、いつの間にか、私の全身の病気の痛みは跡形もなく消え、本当に病気のない体になり、気分はとても晴れやかでした。慈悲深い偉大なる師父に深く感謝申し上げます。

 二、天安門に行き大法を実証する

 1999年7月20日、私たちが自宅で学法していたところ、数人の人が家を訪ねてきました。その中には公安警察や街道弁事所の職員がいました。彼らは家の中をひと通り見回し、いくつか質問をしてから帰って行きました。3日後、彼らが再び家に来て、私を派出所に連行し、不当に2日間拘束し家宅捜索を行いました。

 私はただの農村の女性で、普段はまじめに暮らしており、法律や規則に違反するようなことは何もしたことがありません。それなのに、警察に不当に拘束されました。最初はこのような状況に直面して、心の重圧が非常に大きく、邪悪が天を覆うかのようにやってきた、まるで天が崩れ落ちたかのように感じました。家族や子供たちも私の安全を心配しました。私は心の中で「師父がいて法があるのだから、何を恐れることがあるだろうか! 緑の山が残っていれば、薪がなくなる心配はない(訳注:たとえ今は苦しい状況にあっても、希望を捨てずに正念を持ち続けていれば必ず道は開ける)」と心の中で静かに思いました。

 私たちの小さな県の県庁所在地の同修は多くはありませんでしたが、天安門に行って大法を実証するために立ち上がった同修は比較的多く、おそらく20人から30人ほどいました。私たちは皆、4人か5人のグループになり、幾重もの妨害を突破し、北京行きの列車に乗り、天安門に行って大法を実証しました。当時、県政府の指導者たちは、私たちが北京に陳情に行くのを阻止するために、すべての法輪大法修煉者の家の近くに人を配置して見張らせ、県庁所在地のすべての駅、バスターミナル、鉄道の駅に見張りを配置しました。大法を実証するために立ち上がった同修の中には、50歳から60歳の高齢者もいれば、子供が1歳か2歳の若い母親もいました。中には、中国共産党(以下、中共)の迫害を何度も経験しながらも、法を実証するために立ち上がり、何度も天安門に行った人もいました。

 私は女性で農村地域に住んでおり、遠出したこともありませんでしたが、それでも師父のために北京に行って正義を勝ち取りたいと思いました。2000年5月、私たち同修4人は一緒に出発しました。私たちは2番目に立ち上がったグループで、家族の束縛を打ち破り、幾重もの困難を乗り越えて、北京の天安門に陳情に行きました。当時、私たちは事前に列車の切符を購入し、時間を約束しました。中共の妨害を避けるために私たちは別々に行動し、周辺の県の駅で列車に乗り、列車の中で合流しました。師父のご加護の下、私たちは無事に北京に到着し、駅で三輪の人力車を引いている男性に出会いました。男性は私たちを遠くの場所まで連れて行き、旅館を見つけてくれ、たった5元しか受け取りませんでした。

 翌日、私たちは旅館で1日休息しました。3日目、私たちは天安門に行き、地下通路で石家荘から来た2人の女性教師に出会いました。女性教師たちは私たちに、地元が彼女たちの北京への陳情を阻止するために、団地の門をすべて閉鎖したと話しました。団地の住民たちはそれを嫌がり、騒ぎ始めたため、警備員はやむなく団地の門を開け、女性教師たちはその隙をついて出てきたということでした。

 天安門に着くと、私たちは警察に暴力的に逮捕され、不当に接客所(訳注:天安門広場で連行した修煉者を一時的に収容するための施設)に拘束されました。その時、ある警官の妻が病気になり、私たち4人の中にベテランの医者がいると聞き、警官の妻はベテランの医者を訪ねて事情を説明しました。ベテランの医者は警官の妻にペンと紙を持ってくるように頼み、処方箋を書き、薬の飲み方を教えました。私たちがそこを離れる前に、警官の妻の病気は治りました。

 数日後、県と町の幹部職員たちが私たちを迎えに来て、地元へ帰ることになりました。町長は私たちを見ると激怒し「私は毎日駅にいて、毎日見張っていたのに、どうやって電車に乗ったんだ?」とののしり始めました。町長はまた、私たちのお金を没収し圧力をかけようとしました。私たちが「お金を持っていない」と言うと、町長たちは私たちに対してさらに凶暴になりました。実は、身体検査を避けるために、私たちはお金を事前に隠しておきました。私たちは北京から戻った後、直接留置場に連行されました。

 留置場では、警察は私たちに重労働をさせました。警官たちは大量の黄麻(こうま。訳注:ジュートと呼ばれる繊維が採取される植物)を持ち込み、麻ひもを作るように私たちに命じ、それを売ってお金にしました。警察はまた、私たちの家族を探し出し、お金を支払うように強要し、お金を支払えば家に帰れると家族を騙しました。ある家族は1000元を支払いましたが、その家族の同修は家に帰ることはできず、1カ月以上も不当に拘束されました。

 家に帰ってからも、警官たちは頻繁に家に来て嫌がらせや家宅捜索をし、私たちに洗脳教育プログラムに参加するように要求し、毎日2回、朝晩にサインインするように要求しました。ある日、警官たちはまた私の家に嫌がらせに来て「まだ煉功をしているのか」と尋ねました。私は警官たちに「私は以前、全身が痛くて、薬を飲んだり注射をしたりしても効きませんでした。でも、今は法輪功を修煉して良くなりました。私はたとえ食事はしなくても、煉功は続けます」と言いました。この一言で、警官たちは私を留置場に連行し、様々な拷問を加え、私たちに強制的に労働をさせました。

 2001年の旧正月(訳注:2001年1月24日)が近づいた時、旧暦の12月23日(訳注:2001年1月17日)に警察は私たち県全体の大法弟子を理由もなく全員留置場に連行し、不当に拘束しました。旧正月の元旦には、留置場の警官がすべてのテレビをつけ、法輪功を中傷するテレビ番組「天安門焼身自殺事件」を私たちに見せました。警官たちはまた、農村の市場でも「天安門焼身自殺事件」のビデオを上映し、嘘を広めて人々を毒害し、迫害の雰囲気は非常に緊迫し、暗雲が立ち込めました。私の夫は非常に気の強い性格で、このような高圧的な政治的迫害に耐えられず、脳梗塞で急死しました。

 三、娘の夫が不当な判決を受ける

 2001年10月、私の娘と娘の夫は地元で小さな商売をしていました。私は彼らのために食事を作り、2人の子供たちの通学の世話をしていました。当時、彼らの家は地元の資料拠点でした。資料を作り始めた当初、私たちはまだ安全問題にあまり注意を払っていませんでした。ある日、公安警察と街道弁事所の職員が再び私の家に嫌がらせに来て、約30分間、絶え間なく私に質問し、2人の子供たちをしっかり世話するようにと私に言いました。

 翌日、私は娘と娘の夫に食事を届けに行きましたが、誰もいませんでした。私は何かあったのではないかと思い、留置場へ探しに行きました。案の定、娘と娘の夫は連行され、留置場に不当に拘束されていました。窓を見ると、窓際に人が吊るされていました。私は警官に「娘と娘の夫のために必要な物を差し入れするために何を持っていくべきか」を尋ねると、娘と娘の夫に布団と現金を届けるようにと言われました。

 2002年夏、大雨が降り、留置場が浸水しました。留置場内は人を収容できなくなったため、連行された人々は隣接する県の留置場に移送されました。私は毎月、娘の夫に200元の生活費を送りました。私は年上の同修と時間を約束して、一緒に訪ねに行くことにしました。私たちは作成した資料、真相DVD、小冊子を一緒に持って行き、途中の農村地域の行政組織に資料を配布し、同時に真相を伝えるために作成した手紙を投函しました。縁のある人に出会うと、彼らに真相を伝えました。持ってきた資料をすべて配布した後、同修は家に帰りました。私はタクシーに乗って隣接する県の留置場に行き、娘の夫に生活費を届けました。

 ある時、私が留置場に行くと、いつも私を連行する警官に出くわしました。警官は私を知っており、私も彼をよく知っていました。警官は私を指して隣の県の警官に「彼女は修煉歴が長い『法輪(訳注:法輪功修煉者)』で、拘束されているのは若い『法輪』だ」と言いました。私は警官に「私の家の法輪はたくさんあり、天下に広がっています」と答えました。そう言うと、警官は笑い、他の警官たちも一緒に楽しそうに笑いました。娘の夫は不当に懲役5年の判決を受け、最終的に徳陽刑務所に不当に拘禁されました。

 四、正念で病業の関を乗り越える

 2024年、私は忙しくさまざまな活動に取り組んでおり、発正念を十分に重視していませんでした。時には発正念の時間を逃し、時には発正念をしても心が落ち着かず、自分の空間場を適切に浄化できず、様々な執着や観念を適切に取り除くことができませんでした。時には真相を伝える機会を逃してしまうこともありました。

 2024年、私は84歳で、二度転倒しました。一度目は顔を打ちましたが出血はなく、たんこぶができただけでした。翌日、目に内出血による青あざができましたが、息子や息子の妻には言わず、心を落ち着けて、強い意志をもって学法と煉功を続けました。すると、数日後には良くなりました。師父が私を守ってくださり、この関を乗り越えることができました。

 4カ月後、私は再び転倒し、前回よりもひどく転びました。市場で買い物をしていた時、女性がカートを引いており、誤って私を押し倒したのです。私は地面に倒れ、起き上がることができず、女性もひどく驚いていました。しかし、私は心の中ではとても明確に分かっており、師父に助けを求め、師父に守ってくださるようお願いし「法輪大法は素晴らしい」と何度も念じました。私は地面に長い間横たわっており、多くの人が私を起こそうとしましたが、最終的に力の強い男性が私を起こしてくれました。私を押し倒した女性は40代くらいで、とても恐縮しており、ずっと謝っていました。私は女性を責めることも、お金を要求することも、病院に連れて行ってもらうこともしませんでした。代わりに、女性に真相を伝え三退を勧め、帰ってもらいました。女性は私にとても感謝し、私は彼女に師父に感謝するように伝えました。

 しかし、家に帰って夜になると、足がひどく腫れ上がりました。私は息子や息子の妻にも、娘や娘の夫にも知らせず、毎日強い意志を持って法を学び続けました。すると、体は徐々に回復しました。もし転倒したことを子供たちに話していたら、きっと病院に連れて行かれていたでしょう。師父が私を守ってくださり、無事にこの関を乗り越えられたのだと分かりました。

 私は20年以上の修煉の道のりで、大法への確固たる信念と師父への確固たる信念を頼りに、師父の慈悲深いご加護の下、今日まで平穏に歩んでくることができました。これからの日々、私はさらに精進し、三つのことをしっかりと行い続け、自分の使命を全うします。修煉は逆流の船を漕ぐようなものであり、進まなければ後退します。私は根気強くしっかりと行い、師父の慈悲深い救い済度に背くことのないようにいたします。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/2/23/490514.html
 
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