「天地を主宰し、人道を正す」法理に対する認識
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年3月26日】一部の同修と正念を発する問題について交流した際、私は「正念を発する時、自分を天に届く唯一無二の神のように思い、そのような力と威徳で邪悪を取り除けると考えていますか」と質問しました。多くの同修は「明慧編集部の『正念を発しよう』の通知には、『正念を発する時、自分を天に届く体の巨大な神にイメージしてください』とあります。その通りにしましたが、自分にそこまでの威徳や能力があるとは思いません。ただ師父が私たちに正念を発する法理を説いてくださったので、私たちはそれを実行しなければなりません。自分はただの修煉者であり、まだ修煉の途中でそれほど大きな能力はないと考えている」と答えました。

 同修は師父が説かれた法理をもう一度復習するべきでしょうか。例えば、2001年『洪吟二』の「預」の中で「天地を主宰し、人道を正す」と説かれました。

 また、師父は次のように説かれています。

 「一部分の学習者は心性、境地の向上がとても遅く、まだ感覚からわたしと大法を認識するに留まっていて、いつも身体の変化と功能の体現から、わたしに対して恩を感じていますが、これは常人の認識です。皆さんは人間の状態を変えようとせず、理性からも大法を真に認識するまで昇華しようとしなければ、機会を失うことになります。皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできず、圓満成就できません」(『精進要旨』「警告の言葉」)

 「修煉者が重んじているのは、正念です。正念が強ければ、何でも食い止めることができ、何でも行なうことができるのです。あなたは修煉者で、神の道を歩んでおり、常人の要素、低次元の法理に制御されていない人だからです」(『ロサンゼルス市法会での説法』) 

 正念を発することをしっかり行うなら、自分と大法、大法弟子と衆生との関係を正しく位置づける必要があります。師父が「師が法を正すのを手伝う」と説かれるのは、弟子の精進を励ますためです。実際には私たちが師父を手伝うのではなく、師父は弟子を成就させ、大法弟子が自らの大穹を正しくするための手助けをしている過程です。それも、大法弟子が目覚め、大法弟子の威徳を樹立する過程です。正念を発するとき、真の正念が発せられた時、人心や観念を発するのではないとき、師父の法が効力を発揮します。

 では、私たちが済度すべき衆生とはどのような生命なのでしょうか?  済度の対象はただこの世の生命だけでなく、他の空間やさらに高い空間の生命も含まれます。明慧ネットの2024年1月21日の記事「間違いを犯さないように」—「ある英国の学習者が神韻公演の現場で見たこと(第二部)」では、次のように述べています。「舞台で最後の一曲が歌われたとき、王冠をかぶり、大きなローブをまとった古代の王や王妃たちが、観客の身体の中から出てきました」

 もし私たちが、大法と大法弟子、そして衆生との関係を正しく位置づけることができれば、物事の根源と脈絡を本質的に整理することができ、この世に生まれてきた目的を知ることができます。そうすれば、この世の乱れた現象に惑わされることも、他の空間の生命に迷わされることもなく、旧勢力のあらゆる安排を認めず、師父の安排された道を歩むことができます。

 法の中で真に修煉する弟子たちは皆、自分たちが大法に同化するためにここにいて、法を待つためにこの世に来た非常に高いレベルの主の存在であることをよく知っています。私たち自身を正しい位置に置きさえすれば、邪悪な生命を清める際に無限の威力を発揮することができます。私たちが正念を発する際に使用するのは、師父の法を正す口訣です。つまり、法に従っている限り、他の空間の生命に対してだけでなく、この世の生命に対しても法を正す口訣を用いることが許されています。これは衆生に対する慈悲なのです。逆に、人心の執着や変異した善を持って行うならば、かえって邪悪を助長してしまうことになります。法には法の基準があり、人の考えで理解できるものではありません。人の思考や意識を一切持たずに大法のことを行うことこそ、最も大きな威力を発揮するのです。

 法を正す時期の大法弟子として、世間の情勢に左右されてはならず、また、世間のいかなる人、いかなる国家、いかなる団体が私たちを助けてくれるかに執着してもなりません。世間の情勢の移り変わりを見渡すと、私たちが反迫害を続けて20年以上が経ちました。この過程で、私たちは目を覚まさなければなりません。

 私たちの修煉を導いてくださるのは偉大な師父であり、私たちが迷ったときには、師父はいつもタイムリーに私たちに注意を促し、ヒントを与えて悟らせてくださるのです。

 私たちが正しい道を歩み、自身の修煉をしっかり行えば、この世の情勢も良い方向へ変わります。逆に、私たちが正しくできなければ、事態が複雑になり、損失を招くことさえあります。世間の有名人やどこかの国、組織が私たちに実質的な助けを与えるわけではありません。彼らが私たちに何らかの助けを与えることがあるとすれば、それは、彼ら自身がこの法を正す時期において自らの位置を定め、美しい未来を選択しているということにほかなりません。

 本質的に言えば、私たち大法弟子が修煉をしっかり行い、他の空間やこの世の邪悪を一掃することによってこそ、環境がプラス方向に変わるのです。

 これは私自身の認識です。不適切な点があれば、どうか慈悲をもってご指摘をお願いします。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/5/491349.html
 
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