文/北米の大法弟子
【明慧日本2025年3月16日】 2001年、師父は私たちに正念を発する法を説かれました。これは法を正す時期の大法弟子として私たちがしっかり行わなければならない三つのことの一つです。2001年12月、2002年10月、師父は再び私たちに正念を発する方法を教えてくださいました。
まず、同修ともに正念を発するに関する師父の一部の経文を復習しましょう。
師父は 『二〇〇一年カナダ法会での説法』(二〇〇一年五月十九日 オタワにて)の中でこう説かれました。
「また、学習者は今後、集団煉功或いはこのような大会の時に、5分間入静し、結印して座り、意念の中で自分の思想の中の良くない念、業力と良くない観念、或いは外来の邪魔を根絶します。これらは死ねと念じれば、根絶されるのです。5分間で利きます。(拍手) 集団煉功の時に三界内の邪悪を根絶することを念じ、片手を胸の前に立てて、真念で5分間考えると良いです。(拍手) 確かに利きます。皆さんはなんといっても偉大な修煉者で、常人とは違うのです」
師父は『各地での説法二』「米国フロリダ州法会での説法」(二〇〇一年十二月二十九日)の中でこう説かれました。
「正念を発するという言葉は、昔はこのような言い方ではなく、昔は神通と言われ、神通を用いるとか、佛法神通と言い、常人はそれを功能と言っていました。なぜ私はそのことを正念を発することだと言ったのでしょうか? 皆さんは大法を修煉しているので、全ては最も偉大で、最も純粋で清らかでなければなりません。私たちが行なった全てはあなた個人の修煉だけではなく、法のことや、将来の新しい生命、同時に未来の生命形式についても考えなければなりません。皆さんが彼らのために基礎を築いているので、私たちの道は必ず正しく歩まなければなりません。今日皆さんが何かを行なったら、将来の人は大法弟子が当時このように行なっていたと言うでしょう。ですから多くのことは非常に重要なのです。ですから、私たちが正念を発するときには純粋で清らかでなければなりません」
師父は『精進要旨三』「正念」(二〇〇二年十月十三日)の中でこう説かれました。
「やり方ですが、①精力を集中して、頭を絶対にはっきりさせ、理性的で、念力が集中しており、強大なものでなければなりません。宇宙の全ての邪悪を粉砕することができるという唯我独尊の勢いがなければなりません。②他の空間がまだ見えていない弟子の場合、口訣を念じ終えた後、強大な念力を集中して、「滅」という字を念じてください。この「滅」は宇宙天体の大きさと同じく強大になり、全ての空間は含まれないものがなく、漏れるものもありません。③他の空間の邪悪が見える弟子は、自分自身が把握している情況に従って行なってください。正念は強くあるべきであり、智慧を駆使すべきです。一正そのものは百邪を圧するものです。④正念を発する時、目を閉じても閉じなくても、効果は同じです。目を開けたままでする際、常人社会の全てを見ても見えないようにならなければなりません」
23年が経ちましたが、修煉者の中には、正念をしっかり発していると感じる人もいるかもしれませんが、私はまだ師父が要求する境地に達していないと感じています。
迫害が依然として横行し、中国共産党が人々を操って師父を訴えさせているのを見ると、悲しくなります。これは私たちが人間のものに固執し、法を十分理解していないことが原因ではありませんか? 私たちが十分に修煉していないからではありませんか? 私たちは旧勢力に抜け穴を突かれ、隙を突かれてしまったのです。私たちはみんな目を覚ますべきです!
『轉法輪』から、低級霊は人々に街で財布を拾わせ、偽りの気功師に治療を依頼することができることが分かっています。旧勢力の残ったかすはそれらの低級霊よりも強力で、人々を操ってあらゆる悪事を働くのは容易です。
師父はこう説かれました。
「最も低い次元で修煉する際には、身体を完全に浄化する過程があります。つまり、頭の中の良くない考えや、身体のまわりの業力によってできた場、身体に不健康をきたす要素などを、全部きれいに取り除くということです。それを取り除かなければ、このような濁った身体や真っ黒な身体、汚れた考えを持っていたのでは、どうやって高い次元をめざして修煉ができるでしょうか? ここでは『気』を練ることなどはしません。あなたはもう低い次元のものを練る必要はないのです。われわれは皆さんの身体を無病状態にまで押し上げていきます。そして同時に、低い次元の段階で基礎として備えなければならないものも、一式できあがったものを植えつけてあげましょう。こうすれば、われわれは初めから高い次元で煉功することになります」(『轉法輪』「第一講」)
法から、私たちは修煉がしっかりできた部分が分離した後も、修煉が十分にできていない部分が残っており、常人社会で汚染されやすいことが分かっています。そのため、正念をよく発することがさらに重要であり、絶えず自分を浄化し、修煉のレベルを継続的に高め、残っている旧勢力の要素を消滅させ、法を守ることができるのです。
私たち全員が正念を発することを真剣に受け止め、きちんと行うことが重要です。それは単なる形式的なことではなく、その本質と重要性を本当に理解する必要があります。これにより、私たちは早く成長し、修煉の道で遭遇する困難や挑戦にうまく対処できるようになります。
過去6カ月間、私は正念を発する方法についてより深い理解と悟りを得ました。また、正念を発するときに強いエネルギーを感じます。自分のエネルギー場に閉じ込められた3匹の金色の龍が見えましたが、私の能力が増すと、彼らは飛び出して善と悪の戦いに参加しました。
時々、同修が「私は何もできないから、とにかく正念を発しよう」と言うのを耳にします。それは消極的で、正念を発することが最後の手段であるかのようです。同修の皆さんに、正念を発することは師父が私たちに要求された三つのことの一つであり、不可欠なことだということを思い起こしてください。それは邪悪を滅ぼす強力な働きをしており、その重要性を過小評価してはいけません。大法弟子は皆、真剣に正念を発し、より大きな正エネルギー場を形成し、大法弟子の力をこの世に示し、衆生を救い済度すべきです。
【修煉者同士の理性的な交流は、一般的に、その修煉者がその時点で修煉を通して得た認識に基づいたものであり、善意を持って交流し、互いに向上することを目指すものです。】