夫婦での二度の危機 師父の加持により危機を脱する
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文/中国黒龍江省の大法弟子

 【明慧日本2025年3月25日】

 私は1998年に修煉を始めた大法弟子です。修煉して26年間、私も家族も師父の大きな恩恵を受けてきました。

 水が畑の縁まで来たが引いていった

 2001年、私は不当に労働教養を科され1年間拘禁されました。2002年に解放されて帰宅した時、我が家は迫害によって極度の貧困に陥っており、バス代の20〜30元すらなく、借りなければならないほどでした。子供の学校の昼食代も1元しか渡せず、息子は「お母さん、お昼ご飯が足りないよ」と私に言いました。私は「それなら夕方帰ってきてご飯を食べよう。ママが家に帰ったらすぐにご飯を食べられるようにするからね」と答えました。季節が変わるたびに、子供の服は中古市場で古着を買ってしのぎ、そんな苦しい日々が1年間続きました。

 2003年、私たちは河川敷に7.5ムーの大豆を植え、せめて子供が昼食をしっかり食べられるようにと願っていました。しかしその年の夏、川の水位が上がり畑がすべて水没し、1年間の労働が無駄になりました。まさに「泣き面に蜂」のような状況でした。

 当時、私は法輪大法に対する理解がまだ感性的なもので、法理を深く理解しておらず、これは邪悪による大法弟子への経済的な迫害であると認識できていませんでした。また、その迫害を否定する術も知りませんでした。農民は畑を耕し、収穫は天に委ねるものと、天命に従うしかないという無力感を抱いていました。こうして、私たちはさらにもう1年、苦しい日々を耐え忍んで過ごしました。

 2004年、私はまた3000元を借り、30ムーの大豆を植えました。私たちは農民であり、他の仕事はできないため、農業を続けるしかありませんでした。

  しかし、夏になるとまた水位が上がりはじめましたが、この時は以前と違い、私は学法を深めたことで法理に対する理解もある程度深まっていました。この出来事を修煉の視点から捉え、「私は大法弟子であり、師父がいらっしゃる。学法を通じて、大法弟子には福があり、師父が私たちの面倒を見てくださると知った。邪悪が経済的に私を迫害しようとしているのを、私は受け入れない!」と考えました。

 私は正念を発し、旧勢力による迫害を全面的に否定し、師父が按排してくださった道を歩もうと決意しました。すると翌日、次兄が私に「水があなたの畑の縁まで来たけど、そこで引いていったよ」と教えてくれました。

 その日を境に、私たちの家の経済状況は劇的に改善されました。師父のご加護に心から感謝しています。師父、本当にありがとうございます!  

 夫婦での二度の危機 師父の加持により危機を脱する

 2015年、息子の結婚の際に借金をしました。夫は借金を返済するために、家造りの仕事を請け負いました。工事がほぼ終わるころ、夫が「今日、手伝いに来てくれないか? もうすぐ終わると思うけど、あなたが来ないと、あと1日余計にかかってしまって、もう1日分の工賃を払わなければならないかもしれない」と言いました。私は特に深く考えず、朝7時過ぎに建築現場へ向かい、作業を始めました。8時ころ、私の左手の人差し指が何かの拍子でコンクリートをかき混ぜる機械のベルトに巻き込まれ、指先の肉が剥がれてしまいました。指先の骨がむき出しになっていましたが、血も出ず、痛みも感じませんでした。夫はすぐに私を姪の家へ連れて行きました。姪とその夫はどちらも医師だったので、応急処置を頼みました。しかし、夫はまだ現場に多くの作業員がいるため、すぐに工事現場へ戻っていきました。

 姪の夫は私の手を見るなり、「これはかなり重症だ。私では処置できないから、大きな病院へ行った方がいい」と言いました。そして、彼が車を運転して私を市第四医院へ連れて行きました。病院では、医師がむき出しになった骨を切除し、縫合処置を行いました。処置が終わると、医師は「少しでも良い痛み止めを買った方がいい。十本の指は心とつながっているから、とても痛いはずだから、発炎しないように抗炎症の注射も受けた方がいいですよ」と言いましたが、私は「大丈夫です。私には師父がついていますから」と答え、一粒の薬も飲まず、注射も打ちませんでした。結局、50元あまりの医療費を支払い、私はまた姪の家へ戻りました。

 その夜、息子と息子の妻が車で迎えに来ました。夫もモーターバイクに乗ってやって来ました。私たちは兄の家で夕食をとり、その後、帰路につきました。夫がバイクで先に走り、私、息子、息子の妻の3人は車で後を追いました。

 あるカーブに差し掛かった時、息子の妻が「バイクのテールランプが見えなくなったけど?」と言いました。息子はすぐに車を停め、私たち3人は慌てて降りて探しました。近づいてよく見ると、オートバイの前輪が反転し、倒れていました。しかし、夫の姿が見当たりませんでした。私たちは瞬時に「これは事故だ!」と分かり、必死に夫を探しました。そして、ようやく彼を発見した時、夫は道路から約10メートルの堤防の下に倒れており、意識を失っていました。

 私は夫を抱きしめ、大声で叫びました。「師父! 弟子が危険です、どうかお助けください!」息子の妻は震え上がっていました。私が師父に助けを求めた後、夫が目を覚まし、話し始めました。「大丈夫、大丈夫…」と繰り返し言っていました。私たちは急いで夫を車に乗せ、再び医師である姪の家へ向かいました。姪の夫は、夫に向かって吐いたかどうかと尋ねました。私が吐いていないと答えた直後、夫が突然「うわっ」と嘔吐しました。それを見た姪の夫は、「これは良くない。頭を打っている可能性がある。すぐに大病院へ行くべきだ」と言いました。息子が車を運転し、夫を市医大第一病院へ連れて行きました。私は次兄の家に残り、次兄の妻(同修)と一晩中発正念しました。その間、私の手はまったく痛みを感じることはありませんでした。

 病院へ向かう途中、夫は次第に座っていられなくなり、姪の夫にもたれかかりました。姪の夫は「これはまずい」と感じ、すぐに救急車(120番)を呼びました。夫は救急車で病院の救急室へ運ばれ、検査を受けました。その最中に、彼は血便、吐血、鼻血を出し始めました。医師はすぐに彼を集中治療室(ICU)に移しました。約2〜3時間後、夫は意識を取り戻しました。検査の結果、頭蓋骨骨折と脳出血が確認されました。医師は「出血している部位は非常にデリケートな場所で、手術はできません。もし出血が続いたら助からない可能性があります」と言いました。しかし、深夜になって息子から電話があり、「お父さんは危険な状態を脱し、脳の出血も止まり、意識もしっかりしている」と言いました。

 私はやっと安堵し、師父への感謝の気持ちは言葉に表せないほどでした。すべては師父が守ってくださったおかげです。

 私は一晩中発正念し、翌朝、病院へ夫を見舞いに行きました。親族らも続々と30人以上が病院に駆けつけていました。彼らは夫はもう助からないかもしれないとの噂を聞いていたため、夫の無事を確認し、ほっと胸をなでおろしていました。

 ところが、その時私の怪我をした腕に赤い線が浮かび上がり、それを見た親族たちは、「昔から言われているけど、この赤い線が心臓まで達したら命が危ない。絶対に姪の診療所で注射を受けさせるべきだ、もし嫌がるなら無理にでも連れて行く!」と話し合っていたのです。私は後からこの話を聞きました。

 しかし、息子と息子の妻は親族の目を盗み、こっそり私を従姉妹の家へ連れて行きました。従姉妹も修煉者で、私にお風呂を用意し、着替えをさせてくれました。

 その時、私の負傷した手は赤く腫れ上がり、激痛に襲われていました。痛みのあまり、じっとしていられないほどでした。そこで、私は部屋で煉功することにしました。第一、第三、第四の功法を煉り、第一功法で二回目の「金猴分身」の動作に差し掛かった時、突然、熱いエネルギーが両腕全体に流れました。その瞬間、手の痛みが完全に消えたのです。従姉妹が作ってくれた麺を食べました。私はすでに丸一日何も口にしていませんでした。食事を終えると、二人でさらに煉功を続け、五式の功法をすべて煉り終えると、私はぐっすりと眠ることができました。

 翌朝、姉が餃子を作ってくれました。食べ終わった後、私は荷物を持って病院へ夫を見舞いに行きました。病院に着くと、親族たちはまだ私の手のことを気にしていました。しかし、私は忙しくしていたため、自分の手のことなどすっかり忘れていました。ふと腕をまくってみると、いつの間にか腫れも赤い線も完全に消え、痛みもありませんでした。

 これを見た親族たちは、大法の神秘と超常的な力に驚嘆しました。伯父は私の手を見て、「お前は本当にすごいな!」と感嘆しました。

 実は彼自身、以前に指の一部を失う大怪我をした経験がありました。その時、痛み止めを8錠も飲んでも効かず、痛みのあまり、地面に穴があったら入りたいほどで、大人の男が痛みに耐えきれず泣き続けていたと言います。彼は「お前の様子を見ていると、談笑していて本当に痛くなさそうだな。演技じゃないよな。俺はあの痛みを知っているんだぞ」と言いました。

 私はこう答えました。「私の師父が私を見守ってくださっています!」。姪が私の手を見て、一晩のうちに薬も注射もなしで治ったのを確認すると、驚いて言いました。「この大法はすごすぎる! 一晩煉功をやっただけで腫れが完全に引いたなんて、注射や薬でもこんなに早く治らないよ!」姪はすぐに家族のグループチャットに書き込みました。「みんな、おばちゃんのことは心配しなくて大丈夫! 手の腫れは完全に引いて、もう治ったよ。注射しなくて正解だった! 大法って本当にすごい!」

 その一方で、夫の回復も驚くほど早く、事故からわずか3日後に退院することができました。それから約1か月後、私の手も完全に治り、仕事ができるようになりました。私は田んぼへ行き、稲刈りをすることにしました。近所の人は私を見て驚き、「そんな怪我をした手で仕事なんてダメだよ! 早すぎる! 水に浸かったら感染して、結局指を切断する羽目になる。それじゃ一生障害が残るじゃないか!」と心配してくれました。私はこの機会を利用して真相を伝えました。

 私は、「大法弟子には師父が見守ってくださっているから、大丈夫ですよ」と微笑みながら答えました。

 私たち夫婦は、同じ日に二人とも危険な目に遭いました。しかし、幸運なことに、私たちは共に法輪大法を修煉しており、師父のご加護のもとで無事にこの大難を乗り越えることができました。私たちの家族は皆、法輪大法に対して深い敬意を抱いています!

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/5/491192.html
 
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