文/中国の大法弟子 福縁
【明慧日本2025年3月24日】私は80歳を過ぎています。2021年5月頃、歩く時に腰と股関節に違和感を感じ、少し痛みがあって歩けなくなり、全身が少しだるく、足がつることがありましたが、特にひどくはありませんでした。私は動揺せず、歩きながら心の中で「大丈夫、虚像で妨害だ、病気ではない、師父が弟子の体を浄化し、業力を取り除き、次元を向上させてくださっているので、良いことだ」と念じ、同時に「師父がいて法があるのだから、何も恐れない、誰も妨害する資格はない、修煉者を迫害する者は必ずその報いを受ける」と念じました。
家に帰ってから、私は心を静めて法を学び、煉功し、正念を発して旧勢力の妨害と迫害を全面的に否定し、すべての虚像を認めず、ゆるぎなく師父と法を信じました。半日も経たないうちにすべての症状が消え、どこも痛くなくなり、不快なところも消えました。慈悲深い師父が弟子の体の悪い物質を取り除いてくださったのです。
2022年3月頃、家で法を学び、両足を組んで坐禅をしていた時、お尻が安定せず、体が右に傾き、左足が通常より伸びた状態で、筋肉が緊張し、足が浮き上がっているかのように感じました。そこで手で触ってみると、左のお尻に鶏卵ほどの大きさの塊があることに気づきました。触ってみると、外側は皮膚で内側は硬い骨のようなもので、あまり痛みも痒みもありませんでしたが、少し不快で痺れた感じがしました。私は「これは病気ではない、真の修煉者は病気を持たない」と思いました。そこで私はこの大きな塊に「お前が何であれ、私はお前を必要としない、ここにとどまることは許されない、ここはあなたがいる場所ではない。私のすべては師父が按排してくださり、私は師父が按排してくださった道だけを歩む、他のいかなる生命物質の要素も妨害する資格はない」と言いました。同時に、この大きな塊(骨)に「あなたも生命であり、私とどのような縁であれ、宇宙は法を正しているので、あなたが宇宙大法の『真・善・忍』に同化し、良い未来を持つことを願っている。あなたが正しい選択をされることを願っています」と、真相を伝えました。
その後、私は何も考えず、お尻の塊を気にすることなく普段通りに生活しました。生活ではお尻に硬い骨のようなものがある以外は、洗濯、料理、掃除などすべて通常通りに行い、三つのことも通常通りに行い、毎日法を学び、煉功し、発正念を続けました。朝は真相を伝え衆生を救うために外出し、午後は家で法を学び、夜は煉功し正念を発しました。
後で妹が私のお尻の塊のことを知り、一緒に検査に行こうと言い張りました。そこで、私は「心配しないで、私は修煉者だから。これは師父が私の体を浄化してくださっているのだから、大丈夫、数日すれば良くなるから」と言いました。妹が何を言おうと、どのように説得しようと、私は動揺せず「病院には絶対に行かない、私は師父と法を固く信じている、私はすべてを師父に委ねる」と伝えました。妹は大法の素晴らしさを知っているので、何も言わなくなりました。私は毎日、法を学ぶ時間を増やし、より多く法を学びました。煉功する時は背筋を伸ばし、胸を張り、顔を上げて真っ直ぐ座ることを心掛けると、足がそれほど硬くなくなっていることに気づきました。その塊を触ってみると、塊が小さくなり、骨のようなものも上に移動していることに気づきました。私は、これは師父が私を助けてくださっているのだと悟り、師父に感謝申し上げました。私は師父の肖像画の前に跪き、師父に「師父、私は本当に情けなくて悟性が悪く、師父にご心配をおかけしました」と申し上げました。
私は心を静めて内に向けて探し、多くの人心を見つけました。例えば、人に言われたくない心、闘争心、嫉妬心、名誉・利益・情、色欲心、顕示心、怨恨心、安逸心、自我に執着する心、口を修めないこと、そして党文化の名残、現代主義の意識と行動(訳注:物質主義や無神論など)などです。これらの人心の根源は「私」であり、真の自己ではなく、すべて旧勢力が押し付けたものです。私はそれを認めず、必要としません。師父、どうか弟子の内なる執着を完全に浄化してください。
3月末から4月初めにかけて、法を学ぶ時も煉功する時も、足に何かが這っているかのように感じ、時々冷たい風が吹くように感じ、腰やお尻が頻繁に痒くなったり、痺れたり、小さな赤い発疹が出たりしました。私がそれを触ってみると、数日で消えました。腰も真っ直ぐに立てるようになり、再び触ってみると、塊(骨)がなくなり、お尻も平らになっていました。そこで、この骨はどこに行ったのだろうかと思いました。体の頭から足まで触ってみると、腰の下とお尻に尾てい骨があることに気づきました(以前、腰椎椎間板ヘルニアで尾てい骨がなくなっていた)。私は嬉しくて師父にひざまずき、慈悲深く偉大なる師父が弟子の尾てい骨を正常な位置に戻してくださったことに感謝申し上げました。大法はとても偉大で、本当に言葉では言い表せないほど素晴らしいです。