文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年3月26日】私は1996年に修煉を始めた古い弟子で、今年76歳になります。私は幼いころから体が弱く病気がちで、気管支拡張症(訳注:気管支の壁が損傷を受け、気管支が広がったまま元に戻らなくなる病気)を患い、頻繁に喀血したり、神経性頭痛、不眠症、B型肝炎のキャリアでした。あちこちで医者を探して薬を求め、太極拳や気功を練習し、さらには寺院に行って佛を求め神を拝んでも何も効果がなく、苦しく疲れ果てて生きていました。修煉を始めて間もなく、全身の病気の痛みが消え去り、それ以来、薬とは縁が切れました。
師父は私の体を浄化してくださり、人間として生きる真の意義は返本帰真することだと悟らせてくださいました。そして、この世に来た目的が師父が法を正すことをお手伝いし、衆生を救い済度することだと理解しました。師父の慈悲なる救い済度に感謝の意を表すために、修煉中のわずかな体験を書き記し、師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。
一、利益に対する執着心を放下する
法を学んでから、私はあらゆることにおいて真・善・忍の基準に従って大法弟子としてふさわしい行動を取り、利益を巡って人と争うことはありませんでした。修煉を始めて間もなく、私は新しい自転車を紛失し、通勤に不便を感じていました。オフィスの同僚が公安局から中古の自転車を買ってきてくれました。自転車を受け取った後、自転車の後ろに中学校の駐車許可証が掛かっており、名前も書かれていることに気づきました。私は、この学生は自転車をなくしてきっと焦っているだろうし、学校にも影響するだろうと考えました。そこで、同修に頼んでこの自転車を学生に返し「私たちは法輪功を修煉しており、師父は常に他人のことを考えるように教えている」と学生に伝えました。学生はとても感動していました。
私は学校の管理部門の幹部で、一定の権限を持っていますが、決して公私混同をせず、必要以上に何かを欲しがったり、不正な手段で何かを得たりすることはありませんでした。また、夫や娘にも、自分の物でないものは決して自分のものにしないようにと要求しています。学校には農村出身の経済的に苦しい学生がおり、実家からの生活費がなかなか届かないことがよくあったので、私は生活面で頻繁に学生を助けていました。私はまた、定期的に地域内の精神病患者を支援していました。
学校の事業部門には住宅補助の福利厚生があり、退職者も申請することができ、退職した多くの職員も職場に戻って多額の補助金を受け取っていました。私は権利の主張をしませんでしたが、リーダーは私が申請しに行かなかったのを見て、私に与えられるべきお金を私の銀行口座に振り込みました。私は師父が説かれた「自分のものなら、無くなることはない」ということを悟りました。
二、拘置所で真相を伝える
1999年、江沢民は法輪功修煉者に対する残虐な手段を用いた弾圧を開始し、情報を広範囲に伝達するためにあらゆるメディアを動員して大法と大法の師父に対する虚偽の情報を意図的に作り出し、誹謗中傷し、全国民を欺いて江沢民に味方させようとしました。私は周囲の同僚や上司に真相を伝え始め、より多くの人々に真相を知ってもらうために、私はCD/DVDライターを購入し、自分で真相資料を書き込み、自分で配布しました。
私は真相を伝えたため、2005年に中国共産党(以下、中共)によって不当に労働教養1年、2008年に不当に労働教養1年6カ月を科されました。体調などの理由により、2回とも拘置所に収容されました。拘置所には賭博、窃盗、薬物中毒、売春などの人々が収容されており、一般的に短期間収容されます。私は最年長で、収容期間が最長でした。私は自分自身に厳しく、高い道徳基準を維持するように努めました。社会の道徳が崩壊したために、収容されている人々は過ちを犯してしまいましたが、私は彼女たちを軽蔑することなく、生活面で積極的に彼女たちを気遣いました。彼らの中には、入ってきた時に一文無しで、生活用品も持っていない人もいたので、私は自分のお金で生活用品をいくつか買って置いておき、必要な人に分け与えました。
私は入ってきた全ての人に真相を伝え、法輪功とは何か、天安門焼身自殺事件はあたかも事実であるかのように見せかけた偽装事件であること、法輪功修煉者からの臓器収奪などの真相を伝えました。また、中国の伝統文化、因果応報、物質的な利益や損失に執着しないことなどの人としての道理も伝えました。彼女たちは道理を理解した後、みな私を尊敬し、もっと早く出会いたかったと後悔し、自分が行った全ての過ちを悔い、出所したらやり直したいと表明し、中には法輪功を修煉したいという人もいました。
ベトナム人の麻薬密売人がいました。麻薬密売人の密売量からすると死刑判決を受けるはずでした。麻薬密売人には幼い子供がおり、一日中深い悲しみと絶望感を抱え、誰も彼女を相手にしませんでしたが、私は積極的に彼女を気遣い、彼女に法輪功の真相を伝え、心から「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じれば運命が変わると伝えました。麻薬密売人は毎日心から念じ、徐々に彼女の顔に笑顔が見られるようになりました。
ある時、自身が犯罪を犯したことを認める内容を書くように全員が求められました。私は犯罪を犯していないので、この機会に法輪功の真相を書きました。紙の表裏にびっしりと書きました。警官はそれを見て、私に「遅かれ早かれ歴史が全てを証明するでしょう」と言い、他の人に、私はとても良い人だ、ということを言いました。
2008年、私は不当に労働教養1年6カ月を科されましたが、体調不良のため労働教養所への収容を拒否され、市の拘置所に収容されました。
ある時、所長が私を呼んで話をし、なぜここに来たのかを尋ねました。私は、神韻のDVDを配布したためにここに来た、と答えました。所長は神韻とは何かと尋ねました。私は神韻は中国五千年の伝統文化をテーマにした芸術公演であり、古典的な歴史物語、神話伝説、法輪功への迫害の物語が含まれており、華麗な色彩の衣装、生き生きとした舞台背景で、世界中の人々に愛されている、と説明しました。所長は私に具体的な内容を書き出すように言いました。私は神韻を何度も見ていたので、神韻の歌詞、各古典舞踊の意味、法輪功への迫害などを書き出しました。合計6枚の紙に書き、看守から所長へと伝えられ、多くの人が神韻の紹介を見ました。彼らは私の記憶力の良さを褒め、詳細な記述を称賛しました。彼らは真相を理解した後、私にとても親切にしてくれました。
拘置所で私は最年長でしたが、毎日掃除をし、トイレ掃除も率先して行い、何でも率先して行いました。女性警察署長は放送で皆に私を見習うようにと言いました。署長は私に「ここ(拘置所)では所長から看守まで、誰もがあなたの人間性は一流だと考えています」と言いました。私は「私たち大法弟子はみな常に他人を思いやり、率先して行動します。師父が私たちに良い人になるように、良い人よりさらに良い人になるようにと教えてくださったのです」と話しました。
不当に拘束されている間、私は心の中で絶えず法を暗唱し続け「絶対に転向しない、絶対に三書を書かない、絶対に大法に泥を塗らない」と念じ続け、私を救い出してくださるように師父にお願いしました。他の人がテレビを見ている間、私はテレビを見ずに、朝から晩まで心の中で絶えず念じ続けました。
私は病業状態になり、二度入院しましたが、二度とも予定より早く家に帰りました。一度目に拘置所から家に帰るように言われた時、私は「なぜ誰も私に転向を求めないのだろう? そんなに簡単なはずはない、安易に喜ぶべきではない」と思いました。私は涙を浮かべながら「私は家に帰りたいですが、もし彼らが私に転向を求めるなら、私はここから出ません」と師父に申し上げました。2人の610弁公室の人員が私を連れ出す時、私はゆっくりと歩きました。すると彼らは「あなたはぼんやりして何をやってるんだ? 家に帰りたくないのか? 釈放されるんだぞ!」と言いました。私が心の中で大法への確固たる信念を持っていたので、師父は私の苦難を解消してくださいました。
家に帰ってからも、誰も私に転向を求めに来ませんでした。最近のゼロ行動やノック行動などの迫害活動も、私には回ってきませんでした。江沢民を訴えても、特に面倒なことはありませんでした。
三、中共の展示パネルを撤去し強制的な洗脳を打破する
2018年9月のある日、路地の入り口の掲示板に法輪功を中傷する展示パネルがあるのを見かけました。そこで、私は居民委員会(訳注:中国の末端行政組織)に行き「私を対象にしているのですか?」と尋ねました。
この居住エリアには私1人しか法輪功修煉者がいなかったからです。居民委員会の共産党の古株の書記はおらず、若い人員が2、3人いましたが、そのうちの1人は新しく昇進した書記でした。私は「この展示パネルに書かれていることはすべて嘘で、世の中の人々を毒害しており、あなたたちにとっても良くないです!」と言いました。そして、「4.25」や天安門焼身自殺事件などの真相を伝えました。新しい書記は「法輪功がこんなに良いものだとは知らなかった」と言いました。最後に、私はウェブサイトのアドレスを1枚残しました。「中国出版総局が2011年3月1日に公布した『50号令』は法輪功書籍の出版禁止令をすでに廃止しているので、インターネットで検索するように」ということを伝えました。翌日、路地の入り口の展示パネルは撤去されました。
3日後、中共の古株の書記が一団を引き連れて、私が法輪功を宣伝した、ということを言って、私を洗脳班に連れて行こうとしました。私は「行かない」と言いましたが、2人の大柄な男が私を3階から担ぎ降ろしました。法制学校(訳注:「洗脳班」の別称)に着くと、私は「あなたたちが私を連行してきた法的根拠はあるのですか?」と尋ねました。彼らは何も示せませんでした。彼らが私に洗脳を始める前に、私は先手を打って「あなたたちが私を転向させようなどとんでもありません。冗談にもなりません。あなたたちは私たち善良な人々の集団を悪人に変えようとしているのですか? あなたたちのところで転向させられた人々は、数日もしないうちに『洗脳班で言ったり書いたりしたことはすべて無効であり、再び修煉の道に戻る』と声明を出しています。明慧ネットで調べてみてください」と言いました。
当時、洗脳班には大法弟子は私1人しか収容されていませんでした。私は転向に抵抗し、彼らと膠着状態がしばらく続きました。その後、校長から伝わってきた言葉によれば「20数年修煉してきた人の思想を変えることは不可能だ」とのことでした。
最終的に、この件はうやむやのまま終わりました。終了した日、校長はわざわざ居民委員会の中共の古株の書記を呼び、多くの人の前で「あなたの管轄範囲内の人についてですが、自分で解決できることは外に押し付けないようにしてください。そうしないとあなたにとっても良くありません」と言いました。中共の古株の書記は非常に困惑して「私たちにはどうしようもないのです。彼女はいつも外で私たちに面倒を起こすのです」と言いました。校長と書記の会話から、洗脳班の人々も真相を理解していることがわかりました。彼らは金銭のために愚かなことを続けているだけであり、法輪功に対する中傷が根拠のないものであることも知っているのです。
師父が法を正すことをお手伝いし、衆生を救い済度するこの20数年の修煉の道のりを振り返ると、師父の慈悲なるご加護がなければ、私は今日まで歩んでくることはできませんでした。たとえ道がでこぼこしていたとしても、私は断固として歩み続けました。
大法の中で、大法弟子が師父と共に人々を救い済度するのと同時に、自身も救い済度され、自身の業力をも消し去っていることを知りました。師父は私のために数え切れないほどの非常に多くのものを肩代わりしてくださり、私自身はほんのわずかなものしか負担していません。私は師父に感謝申し上げなければなりません。
法を正す最後の瞬間に、私は倍の努力をし、勇猛に精進し、真に修煉し着実に修煉し、三つのことをしっかりと行い、史前の誓約を果たし、師父と共に家に帰ります!